第82回(家=国家=小宇宙の神話以前・その34)
「ふむ。私がなぜ怪好」
「お? お前その二文字で。その二文字で今俺を。い、言い表そうと」
あ、そのお馴染みの反応が出たって事は、女蚊様いま風ちゃんのこと怪よs
「…」
風ちゃん。上を向いて歩くのは涙がこぼれないようにするためで、決して頸骨も折れよっ! と言わんばかりの体勢から眼球も側転せよっ! とばかりにきつく横睨み、目の縁に没しかけた黒目で相手を射て心胆寒からしめるためじゃないと思うの。
「はぁ。何でも良いが、とにかく私がケヨシを王家と断じたことなどは些事だ。なんとなれば、私はその前からお前のことをメル変の王と呼んでいただろう」
ああ、そう言えば…って。えっ、それはつまり自身を認識するのと同じ自然さでメル変の王を認識できる、我思う故に当然夫あり、実は女蚊様もメル変だってこと?
「それを不思議そうに問うなら、私こそお前たちに聞きたいぞ。このメル変屋敷には王だけでない、何故女神もいる。私はその女神の血を飲み、言祝がれたのだぞ?」
「んがっっっ」
おや、顔を仰向けた姿勢はまた気道確保の体勢、けれど風ちゃんなんだか何かを詰まらせたみたいな変な声出しましたヨ、ごきっばきっべきっ、ぎょっ、かと思ったら首を女神様の方へねじ曲げ始めた、女蚊様の極細腕なれど神の腕力で未だ顎はホールド、喉輪の如く押さえられ上向けられている顔を無理矢理に、ちょ! ちょーっと風ちゃん自ら首をねじ切ろうとか! やだやめてそんな勇敢な自死。
「ひぃっ」
女神様が喉に蹴躓いて出損なったみたいな細い悲鳴を上げたのは、剥ききった白目に鼻からの鮮血でしとどに濡れた口許、そんな形相が目前にんばっと現れた、と思ったらふっと見えなくなって虚を衝かれたんだけど直ぐに想像だにしない方向に折れ曲がった首、力無くうなだれて上に載せた頭蓋をぷらんぷらんさせてるそれに気が付いた、そんな一連を経験して肝を潰したからではありません、多分。ほら、その証拠に女神様健気に両手を伸ばしてがっと無造作に挟み込むは風ちゃんの傷んだ首、いやいや首に負傷の疑いありな人にその様な乱暴な。あ、風ちゃんの口の端から淡く輝くすきとほったゆらゆらが、ん、一見透明度の高い炎のようですが上へ伸びようとして実際は口の端を越え出た途端、その本体から離れた飛沫のようなものは重力に引かれひらひらと落ちていくようです、そんな何かが結構な勢いで噴き出し始め。ねぇ女神様、あれってもしかしていわゆる命の灯火が、うっかり本来あっちゃいけないところで燃えちゃってるとか。あったりしないかな。
「もががが。もがが、もがががががががががう゛ぇ」
女神様は、右手の親指以外の指4本をぴっちり揃えて風ちゃんの口に押し当てる、左手は風ちゃんの後ろ頭へ回してそこに添える、そして決然と彼の頭蓋を挟み込み首を支え口許を密封するようでしたが、その状態から暫く、いつの間にか風ちゃんが黒目を取り戻し女神様を睨みながら何か言ったのです。うんむ、さすがは女神様。圧迫で止められるのは、出血だけじゃないんだね。
「エレ様。やはり、嘘をついていましたぬぇ」
風ちゃんの回復を知って女神様は慌てて両手を離したのです。すると風ちゃんはそう言いました。ふむん、さっきのもがががと字数が一緒だし抑揚も近かったから多分同じこと繰り返したんでしょうね、でも “ぬぇ” は “ う゛ぇ” になるのかぁ。なるほどなぁ。
「あうぅ…」
今の風ちゃんは、触れ合って直ぐ側に居る女神様を実際その目で見ながら、けれどどうしようもなくどこか遠くへその人を見失いそうになっている、そんなやるせない目で女神様を見詰めているのでした。ついぞ出会ったことのない目力にこの場にいる者共が低くどよめきます、直視されている女神様は尚更のようで見た目にもはっきりと怯みました、そしてその瞳を見る見る潤ませて。
「う…嘘言ってない、嘘なんて言ってないよぉ! エレちゃんはメル変っ子の神様じゃないもん、それはホントだもん。嘘なんてつくはずないじゃん、嫌われたくないし。エレちゃん、風ちゃんに嫌われたくないしっ! だから嘘なんて…つかない、よ…ばかぁ…」
あらら、わんわん泣き始めてしまいました。しかしですねぇ、実はメル変の始まり・彼らの造物主なんでね? と嫌疑をかけられては過去例外なく不機嫌にそれを否定してきた女神様なのですが、今回は女蚊様という証拠を押さえられてしまった訳ですからねぇ。かように泣かれてしまってもこちらとしては扱いづらさが増すばかり…おや。この場に居合わせた中で一番苦々しい顔してても良さそうな風ちゃんが、なんか一番女神様の訴えに心動かされてるようですよ、ほっぺをポリポリ掻いたりして。どうなの風ちゃん。女神様の言い分、受け入れるの?




