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第76回(家=国家=小宇宙の神話以前・その28)

「神の、こと女の神のね。人目には触れない、いろんな苦労なんてね」

 溜息一つ、それがまるで呼び水になったみたいに女神様の口調にも全身にも突如生活臭が滲み出します、髪は輝きを失い、女神様のそれは元より淡く発光してるからこの場合比喩ではないですよ、それにこの様子はそうですね、かけた手間暇という形でこの髪に縛り付けてきた時間が急に解き放たれ一足飛びに進んだみたいです、つまり水気を失った髪が所々でぴょいんぴょいんと跳ねていく様は心理的なものや漫画的演出などでは無くホントに老いがそうさせるようで、未だテーブルを押さえつける右手が見る見る萎んでごつごつになっていくのも、ねぇ? この場における時間進行の均質性に、疑いを持たせる現象と思えなくも無く。まぁそれはそうと女神様ね、察するに、女神様の現在の陰鬱は我が身に対する他人の無理解が原因ってことでいいんだろうけど、おいらたち周りから見ればベタ踏み全開! な上に更に踏む足をもう一方の足で踏みつけてんのか、ってくらい開けっぴろげな女神様にですね、まだ底があったって主張された方がそのぅ、なんと応対したものか、曖昧な笑みでお応えするくらいしか思い付かないんですけれども。

「なぁ、エレナさん。もう手を放してもいいんじゃないか?」

「そうですね…そろそろ、羽虫の体液とご自身の血糊とで、掌が接着して…」

 純粋に親切で言った姐御さんに乗っかって魔性少女が気色の悪いことを指摘したもんだから、女神様はうげっと呻いてテーブルから手を上げた。しかし生きものを叩いちゃったのなら一時の不快は仕方あるまいて、えーっとティッシュ、ティッシュと。

「…なっ」

 ん? 女神様がこの場面では不自然な態度、即ち狼狽に息を呑んだので、はて一体何がと思ったのです。してわたしたちもそれを目にすれば。ええっ。

「嘘…エレちゃん、今度こそは絶対に叩いたよ?」

 しかし件の羽虫はわたしたちの目に焼き付くその姿のまま、つまり女神様の執念にいよいよ覚悟を決めたよう、振り下ろす掌底メテオの風圧、それだけで圧殺されんじゃね? ってなダウンバーストにも諾々と羽を畳み掌落とす影の中に消えていった、何思う小さな羽虫、あの時同様まだ外界に無関心でいるらしい君、君知るや我らが戸惑い。いやちょっと待、マジ無事て。しかし動揺したのは女神様とわたしたちだけじゃありません、他のメル変ども、特に普段狩りをして生活している連中は彼らすらびびらせたその凄まじき狩りへの意志、彼らすら唸らせたその実直に過ぎる狩猟方法、まざまざと見せ付けられ女神様を一握にして再発見、此度の討伐成功を信じて疑っていなかったようですから、ある者は音声で、ある者は身振りで、そしてある者は黙して不動にも関わらず自身の内面をありありと他者に共感させ、とにもかくにも一様に戸惑うようなのです、同時にオラたちわくわくしてきたぞ、ここは狩猟民としての矜持を刺激されたのもまた一様のようで、女神台風尻すぼみののち台所内のあちこちで点状・同時多発的に観測され始める気圧の低下、こちらはさながらゲリラ豪雨ですかねぇ、狩りするメル変ども闘魂自ら注入の共演! いち早くエア張り手に気持ちを昂ぶらせまくったのは! 壁などに固着し素早く伸び縮みする捕食器を武器に大気中に浮遊する微生物様メル変を捕らえているグループの一個体です、そいつが今は天井から、真っ直ぐな稲光の如く直下に捕食器を打ち伸ばしてっ。狙い違わず捕食器は蚊に迫る、その背まであと瞬き一つ、おやすぼまっていた先端がぐっと盛り上がった四つに裂けた、そこから更なる勢いで薄桃色の・蛍光灯の青白い光を粘液に妖しく照り返す・いかにも中身って感じの紐状器官が射出され! 羽虫をねちょっとくっつけるや射出時同様の目にも留まらぬ速さで来た道戻り、なるほどそれは鞘状の外皮だったのね、先端は元通りにすぼまってしまいます。うん。さてこの通り、一時当家を騒がした羽虫は無事に補食され。まぁ絶対に叩いたはずなのに平気だったってのは確かに気になるけど、たまたま指と指の間の隙間に生かされたとか理由は考えられるし、いずれにせよゴックンされちゃえばもうどうにも逃げられめぇ、なむなむ、後は自然のまま、汝命を養う尊き灯火と

「なる訳なかろう、馬鹿者がっ!」

 驚嘆。自慢じゃありませんが当家というナチュラルびっくりハウス、メル変の王居ますメル変屋敷に日々暮らしモノ・コト分け隔てず語るのが生まれつきのおいらたちは、まぁ驚嘆に関する経験値なら無駄に、これの1割でも他の経験が積めてればなぁ、おいらたちの生きていく力=語りももうちょっと力強かったかなぁ、とにかくたまに人生のリセットボタンを探したくなるくらいには高いですヨ、要するにおいらたちが心底驚かされるとなるとそれはかなり尋常ならざる出来事なのです、でもってそのレベルの事件がたった今起きたのですね、さて頭の中に直接轟いたこの一喝はなんでしょう、その尋常ならざること

「な、なんだ今のは。頭の中に直接響いたぞっ」

 ええっ。風ちゃんなに驚いてんの、そういうことだったら当家の日常茶飯、風ちゃんだって毎日のように経験してるでしょうに。

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