第9話 それでも
勝てる見込みなんてなかった。
メルンの危機――それだけで立ち上がるには十分だった。
奴の赤く燃える腕に双剣を振り下ろす。
ガキンッ!
「海獣ってのは、鱗が硬いのな」
「そんなに死にたいか!」
人型の海獣が燃える右腕を振る。
メルンを抱きかかえ、何とか蒼剣で防いだが――勢いそのままに吹き飛ばされた。
背中から地面に叩きつけられ、肺の空気が一気に押し出される。
「相変わらずふざけた力だな」
「ぜあんっ……」
メルンが胸に顔を埋める。
「大丈夫だ……俺が守るから」
彼女の頭をそっと撫でた。
メルンは何か言いたげだったが……これ以上、彼女を気遣える余裕が、今の俺にはなかった。
圧倒的な殺意を振り撒き、目の前に奴が降り立った。
燃え盛る右腕が周囲を赤く照らし、肌を刺すような熱気が押し寄せる。
「死ぬ前に名前を聞いといてやるよ」
俺はメルンを背に庇い、双剣を構えた。
「ふん。人の子に名乗る名などないわ」
確かにこいつは格上だ……それでも、逃げるわけにはいかない!
俺の持てる最高の技だ。
“蒼十字”
双剣を交差するように振り抜き、至近距離で十字の蒼い光を放つ。
奴が燃える片腕を軽く払った。
蒼い十字が砕け、無数の光の粒となって宙に散る。
「くそっ……!」
海獣の鱗はバカみたいに硬い。
だが、弱点があることは既に実証済みだった。
あとは俺に技術があるかどうかだ……
「次はこちらの番だ――」
人型の海獣が眼前に迫る。
振り下ろされた炎の腕を、双剣で受け止めた。
双剣を交差して、燃え盛る腕を受け止めているが、徐々に押されていく。
熱が……喉を焼く。
腕も引きちぎれそうだ。
俺は残存光量を全て燃やした。
蒼十字のようにただ力を放出するだけじゃだめだ。
細く、鋭く――正確に!
自分のイメージを切っ先に投影する。
蒼い光が刃先へと収束し、鋭い輝きを放った。
「ふんっ、その程度の力で勝てるとでも?」
奴は俺の意図には気づいていない。
蒼い双剣の切っ先から二筋の光刃が蛇腹状に伸び、人型の海獣の左右のエラを貫いた。
「ごふっ……」
「やっぱり……そこが弱点か……」
「こんな……小僧に……」
次第に人型の海獣の腕の炎が鎮火していく。
「我が名は……ハルマン……」
奴は名前だけ遺して……動かなくなった。
双剣から蒼い光が失われる。
膝が折れ、地面に片手をついた。
「……終わったのか」
焼け焦げた地面から、細い煙が立ち上っていた。
勝ったという実感はなかった。
.。o○
あれ……どうしてこうなった?
狭い海藻のベッド、隣にはブロンドを解いた女性が俺の胸に顔を埋めていた。
互いに冷えた肌を重ね、温め合っていた。
.。o○
遡ること数時間前――
海獣の軍勢を押し返したが、誰一人、騒ぐものはいなかった。
死者はあまりにも多く、マルクの意識も未だに戻っていない。
診療所では奥から漏れるうめき声が、嫌でも耳に入ってくる。
勝ったはずなのに、誰一人として笑っていなかった。
スリアとメルンは宿屋で休ませて、
俺はマルクの見舞いに来ていた。
「その節はありがとうございました」
頭を抱えて、診療所の椅子に腰掛けていると、
上から声が降ってきた。
「キミは?」
そこには黄色い髪を緑のリボンでくくった女性が頭を下げていた。
彼女が顔を上げると、柔らかな笑みが浮かんだ。
血と海藻の匂いが漂う診療所には、どこか不釣り合いなほど明るい表情だった。
「あっ、覚えてない感じですね。
あの時、助けられた地上探索者ですよ」
「ああ……マルクを助けてくれた子か」
正直、どんな子かまでは覚えていなかった。
というかそんな余裕すらなかった。
「いえ、こちらこそ、お兄ちゃんをありがとうございました」
「えっ……お兄ちゃん?」
「はい、私、マルクの妹のペトラと申します」
「ペトラちゃんね」
マルクの妹にしてはまともだ。
「あの……よろしければ家に来ませんか?
お礼がしたくて……」
「でも、マルクはいいのか?」
「お兄ちゃんなら大丈夫です。
しぶとさだけは定評がありますので」
なんで肉親より、俺の方が心配してんだよ。
しかも、マルクなんかを……
そう考えると、ここで寝ずの看病をするのも馬鹿らしくなってきた。
そして、流されるままにペトラちゃんにご馳走になって……何故か一緒の寝台に寝ている。
夜の静けさで鼓動がやけに大きく聞こえる。
薄暗い部屋に、二人の呼吸だけが響いていた。
彼女が身じろぎするたび、海藻の寝台がかすかに沈む。
「ねぇ、ゼアンさん……起きてます?」
「あ、ああ……起きてるぜ」
こんな状況で眠れるはずがない。
「ゼアンさんってお強いんですね」
彼女は俺の胸板をそっと撫で回す。
「そんなことないって……俺なんて……」
「ふふっ、謙虚なんですね」
彼女の息が首筋のエラにかかる。
「私、結婚するならお兄ちゃんより強い人が良いって思っていました」
「それは、相手を探すのは難儀だな」
正直、マルクより強いなんて、
ザクトしか知らない。
「でも、ゼアンさんが現れた。
颯爽と私を助けてくれて……お兄ちゃんを破った、人型の海獣まで倒してくれた……」
彼女は俺の胸を指でなぞる。
「いや、あれは運がよかっただけで」
「ゼアンさん……私……」
彼女は体を俺に密着させてきた。
「ペトラちゃん……その、待ってくれ……君を無闇に傷つけたくはない」
「ふふ、紳士なんですね。
わかりました。それなら、待ってあげますよ」
逃げてしまった。本当は彼女を拒絶しないといけないのに……レイナとメルンの頭が脳裏をよぎった。
スリアは……別にいいか。
その状況に甘んじている自分が後ろめたくもあり、情けない。
それでも、久しぶりに触れる人肌を押しのけることはできなかった。




