第10話 爪痕
翌朝、後ろ髪を引かれながらもペトラが目覚める前に宿屋へ戻った。
朝帰りがバレないように、そっと客室の扉を開ける。
「うっ……」
扉の先に、目に涙を溜めたメルンが、腰に手を当て仁王立ちしていた。
「ぜあん……どこいってたんか」
「すみません」
俺は自然と正座して頭を下げる。
「ふぁー……って、二人とも何してんの?」
寝ぼけまなこのスリアが軽く背伸びをする。
「ぜあんが……うわきした」
「いや、してないって……」
スリアがメルンにそっと耳打ちをする。
「ふんふん」
メルンは頷いたあと、俺の傍に来た。
そして、膜装をめくり首周りからお腹までくまなく観察し始めた。
「キスマなし……くんくん」
今度は鼻を近づけ、匂いを嗅ぎ始める。
「なんか……花のにおいがする……」
「いやいや、そんなはずないだろ」
慌てて自分の匂いを確認する。
うっ……確かに甘い匂いがする。
いや、俺は無実だ。
ペトラとは一緒に寝ただけで、やましいことなんて何もない。
この後、三時間ほどメルンから追及された。
てか、スリアめ、余計なことを吹き込みやがって。
.。o○
俺たち三人は、次の目的地である首都アトランタに向けて、城塞都市ベルグの先にある海中トンネルを目指した。
海流に身を委ね冷たい潮水を全身に浴びる。
「ねぇ、マルクの奴、置いてってよかったの?」
スリアが尋ねる。
「仕方ないだろ。あれだけの重傷だ。
すぐには動けない」
マルクは肩口からお腹にかけて、深い裂傷が刻まれていた。
それに、俺たちは別に仲間ってわけでもないし、待つ義理もないだろ。
「てか、スリアの方こそ、ちゃっかりついて来てるけどさっさとベルグに帰れよ」
「はっ?
家を壊されたのにどこに行けって言うのよ」
「酒場はどうすんだ?
看板娘がいなくなったら困るだろ」
正直、俺たちの旅は危険と隣り合わせだ。
ベルグも海獣の脅威に晒されているとはいえ、幾分か安全だろう。
「へへん。酒場のマスターには嫁に行くって伝えたら泣いて喜んでいたよ!」
「それ、厄介払いできて喜んでただけじゃ……」
「すりあ……けっこんするの?」
「何よ今さら。ね、ゼアン!」
これ以上は触れないようにしよう。
頭を抱え、前を向いた。
マルクといい、ペトラといい、ベルグの奴らはこんなにカジュアルに求婚するのか?
俺には理解できん。
にしても、スリアはヒレの武器化すらできない。
正直、戦いになったら守りきれるかは分からない。
俺たちだけで、レイナを取り返そうなんて、
我ながら無謀だと思う。
でも……後戻りなんてできない。
俺たちに帰る場所なんて、ないんだから。
先の見えない深海を眺めていると、視界の端で白い影がちらつく。
メルンの服の裾からウララがこちらの様子を窺っていた。
「……おい、ウララ?
そういえばメルンがピンチだった時、お前……膜装の中に隠れてたろ?」
「キュルル……」
ウララは再びメルンの膜装の中に潜った。
「可愛い声を出しても許さねぇぞ」
「ちょっと……ぜあん……ウララをいじめちゃ、めっだよ。ウララは……こわがりさんなんだから」
「ゼアン、あたしもこわーい」
スリアがどさくさに紛れて抱きついてくる。
「わかったから離れろって」
「あ、すりあだけずるい……メルンも!」
メルンにも抱きつかれ、まともに泳げない。
暗い深海に騒がしい声が響く。
今だけは不安に苛まれずに済む。
.。o○
しばらく進むと海中トンネルの灯りが見えてきた。
首都アトランタは地中に埋まった巨大都市だ。
なんでも巨大な亀の海獣の骨を使った都市らしい。
正直、俺も実物を見るのは初めてだ。
トンネルに入ると、整備された石造りの通路に、天井には所狭しと光玉が埋め込まれていた。
アトランタの罪人は、死んだ後も光玉となって町を照らさなければならない。
首都の輝きは多くの罪人の命で成り立っていた。
青白い光が、石造りの通路に無数の影を落としている。
「うわー……きれい……」
そんな事情を知らないメルンは目を輝かせてトンネルの天井を仰ぐ。
「メルン、そろそろ膜装を顔にかけて隠しとけよ。海獣ってバレたら大ごとだからな」
「ここを真っ直ぐ下ると首都だよ」
スリアがさっそく先導する。
「なんだ、スリアは首都に来たことあるのかよ」
「あたし、もともと首都の生まれだし」
「へぇ、そうなんだ。なら、道案内を頼むよ」
「うん。任せて!」
スリアの後に続き、首都の内部に到着した。
冷たい海水から上がると、肌にまとわりついていた水が足元へ滴り落ちた。
久しぶりに感じる乾いた空気。
天井は無数の光玉で埋め尽くされていた。要塞都市ベルグとは違って、ギラギラとした標の輝きもなく、幻想的な淡い光が都市全体を包んでいた。
「さっきの……とんねるよりすごい!」
首都に入ってからメルンの首は上を向きっぱなしだ。
首都の中には巨大な空洞が広がっていた。
石畳の大通りには多くの人々が行き交い、道の両脇には露店が所狭しと並んでいた。
威勢のいい商人の声に、客たちの笑い声。海底にいることを忘れてしまいそうなほどの賑わいだ。
通りの先には高層の建物や宮殿が建ち並び、ベルグよりも明らかに文明が発展していた。
極めつけは天井までそびえ立つ巨大な塔。
淡い光に照らされたその塔は、まるで都市全体を見下ろしているかのようだった。
あれが何を意味しているのか、今の俺は知らなかった。
「首都は門番みたいなのはいないんだな」
ここだけじゃない。
アトランタは無数の海中トンネルが首都へと続いている。すべての入口を見張るのは大変だからか?
「こことは違って、ベルグはもともと、海獣が生息する海域との境に作られた防衛の要だから」
「それにしては戦力が手薄すぎやしないか?
襲撃の時も、俺がいなかったらヤバかっただろ」
「要塞都市ベルグはザクトを長とした地上探索者たちが治める都市なの。
今は主戦力を引き連れて首都に来ているみたいだから、間が悪かったわね。それに、九千メートルから七千メートルの下層海域に人型の海獣が来るなんて滅多にないから……」
そういえば、あのハルマンとかいう人型海獣はメルンを姫って呼んでいたな。
メルンに関してもまだまだ分からないことが多い。
一度本人を問いただしたんだが、こいつ自身何もわかっちゃいないみたいだった。
訝しげにメルンを見つめると、満面の笑みで俺を見ていた。
まったく、無邪気なお子様は気楽でいいな。
「人型の海獣はなんで下層海域には来ないんだ?」
「あんたって本当に何も知らないのね」
スリアは呆れたようにため息をつく。
「うっせぇ、田舎者で悪かったな」
「体格が小さい海獣ほど、下層海域に近づくにつれ、体内で消費される火石の量が多いのよ。火石は海獣にとって命そのものだから……」
「そうか、あのハルマンって奴が言ってたな。
メルンは膨大な火石を生み出せるって」
「やっぱり……伝承からは逃れられないか……」
「伝承?」
「あ、いや……気にしなくていいわ」
「おい、露骨に怪しいな。スリア……今からでも、ベルグに引き返したらどうだ?
無理に同行しなくていいぜ」
「メルンちゃんは、スリアお姉ちゃんと一緒にいたいわよねぇ」
スリアがメルンに頬ずりをする。
「うむー……メルンはぜあんがいればいい」
「はっ、振られてしまった。
ということは、ゼアンと結婚すれば必然的にメルンちゃんもセットでついてくるってことよね?」
「はぁ……」
スリアがここまで食い下がる理由が分からない。
住むところが壊されたってだけで、わざわざ危険な旅についてくるか?
ただ、あの時メルンを命懸けで守ってくれたことには変わりない……少しは信用してやるか。




