第5話 要塞都市
海獣が生息する海域――下層海域九千メートルの境界に位置する城塞都市ベルグ。
巨大な竜の頭――海獣の頭蓋骨で作られた堅牢な要塞だ。
天を覆うように湾曲した白い骨。その奥には、巨大な牙が幾本も連なり、海底に深々と突き刺さっていた。
要塞の天井には巨大な標が昼夜問わず、煌々と街を照らしていた。
俺たちは要塞手前の海底の岩影に身を隠し、身なりを整えていた。
「おい、メルン、これ着とけ。
お前の肌と目は目立つからな」
レイナの母親が着ていた、白い膜装だ。
彼女は生前、全身をこれで覆っていた。
メルン用に出発前に拝借しておいた。
これなら素肌も隠せるし、頭部の膜を垂らしたら顔も隠せる。
「これ……」
メルンは膜装を手に取ると、赤い瞳がかすかに揺らいだ。
白い布地を指先でなぞり、しばらく黙り込む。
「どうした?」
「ううん、メルンにはおっきいなって」
「そうだな。これはレイナの母親のお下がりだから……裾の部分だけ切るか?」
「いいや、スカートの部分はぜあんが持ってて」
そう言ってメルンは上衣だけ羽織った。
長い裾が彼女の足元まで伸びて、ロングスカートみたいになっていた。確かに丈は丁度いいな。
「問題は……ウララだな」
巨大な白い海蛇……赤い目に、赤く煌めく鱗。
「さすがに海獣すぎるな」
「それなら問題ないよ!」
メルンがビシッと手を挙げる。
次の瞬間、ウララの体はみるみる縮まり、小さな蛇になった。
「はっ? どういうことだよ!」
「ウララも天才!」
「クルル」
なんか鳴き声も可愛くなっているし。
「てか、説明になってないぞ」
「もう、そんなこといいから、
早く、都市に入るんでしょ?」
「くっ……」
何故か分からないがメルンに怒られてしまった。
こうして俺たちは要塞の門へと向かった。
.。o○
「おいっ、止まれ!」
さっそく門番に止められた。
顔と肌を隠した少女に柄の悪い男。
ま、見るからに怪しいよな。
自分でもそう思う。
「なんだよ? 突然――」
兵士の訝しげな視線は明らかにメルンに向けられていた。
「その者――膜装をめくり顔を見せよ」
「……」
メルンは口をつぐむ。
「貴様ら怪しいな……」
男がヒレを伸ばし白い槍を手に取る。
っち、こうなったら強行突破か――
腹を括り剣を出そうとした時、暗い海に似つかわしくない爽やかな声が響く。
「やぁやぁ、キミたち。
その物騒なモノをしまいたまえ」
「これは、マルク様!」
兵士はすぐさま槍をヒレに戻し、頭を下げる。
その先には眩しいくらいの明るいブロンドの髪に、青い瞳の青年。緩んだ口元がやけにいけ好かない。
「なんだ、てめぇは?」
「……ぜあん……言葉が汚い……」
「メルン、水を差すなよ」
「ほほう。その声、白蓮の君は女性なのだね」
いけ好かない男は舌舐めずりをする。
「きっしょ」
思わず本音が漏れてしまう。
「貴様、マルク様になんて口を!」
兵士は再び槍を構える。
「よいよい、それより僕は止めろと言ったはずだが? 二度は言わせるな。
僕は優しいんだそれくらいで怒ったりはしないよ」
「し、承知致しました」
マルクが目を細めた瞬間、兵士の表情が凍りついた。
先ほどまで威勢よく槍を構えていた男が、今は視線すら合わせようとしない。
まったく、どこが優しいんだよ。
この優男、只者じゃないな。
一瞬だったが、おおよそ一般人が発するような殺気じゃなかった。
「ほら、キミたち。兵士たちが失礼を働いたね。
僕の気が変わらないうちにここを通るといい」
「メルン、行くぞ……」
「あ、うん」
貼り付いたような笑顔に見送られ、俺たちは何とか城門をくぐった。
あいつの舐め回すような笑み……本当に気持ちわりぃ。
城門をくぐると、騒々しい笑い声が耳に飛び込んできた。
分厚い竜の頭蓋の下、白い石造りの街並みがどこまでも続いている。
頭上では巨大な標が煌々と輝き、骨の天井を淡く照らしていた。
通りには昼間から酒を酌み交わす男たちの姿。
外の物々しい雰囲気とは打って変わって、随分と陽気な街だ。
カリナ村の何十倍、いや何百倍の規模があるんだ?
「うわー……ひろいね……」
メルンも言葉を失っていた。
「ぜあん……おなかすいた……」
「はいはい。なら酒場で情報を集めつつ、飯でも食うか」
「わーい……めーし、めーし!」
ったく、途端に元気になりやがって。
「ほら、はしゃぐと転ぶぞ」
メルンの手を引いて、酒場に入った。
昼間から酔い潰れる人が何人もいた。
この街はどうなってんだ?
俺はメルンと一緒に隅のテーブル席に座った。
白い石がひんやりとしていて、少し肌寒い。
「注文は?」
愛想のない女性の店員が注文を催促する。
「俺は深海鯖丼を一つ」
「メルンはハクアプリン一つ!
あと、シーカーの骨付き肉!」
「かしこまりー」
店員は雑に挨拶するとそのまま厨房に向かっていった。
「プリン……久しぶり……」
「お前、甘いの好きなのか?」
「うむ……しこう……」
「ああ、至高ね。骨付き肉は?」
「これはウララの……」
「そっか、ウララの分を忘れてたな」
「グリルル……」
メルンの裾の下からウララが顔を出して、唸り声を上げる。
「悪かったって」
しばらくすると料理が運ばれてきた。
「おまちー」
「お姉さん。待ってくれ……」
「なにー?」
「一つ訊きたいんだけど」
店員は顔を見上げて、突然目を見開く。
「は! もしかして、ナンパ?
ちょっと待ってね!」
「え、違うけど……えっ?」
お姉さんは俺の返答を待たずしてバタバタとトイレに駆け込んでいった。
「ぜあん……浮気か?」
メルンがジト目で俺を睨んでいる。
「ち、ちげぇよ!
てか、浮気ってなんだよ……相手なんてそもそもいねぇよ」
何故か口ごもってしまう。
「ご、ごめんね。お待たせ」
店員は水色の髪を右側に結い、上目遣いで藻紙を手渡してきた。
そばかすが目立つ顔が少しだけ、紅潮している気がした。
黒い藻紙に白い文字で住所が書かれていた。
「ここ、あたしんちだから。
あの、勤務時間は昼の一時までね。んじゃ!」
彼女はそれだけ言い残して厨房へ走り去っていった。
「え、どゆこと?」
「ぜあん……女ったらし」
「さっきからそういう言葉だけは語彙が豊富なのな」
ナンパなんてしてなかったが、宿屋で泊まるよりもお金が浮くかもな。
ついでに彼女から色々と情報を聞き出すか。
「プリンうまうまっ!」
口角が上がりニッと微笑むメルンの足元で、骨と肉が砕ける咀嚼音が鳴っていた。
ウララ、頼むからバレないように食べてくれよ。
街中に海獣が紛れ込んでいるなんて、ちょっとした騒ぎになるんだからよ。
一瞬だが、メルンとレイナの笑顔が重なった。
……早く助けないとな。
決意を胸に秘め、丼をかき込んだ。




