第3話 海獣
暗い海の底――頭上からは力を失った村人の体、貝家の残骸が次々に降ってくる。
皆を……守れなかった。
海中を漂う自分の青白い手を眺める。
俺の手は思ったよりも小さかったんだな。
どこか自分は特別なんだと思っていた。
薄れゆく意識の中で、赤く光る目が暗い海底でこちらを見ていた。
まさか……海獣……こんなところに潜んでやがったのか。
赤い二つの眼が徐々に迫ってくる。
ここで、食われて終わりだなんて……
絶望の淵で俺の意識は深海に落ちた。
.。o○
パチパチ……
どれだけ時間が経っただろう?
何かが弾けるような音で目が覚めた。
朱色の灯りが茶焦げた岩肌を赤く照らす。
暖かい……ここは?
周囲に視線を動かすとそいつはいた。
赤毛に褐色の肌の少女が壁に寄りかかり寝息を立てていた。
こいつ……何者だ?
人なら青白い肌のはず……少なくとも俺らと同じ種族じゃない。
「ん……起きた?」
彼女が目を擦りながら背伸びをする。
……っ!?
彼女の瞼の隙間から、海獣と同じ赤い眼が覗いていた。
「お前、海獣か?」
慌てて両ヒレの双剣を伸ばし距離を取る。
「ぐっ……」
激しい鈍痛が胸元から走り、思わず膝をつく。
「大丈夫?」
彼女はこちらに駆け寄ってきて、俺を支える。
俺の胸から腹に掛けて海藻が巻かれていた。
「これ……あんたが?」
「うん……皆死んでた。あなただけ……息があった……」
そうか……皆、死んだのか……
村の奴らとは反りは合わなかったが……まさか、全滅とは……くそっ!
「大丈夫?」
彼女は首を傾げて俺の顔を覗き込む。
「海獣呼ばわりして悪かった。
助けてくれてありがとう」
「あびす?」
「そんなことも知らないのか?
俺たち人を食い荒らす化け物だよ」
言葉はカタコトだし、不思議な子だ。
「それよりさっきから気になっていたんだが、この燃え盛っているのは火石か?」
洞窟の中央で焚き火が激しく燃え盛っていた。
「うん……」
「すごい量の火石だな……ここまで大盤振る舞いしなくても」
貴重な資源なのにもったいない。
「別にたくさん作れるからいい……」
「作れる?」
火石は海獣の体内からしか生成されないはずだけど……
「グォォォォォ!」
その時、地鳴りに似た唸り声が洞窟の入口で響く。
まさかっ!
慌てて洞窟の入口に視線を向ける。
暗い海から覗く赤い瞳――その体は海蛇のように長く伸びていた。
「今度こそ間違いない――海獣だ!」
慌てて蒼剣を構える。
「ウララ――めっ!」
俺の背後で少女が叫ぶ。
「クゥゥゥン」
少女の一声で海獣は子犬のように鳴き、
どこかへ行ってしまった。
「って、あんた……海獣を手懐けているのか?」
「私、メルン……あの子はウララ」
「メルンにウララね。
って、そういうことを訊いているんじゃない!
どういうことだ?」
少女はスカートのように揺れる白い膜装をまとい、顎に手を当てて考え込む。
「あびす……ウララたちのこと……たぶん」
「えっ!?」
海獣って言えば、魚や竜、蛇みたいな化け物しか見たことがなかった。
まさか、人型のアビスが存在しているなんて……
「メルンとウララのこと……殺すの?」
「いや、俺を助けてくれたんだ。そんなことしないさ」
海獣は体内で火石と空気を生成する。
俺たち人の脅威であるとともに、生活に欠かせない資源だった。
今までは……ただの化け物だと思っていたのに……こんなあどけない少女だったなんて……
.。o○
俺は傷が治るまで、この不思議な少女と共に生活を続けた。
ウララが魚を獲ってきて、メルンがそれを焼く。
傷が疼く夜には、メルンが黙って傍にいてくれた。
何を話すわけでもない。ただ、その温もりだけが、今の俺にはありがたかった。
「それにしても、よくこんな村の近くでバレずに暮らしていたな」
「うん、そんちょーさんが助けてくれたの」
村長っていうと、レイナの親父さんが?
「あの、狸親父……いろいろと隠し事が多そうだな」
死んでしまった今では問いただすこともできない。
この村には俺の知らない何かがあるのかもしれない。
「世話になったな。メルン、俺そろそろ行くよ」
「行くって……どこに?」
「レイナ……村長の娘を助けに行く」
「そんちょー」
メルンは親父さんのことを思い出したのか、うつむいた。
「村長の仇は絶対に俺が取ってやるから」
俺はメルンの赤い髪をそっと撫でた。
「……メルンも行く……」
「えっ……?」
「メルンとウララも一緒に行く」
「いや、危ないって」
「みんな、死んだ……メルン……ここにいても寂しい」
確かに、この子を一人でここには置いておけないか。
俺はまだ何も世界のことを知らないのかもしれない。海獣のこと、村のこと……レイナのこと。
でも、今はそれどころじゃない。
まずはレイナを助けないと――
「よしっ、行くか!」
「うん!」
俺はメルンの手を握り、洞窟から果てしない海へと飛び出した。




