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第9話:2人きりの秘密の場所


「アレン様、おやつ美味しかったね! よーし、次は俺のとっておきの秘密の場所に案内しちゃうぞー! 可愛いお魚を見に行こう!」


 お腹いっぱいになって満足している僕を見て、すっかり調子に乗ったカイルが、僕をまたひょいとおんぶした。

シラヌイおばあちゃんやレイラたちが「これ、カイル。あまりアレン様を連れ回して疲れさせるんじゃないよ」と呆れているのを後ろ目に、カイルは「大丈夫、すぐそこだから!」とヘラヘラ笑いながら、里のさらに奥へと軽い足取りで走っていく。


カイルの背中で揺られながら、漆黒の岩肌のトンネルをいくつか通り抜けると、急に視界がパッと開けた。

そこは、里の喧騒から少し離れた、ひっそりとした秘密の渓谷だった。

見たこともないくらい透き通ったエメラルドグリーンの大きな池があって、その周りには、朝の光を浴びてキラキラと輝く不思議な花がたくさん咲いている。

 池の縁にカイルが僕をそっと降ろすと、水面の下で、虹色に光る小さくて可愛いお魚たちが、たくさん群れをなしてスイスイと泳いでいるのが見えた。


(……わあ、すごい。きれいで、不思議な場所)


 僕は思わず目を輝かせて、池の水をのぞき込んだ。

奴隷商人の地下室には、濁った泥水しかなかった。こんなに透き通った綺麗な水と、光るお魚を見るのは生まれて初めてだ。

嬉しくなった僕は、いつもの癖でガリガリとノートに文字を書いた。


『カイル。この場所は視覚的な癒やし効果が非常に高く、生存環境としてきわめて優秀だ。お魚の色の配合も合理的で美しい。よくやった、褒めてあげる』


脳内でも『 カイル! お魚がきらきらしてる! すごい、すごーーいっ!! 』と、年相応にぴょんぴょん跳ねるくらい大はしゃぎして叫んでいた。

カイルは僕のノートを盗み見ると、嬉しそうに顔をふにゃふにゃにして、僕の隣に座り込んだ。


「あはは! アレンってば、頭の中でそんなに大興奮して喜んでくれてるのに、ノートにはやっぱり難しいお堅い言葉で書いちゃうんだね。でも、アレンが気に入ってくれて俺、本当に嬉しいよ!」


カイルが優しく僕の頭を撫でる。

あ、と僕は手を止めた。またカイル相手なのに、いつもの癖で脳内で喋りながらノートに全く同じことを書いちゃった。

僕はノートを閉じると、プイッとそっぽを向いて池の端っこに引きこもった。


『 ……うるさい。お魚がきれいだっただけだ。カイルのばか 』


脳内の声はツンツンと尖っているけれど、僕のからだから溢れた無色透明な魔力は、カイルの腕に嬉しそうにふわり、ふわりと温かく巻き付いていた。

カイルはそれを見て「も〜、照れてるアレンも世界一可愛い!」と抱きつこうとしてくる。僕はそれを小さな手で冷酷にペシッと制止しながらも、カイルの隣で静かにお魚を見つめ続けた。

 カイル以外はまだちょっと怖いけれど、カイルが隣にいて、こんなに綺麗な景色があるこの里なら、僕の小さな心をゆっくりと預けてもいいかもしれない。

静かな水面に僕とカイルの影がふたつ並んで揺れるのを、僕はノートをぎゅっと抱きしめながら、いつまでも静かに見つめているのだった。


 池の波紋をじっと見つめているうちに、僕の心の奥のほうから、ずっと蓋をしていた冷たくて暗い記憶が、ぽつり、ぽつりと浮かんできた。


綺麗な水。きらきら光るお魚。

それがあまりにもあの地下室とかけ離れていて、安全だと分かっているからこそ、いまなら言える気がしたんだ。

僕はカイルの服の裾を、小さな指でツン、ツンと引っ張った。


『 カイル……。あのね。ぼくがいた地下室はね、いっつも真っ暗で、すっごくカビ臭かったんだ 』


あたまの中に響いた僕の声は、自分でびっくりするくらい、ちいさくて震えていた。

カイルは僕を抱きしめようとした動きを止めて、僕と同じ目線になるように、静かに耳を傾けてくれた。


『 あいつらはね、ぼくを檻に入れて、毎日冷たい水をバシャッてかけて笑うんだ。耳が聞こえないから、何を言ってるか分からなかったけど、すごく汚い顔をしてた。……声を出して泣いたら、もっとひどいことをされるから、ぼく、ずーっとお口をギューッて閉じて、泣かない練習をしてたんだよ 』


脳内でぽつりぽつりと話しながら、僕の手元はやっぱり、いつもの習性でガリガリと動いていた。

ノートに『地下室は暗くて非合理的。泣くと殴られるから、声を出さない戦略をとった。生存のための合理的な判断だ』と、涙で歪みそうな文字をいっしょうけんめい書き殴っていた。


その文字を読んだ瞬間、カイルの大きな手が、僕のノートを包み込むようにそっと重ねられた。

カイルの頭の中から、いつもみたいなヘラヘラした気配は完全に消えていた。ものすごく心が痛くて、張り裂けそうで、アレンを今すぐ抱きしめて一生離したくないっていう、大きな、大きな温かい感情がなだれ込んでくる。

 

 カイルは僕の手から優しくペンを外すと、僕の小さな体を、壊れやすいガラス細工を扱うみたいに、ぎゅーーーっと優しく抱きしめてくれた。


「アレン……。頑張ったね。よく生きて、俺を待っていてくれたね。」


2人きりの秘密の場所。カイルの声が、耳ではなくあたまの芯に、涙声になって響く。


『 もう泣かない練習なんてしなくていいんだよ。声が出せなくたって、アレンの心の声は俺が全部、全部拾ってあげる。嫌なことがあったら頭の中で大声で怒っていいし、俺の悪口もたくさん言っていい。アレンがどんなにツンツンしてたって、俺は一生、アレンの『盾』だからね 』


カイルの胸の中は、おひさまみたいに温かかった。

奴隷商人の男たちが植え付けた「出来損ないのトカゲ」っていう冷たい呪いが、カイルの涙と温かさで、少しずつ溶けていくみたいだった。

僕はカイルの首元にギュウウウッと顔をうずめて、その大きな背中に小さな手をまわす。


『 ……カイル、泣き虫。お前は過保護で行き過ぎだし、泣き顔は非合理的だぞ。……でも、ぼくを見つけてくれて、ありがとう 』


脳内ではいつものようにツンツンと言い返してみせたけれど、僕はカイルの腕に「大好き」と伝えるように、今までで一番あったかく、ふわりと魔力を巻き付いていた。


 つらい過去は消えないけれど、カイルの隣にいれば、僕はもうあの暗い地下室に戻らなくていい。6歳の僕の小さな世界に、初めて本当の「安心」が満ちていくのだった。

 カイルの胸のなかで、溜まっていた冷たい記憶を全部吐き出したら、急にまぶたがものすごく重くなってきた。

張り詰めていた頭の糸が切れて、昨日からの旅の疲れがいっきに押し寄せてきたみたいだ。


 カイルは僕がトロンとした目をしているのに気づくと、「あはは、アレン、眠くなっちゃったね」と頭のなかで優しく笑って、僕をもう一度ゆっくりとおんぶし直してくれた。

カイルの広い背中は、おひさまの匂いがして、ぽかぽかと温かい。


(……カイルの背中、すごく安心する……。絶対に落ちないし、あったかい……)


僕はカイルの首元にしっかりと腕をまわして、カイルのマフラーの端っこを小さな指でぎゅっと握りしめた。

手元にあるノートを閉じる気力もなくなって、ただ胸の前にだいじに抱え込む。

カイルが池のほとりからゆっくりと歩き出すと、心地いいリズムで体がゆらゆらと揺れた。

虹色のお魚たちがスイスイ泳ぐ水の音(空気の震え)が、なんだか優しい子守唄みたいに感じられる。


『 カイル……ぼく、ちょっとだけ、休憩する……。お前、ぼくが寝ているあいだに、おひげのガイエンのところに行っちゃダメだからね……。ぼくの隣にいろよ……、ばか…… 』


あたまの中の声が、どんどん小さくなって、かすれていく。

脳内でツンツンと命令しながらも、僕の手元はもうガリガリと動くことはなかった。ノートを開く癖が出るよりも早く、深い、深い眠りのなかに落ちていったからだ。


小さな手が完全に力を失って、ノートが僕の胸のなかにパタンと倒れる。

カイルは僕の手から優しくペンを抜き取ると、頭のなかで、世界で一番優しい声を響かせてくれた。


『 うん、もう頑張らなくていいんだよ、アレン。ゆっくりおやすみ。俺がずっと、アレンのそばにいるからね 』


池の水面を吹き抜ける風が、僕の短い髪を優しくなでていく。

カイルにおんぶされたまま、僕は生まれて初めて、明日が来るのが怖くない、本当の、本当の深い眠りへと落ちていくのだった。


 カイルは背中から聞こえる小さくて規則正しい寝息を愛おしそうに聞きながら、主を起こさないように、いつもよりずっと、ずーっと静かにゆっくりとした足取りで、里の温かいお部屋へと歩き出すのだった。


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