第3話:黒竜の秘境ー1
びゅうびゅうと、刃物みたいに冷たい夜の風が僕の髪を揺らす。
カイルの大きな翼が羽ばたくたびに、漆黒の山脈がどんどん目の前に近づいてきた。
人間たちの町をはなれて、見えない壁(結界)を通りぬけた瞬間、まわりの空気がパッと変わった。世界に満ちる不思議な力が、信じられないほどに跳ね上がる。
カイルは僕を落とさないようにぎゅっと抱きしめ直すと、首のマフラーを少しだけ下げて、あたまの中に直接話しかけてきた。
『 アレン、ついたよ。ここが俺たちの家――「黒竜の秘境」だ 』
カイルが着地したのは、ゴツゴツした岩にかこまれた、ひろい隠れ里だった。
暗闇のなかで、たくさんの火がゆらゆらと揺れていて、僕たちの帰りを待っていたであろう竜族の人たちの影が並んでいるのが見える。
まわりはしんと静まりかえっていて、なんだかピリピリした空気がただよっている。
みんなの目が、いっせいにカイルのうでの中にいる僕にあつまる。
(……みんな、ぼくを見てる)
僕には声が出せないし、耳も聞こえない。だけど、相手がどんな目でぼくを見ているかは、だれよりもよくわかった。
うれしそうな人もいるけれど、「えっ、これが次の神様なの?」「すごく小さくて弱そう……」っていう、あやしむような会話や空気もたくさん混ざっている。
(……みんな、ぼくを『最高神』とか言ってるのは、なんの冗談? ぼくはただの、耳も聞こえなくて声も出ない、出来損ないのトカゲ族だよ。奴隷商人の男たちがいつもそう言って、地下室に閉じ込めていたもん)
僕はカイルの首に巻かれたマフラーを、小さな指でツンツンと引っ張った。
そして、じっと目の前のおじいさんたちを見つめながら、あたまの中でカイルに話しかけてみる。
『 カイル。あそこにいるおひげのおじいさんたちは、みんな勘違いしている。ぼくは神様じゃない。ただのトカゲ族だ。でも、ぼくを品定めするなら、こっちだって生きのこるために、あのおじいさんたちを品定めしてやる 』
脳内でカイルに話しかけながら、僕の手はやっぱり、いつもの癖でガリガリと動いている。
ノートに『ぼくは神様じゃない。ただのトカゲ族。でも、生きのこるためにあのおじいさんたちの弱点を見つける』と、いっしょうけんめい書き殴っていた。
その文字を見た瞬間、僕を抱っこしていたカイルの腕が、一瞬だけピクッと強張った。
カイルの頭の中から、いつもみたいなヘラヘラした気配が完全に消える。
ものすごく悲しくて、ものすごく怒っているような、だけど僕を絶対に傷つけたくないっていう、張り裂けそうな温かい感情が頭の中に流れ込んできた。
カイルは立ち止まると、僕を地面にそっと降ろした。
みんなも驚いて足を止める。
カイルは僕の前にひざをついて、僕と同じ目線になると、僕の両肩を大きな手で優しく、でもとても真剣に包み込んだ。
そして、僕のあたまの中に直接、まっすぐな声を響かせてくれた。
『 アレン。あいつらは、アレンの価値が何もわからない大バカ者だったんだ。アレンは出来損ないなんかじゃない。世界で一番きれいで、一番すごくて……俺が命を懸けて守る、たった一人の特別な存在なんだよ 』
カイルの目は、ちょっとだけ涙で潤んでいるみたいに見えた。
僕はカイルの真面目な顔に気羞ずかしくなって、脳内でぶつぶつ文句を言った。
『 ……カイルは、大げさだな 』
だけど、やっぱり手元は勝手に動いていて、ノートに
『お前は過保護で行き過ぎだ。でも、バカにされなかったのは、わるくない』と一生懸命に書き足していた。
それを見たカイルは、すぐに「あはは! またノートに書いちゃってる!」といつもの笑顔に戻って、僕の頭をクシャクシャに撫で回す。
自分が本当はどんなに気高い血を引いているのか、この時の僕はまだ何も知らなかった。
ただ、カイルが僕を「トカゲ族」としてではなく、一人の「アレン」として心の底から大切に思ってくれていることだけが、僕の小さな世界のすべてだった。
◇◇◇
カイルが僕のあたまをクシャクシャに撫で回していると、目の前から、地響きみたいな足音がズシン、ズシンと近づいてきた。
「おいカイル! 6年ぶりに帰ってきたと思えば、何だそのだらしない顔は!」
ものすごい大声(空気の震えでわかる)と一緒にやってきたのは、体がものすごく大きくて、怖い顔をしたおじいさんだった。カイルが「バザル親父、声が大きいよぉ」と嫌そうに耳を押さえる。
この怒りん坊の巨漢こそ、先代の黒竜の父親であり、元一族最強の老戦士、バザルだった。
バザルは、僕をじろじろとにらみつけると、ビリビリとしびれるような「覇気」を放ってきた。まわりの若い騎士たちが、ひぇっとなって一歩下がる。
だけど、僕はカイルの背中にぴたっと隠れて、冷たい目でバザルを見つめ返した。
(……なにあのおじいさん。急に怒って、すっごく非合理的。カイル以外のだれが喋りかけてきても、ぼくは絶対にノートも見せないし、お口もきいてあげないんだから)
僕はぷいっと横を向いて、完全にバザルを無視した。
カイル以外はぜんぜん信用していないから、ノートで筆談してあげるのだって頭の体力のむだづかいだ。
「ぬおっ!? ワシの覇気をまともに受けておきながら、怯えるどころか完全に無視だと……!? 6歳にしてこのワシを歯牙にもかけぬとは、なんという恐ろしい生存本能、なんという肝の据わり方だ! さすが最高神の後継者!」
バザルは、僕に無視されたのになぜかめちゃくちゃうれしそうに大笑いしだした。このおじいさん、ちょっとおばかなのかもしれない。
すると今度は、長いおひげを蓄えたもうひとりのおじいさんが、難しい顔をして一歩前に出た。まわりのみんなが「長老、ガイエン様……」と、緊張して道をあける。
ガイエンは、僕を疑うような目を向けて、カイルに向かって小難しく口を動かした。
「しかしバザルよ。アレン様からは白竜の魔力がまったく感じられんぞ。これでは本当に里の『竜脈』を任せられるのか……」
おひげの長老ガイエンが、僕をトカゲ族だからって見下したような目を向けた瞬間、僕のあたまの中のボリュームが最大になった。
『 カイル! あのおひげのガイエンってじいさん、ぼくのことをジロジロ見てうたぐってる! むかつく! ぼくがトカゲ族だからってバカにしてるんだ! 絶交してやるー!! 』
脳内ですごい勢いでギャーギャー怒りながら、僕の手元はやっぱりガリガリと動く。
ノートに『ガイエンはじいさんで大バカ者だ。カイル、あとであいつのご飯にめちゃくちゃ辛いお豆を入れておいて』と、とんでもない嫌がらせの指示をいっしょうけんめい書き殴っていた。
カイルは僕のノートを盗み見ると、ぶふっ!!と盛大に吹き出した。
『 アレン! 頭の中での悪口も、ノートの復讐計画も、俺に全部筒抜けだからね!? あとガイエン長老のご飯に勝手にお豆入れたら俺が怒られちゃうからダメだよぉ〜! 』
カイルのあわてた念話が頭に響く。
あ、と僕は手を止めた。またカイル相手なのに、いつもの癖でノートに同じことを書いちゃった。
僕は顔を真っ赤にして、ペチィィィン!!と勢いよくノートを閉じた。正式にカイルの背中につむじをギュウウウッと押しつけて、完全に引きこもる。
『 ……うるさい。手が勝手に動いただけ。カイルのばか。ガイエンもばか。ぼくはカイル以外だれともおしゃべりしないもん! 』
「あはは! も〜、ツンツンしてるアレン様も世界一可愛いよぉ〜!」と、みんなの前なのにだらしなく頬を緩めて抱きついてくるカイル。
最強の戦士バザルと長老ガイエンは、僕の「完全無視」と、カイルの「親バカ」の凄まじい温度差に、ただただ唖然とするばかりだった。




