第11話:掌返しの貢ぎ物
カイルの部屋に戻ると、僕はどっと疲れてベッドに倒れ込んだ。
(……なんなの、あのおひげのガイエンってじいさん。急に地面に頭をくっつけて。ぼくはただ、お掃除
をしただけなのに)
自分のちいさな手を見つめながら、やっぱりみんな頭がおかしいんだ、と結論づけようとしたその時だった。
部屋の扉がカチャリと開いて、ボサボサの髪の毛をした男がのそりと入ってきた。薬師のネフェル先生だ。
「おい、とんでもないお掃除担当のちびっ子。里中が大騒ぎだぞ。おかげで僕の静かな研究時間が台無しだ。」
ネフェル先生はひどく不機嫌そうな顔で、僕のベッドの横にある椅子にドカッと腰掛けた。
カイルが「よおネフェル、アレン様の凄さ、見た?」
とへらへら笑うと、ネフェル先生は「うるさい、お前の親バカを真に受けるつもりはなかったが……現実を見せつけられてはな」と吐き捨てる。
そして、ネフェル先生は僕をじろりと睨みつけてきた。僕はすかさず毛布を顎まで引き上げて、冷たい目で睨み返す。カイル以外はまだ信用していない。何か怪しいお薬を飲まされるかもしれないから、絶対に警戒を解かないぞ。
ネフェル先生は僕に触ろうとはせず、ただじっと、僕の瞳の奥を見つめてきた。
その偏屈な瞳は、アレンが「ただのお掃除」だと思い込んでいるあの力が、どれほど凄まじいものかを完全に理解しているようだった。
それと同時に、アレン自身がまだ自分の血筋について何も知らず、自分を「ただのトカゲ族」だと本気で思い込んでいる歪みも、すべて見透かしている。
言葉を一切使わない、二度目の、静かな目と目の探り合い。
(……この人、やっぱりぼくを『最高神』って崇めてこない。ガイエンみたいにハハァーッて跪かない。ただの『お掃除担当のちびっ子』として、ぼくを見てる)
それがなんだか、僕にとっては少しだけ居心地がよかった。
ネフェル先生はしばらく僕を見つめた後、フンと鼻を鳴らして、懐からいつもとは違う綺麗な琥珀色の薬瓶を取り出して机にポンと置いた。
「魂の摩耗を抑える特効薬の、さらに上級版だ。結晶の毒素を少し吸い込んでいるだろう。ご褒美に、苦味を完全に消して、昨日お前が食ったあのサクサクのお菓子の香りを混ぜておいてやった。」
(えっ……!?)
僕は驚いて目を丸くした。
あのお菓子の匂いがするお薬? そんなの、僕のためにわざわざ作ってくれたってこと……?
僕は大慌てでノートを開き、ガリガリと文字を書き殴った。
『ネフェル。お前は態度が生意気だが、お薬の味の計算だけは評価してあげる。でも、ぼくを騙そうとしても無駄だぞ』
脳内でも『 カイル! あいつ、ぼくがあのお菓子が好きって知ってたの!? 盗聴器でもついてるの!? 超きけんな男だーーーっ!! 』と、大パニックで叫んでいた。
カイルは僕のノートを見て、お腹を抱えて爆笑した。
『 あははは! アレン、盗聴器なんてついてないよ! ネフェルは口が悪いけど、アレンのことが心配で、アレンが飲みやすいように夜通しでお薬を改良してくれたんだよ〜! 』
カイルの念話を聞いて、僕はカッと顔が熱くなった。またカイル相手なのに、脳内で喋りながらノートに全く同じ悪口を書き殴っちゃった。
僕は勢いよくノートを閉じると、毛布を頭からすっぽりとかぶって完全に引きこもった。
『 ……うるさい。ネフェルがお節介なだけだ。カイルのばか。ぼくはもうお薬を飲んで寝る! 』
毛布の中でツンツンと怒ってみせたけれど、机の上の薬瓶からは、本当に昨日のみんなで食べた温かい焼き菓子の優しい香りがふんわりと漂っていた。
カイル以外はまだ信用しないって決めているのに、この里の大人たちは、僕の頑なな心を外側から少しずつ、お菓子やお薬の匂いで包み込んで溶かそうとしてくる。
僕は毛布の中で、貰った薬瓶をぎゅっと胸に抱きしめながら、この少しだけあったかい里の空気に、また一歩だけ心を預けてしまうのだった。
◇◇◇
ネフェル先生が作ってくれた、焼き菓子の香りがするお薬をゴクンと飲み干すと、からだの奥がポカポカとしてきて、疲れが嘘みたいに吹き飛んだ。
(……うん。お薬の調合だけは、とっても合理的だ。あの目つきの悪いお医者さん、ちょっとだけ見直してあげても――)
僕がベッドの上でそんなことを考えていた、その時だった。
ドンドンドンドンドンドンドン!!!
「アレン様ァァァーーー!!! 先ほどは大変な不敬を働き、申し訳ございませんでしたーーーっっっ!!!」
部屋の扉が壊れるんじゃないかっていうくらいの激しいノックと一緒に、廊下からおひげの長老ガイエンの大絶叫が聞こえてきた。カイルが「うわっ、ガイエン長老!? 朝から元気すぎでしょ!」と慌てて扉を開ける。
そこに立っていたのは、涙とお鼻の水をボロボロと流したガイエンだった。その後ろには、里の若い術師たちが、信じられないくらい大きな黄金のトレイを何十個も抱えてズラリと並んでいる。
「次代の最高神たるアレン様の御力を疑うなど、このガイエン、一生の不覚……っ! お詫びと言ってはなんですが、里で採れる最高級の果物と、一族に伝わる極上の御馳走を山ほど持ってまいりました! どうぞお納めください!!」
ガイエンの合図で、術師たちが部屋の中に次々と御馳走を運び込んでくる。
見たこともないくらい大きくてピカピカ光る虹色のリンゴ、ツヤツヤの甘いブドウ、湯気が立ち上る美味しそうな肉料理や山盛りのホカホカごはん。あっという間に、カイルの部屋の大きな机が、食べ物の山で埋め尽くされてしまった。
(な、なになに、なんなのこのおひげのおじいさん……っ!?)
さっきまで「本当に竜脈を任せられるのか」なんて難しい顔をしていたくせに、いまは僕の前にハハァーッて跪いて、まるで神様みたいに拝み倒してくる。そのあまりの変わりっぷりと、部屋を埋め尽くす食べ物の山に、僕は完全に圧倒されてしまった。
僕は大パニックになって、カイルの背中に音もなく飛びついた。
『 カイル!! あのおひげのガイエン、頭のネジが完全に消滅してる!! ぼくはただのお掃除しただけなのに、こんなにたくさんの果物を食べたらお腹が破裂して死んでしまう!! 過剰な配給は生存の危機であり、きわめて非合理的だーーーっ!!! 』
脳内ですさまじい悲鳴を上げながら、僕の手元はやっぱり大忙しで動く。
ノートに『ガイエンが狂ってしまった。ごはんの量が多すぎて非合理的だ。カイル、早くあのおじいさんを外につまみ出して!!』と、涙目でいっしょうけんめい書き殴っていた。
カイルは僕のノートを盗み見ると、お腹を抱えて「ぶはははは! 詰まってたお豆が全部出ちゃったみたいな謝り方だね!」と大爆笑した。
『 あははは! アレン、ガイエン長老は狂ってないよ! アレンが凄すぎて、もう完全にファンになっちゃったんだよ〜! 果物もごはんも、アレンが毎日ちょっとずつ食べれば大丈夫だからね! 』
「アレン様、どうぞお好きなものからお召し上がりください! 毎日、毎食、私が腕によりをかけて御馳走をお運びいたしますぞ!」と、ガイエンは涙を拭きながら目をキラキラ輝かせている。
声が出せない僕は、顔を真っ赤にして全力で首を横に振り、カイルの背中からガイエンに向けてノートをペシペシと突き出して「もういらない!」とアピールした。だけどガイエンには「おお……っ! ノートを振るお姿までなんと気高く愛らしい……! 術師一同、さらに精進いたします!」と、これまた狂信的な勘違いをされてしまう。
僕はもう限界になって、ペチィィィン!!と勢いよくノートを閉じると、カイルのマフラーを頭からすっぽりとかぶって引きこもった。
『 ……もう知らない! みんなおばかさんだ! カイルのばか! ガイエンもばか! ぼくはカイル以外だれともおしゃべりしないし、この果物もカイルがぜんぶ責任を持って食べてよねっ!! 』
脳内では激おこプンプンで叫んでいたけれど、カイルが「じゃあアレン様、この一番おいしそうな虹色リンゴ、俺が小さく剥いてあげるね」と優しく声をかけてくれると、マフラーの隙間からこっそり覗いた御馳走の山がちょっとだけ美味しそうで、僕は毛布の中でごくりと唾を飲み込むのだった。




