第九十五話:魔導炉、起動
――ゴウン。
魔導炉の奥深くから、重い音が響いた。
床が揺れる。
壁面に刻まれた古代文字が、ひとつ、またひとつと青白く輝き始めた。
「……アルテ。これは、かなりまずいんじゃないのかい?」
シャルロッテが、珍しく尻尾をぴんと立てていた。
「わかってる!」
アルテは操作盤に向き合い、浮かび上がった文字を必死に読み取っていた。
血統認証は完了。
接続準備も完了。
そして、次に表示されているのは――。
「魔力供給……開始?」
アルテの顔が引きつった。
「待って。誰が供給を開始したんだよ!」
「古代人じゃないか?」
「今、ここに古代人はいないでしょう!」
「アルテがいるぞ?」
「そういう意味じゃないわ!」
レイラの返答に怒鳴り返した、その瞬間だった。
魔導炉の中央にある結晶が、強烈な光を放った。
青白い光が円筒形の装置を駆け上がり、天井へと伸びていく。幾重にも刻まれた溝が一斉に輝き、巨大な装置の内部で何かが回転し始めた。
――ゴウンッ!
先ほどよりも大きな振動。
シャルロッテが壁に手をつき、体勢を立て直す。
「アルテ! これ止められないのかい?」
「止める方法を探してるよ!」
アルテは操作盤の表面を素早く確認した。
停止。
遮断。
解除。
それらしい文字を探すが、見つからない。
そもそも、表示されている文字のすべてを理解できているわけではないのだ。
「……どうして、起動手順しか表示されないんだよ!」
「安全装置がないのではないか?」
「そんなわけないでしょう!」
「でも、止まらないぞ?」
「わかってるよ!」
アルテは操作盤の脇にある結晶板へ手を伸ばした。
魔力を流さないように注意しながら、指先で触れる。
反応はない。
別の板に触れてみる。
こちらも何も起こらない。
「……駄目だ。認証が終わった時点で、何かの処理が自動的に始まっているんだ」
「なら、魔導炉を直接叩けば止まるのではないか?」
「姉さんは絶対に触らないで!」
レイラは、すでにメイスを肩に担いでいた。
「まだ叩いていないぞ」
「叩く気だったでしょう!」
「いや、止めるためなら仕方ないと思ってな」
「仕方なくないわ!」
アルテの怒声が響いた。
だが、その声をかき消すように、魔導炉が再び唸った。
――ゴオオオオッ!
中央の結晶が輝きを増す。
床の溝を走る光が、装置の外側へ広がっていった。
まるで、巨大な船全体に血が巡り始めたかのようだった。
◇
船内の別の場所で、眠っていた照明が次々と点灯した。
長い通路の壁面。
閉ざされた隔壁の縁。
床に刻まれた案内表示。
それらが、ひとつずつ光を取り戻していく。
暗闇の中に沈んでいた船が、数千年の眠りから目覚めようとしていた。
「……船全体に、魔力が流れている?」
シャルロッテは、周囲の変化を見ながら呟いた。
「そう考えるのが自然だね」
アルテは答えたが、その表情は険しい。
「魔導炉は、単に動力を生み出す装置じゃない。船内の各機構へ魔力を供給するための中枢なんだね。」
「ということは、今まで動かなかった装置も?」
「ええ。順番に復旧している可能性があるね」
その言葉を裏付けるように、遠くで金属音が響いた。
――ガコン。
続いて、どこかの隔壁が開く音。
さらに、低い駆動音が船内を伝わってきた。
「……ねえ、アルテ」
シャルロッテが声を落とした。
「私たち、船の中にいるんだよね?」
「そうよ」
「この船、どれくらい大きいんだい?」
「相当な規模だね。内部はまだ調べきれていないけれど、この島くらいか、それとも…」
「つまり?」
「つまり、何がどこまで動き始めたのか、わからないということよ」
「……帰り道は?」
「確保してあるわ」
「本当に?」
「たぶん」
「アルテ!」
「今は、調査したときより状況が変わっているの! 絶対に大丈夫だとは言えないでしょう!」
シャルロッテは、深く息を吐いた。
商人として、危険な取引を経験したことは何度もある。
だが、危険性がわからないものほど、始末に負えないものはない。
まして、相手は古代文明の遺産だ。
価値を計算することも、損失を見積もることもできない。
「……とにかく、船の外へ出る準備をしようか。これ以上何かが起きる前に」
「そうだね」
アルテも頷いた。
そのとき。
「おーい! 二人とも!」
レイラが、通路の先から声を上げた。
「今度は何よ!」
「大変だ!」
「だから、何が!」
「船の外が見えるぞ!」
アルテとシャルロッテは顔を見合わせた。
◇
三人が通路を抜けた先には、大きな窓のある区画が広がっていた。
いや、窓と呼ぶには大きすぎる。
壁面の一部が透明な素材でできており、外の景色を一望できる構造になっていた。
その向こうに見えるのは、島の地下に広がる巨大な空間。
そして、そのさらに奥には、海水の流れる水路が見えた。
「……こんな場所があったのね」
アルテは息を呑んだ。
今まで歩いてきた通路とは違う。
この区画は、船内の状況を確認するために設けられた場所なのかもしれない。
壁面には、見慣れない表示装置が並んでいた。
そのひとつに、島の地形らしき図が浮かび上がっている。
ただし、表示されているのは地表だけではなかった。
地中に広がる空間。
複数の通路。
そして、巨大船を取り囲むように配置された、いくつもの区画。
「……船の周囲にも、施設がある?」
アルテは表示を見つめた。
今まで発見していた地下遺跡は、この巨大な構造の一部にすぎなかったのだろうか。
それとも、船そのものが地下施設と一体化しているのか。
まだ、わからない。
だが、ひとつだけ確かなことがあった。
魔導炉が起動したことで、今まで見えなかったものが、少しずつ姿を現し始めている。
「アルテ、あれを見ろ」
レイラが窓の向こうを指さした。
島の地下に並ぶ、巨大な金属扉。
そのうちのいくつかが、ゆっくりと開き始めていた。
「……まさか」
アルテの顔色が変わる。
「魔導兵の格納区画……?」
彼女はすぐに表示装置へ向き直った。
表示されている区画のひとつが、点滅している。
その脇には、見覚えのある紋様があった。
魔導兵の認証に関わる記号。
そして、その下に浮かび上がった文字。
「……起動準備?」
アルテは、ゆっくりと息を呑んだ。
◇
島の地下深く。
整然と並んだ白い装甲の魔導兵たち。
そのうちの一体の単眼に、かすかな光が灯った。
続いて、隣の一体。
さらに、その隣。
青白い光が、列をなして広がっていく。
眠りについていた千五百体の魔導兵が、主の帰還を待ち続けた施設で、再び反応を示し始めていた。
その変化は、まだ限定的だった。
全機が動き出したわけではない。
だが、魔導炉から供給される魔力が、彼らの休眠機構に届き始めている。
そして、その認証先は――。
アルテ。
◇
「……止めなきゃ」
アルテは呟いた。
魔導炉の起動だけでも大問題だ。
そこに魔導兵まで連動しているとなれば、事態はさらに深刻になる。
「シャルロッテ、船内の制御系統を調べてみるよ。魔導炉への供給を遮断できれば、少なくともこれ以上の起動は防げるはず」
「わかった。私は出口への経路を確認する」
「姉さんは――」
「魔導兵を見に行く!」
「行かないで!」
「でも、あいつらが起きるんだろう?」
「起きるかもしれない、という段階よ!」
「なら、起きる前に挨拶しておいたほうがいい!」
「何の挨拶よ!」
レイラは真剣な顔で答えた。
「久しぶり、って」
「姉さん!」
アルテの叫びが、船内に響き渡った。
だが、レイラはもう走り出していた。
「待ちなさい! 勝手に動かないで!」
アルテが追いかけようとした、その瞬間。
船内に、低く澄んだ音が響いた。
――ポーン。
三人の頭上にある壁面表示が、一斉に切り替わる。
古代文字が流れ、複数の紋様が点灯する。
その中に、アルテにも読み取れる文字があった。
魔力供給。
船内制御。
そして――。
「……主認証、完了?」
アルテの声が震えた。
その直後、船全体が大きく揺れた。
――ゴオオオオオッ!
魔導炉から放たれた光が、船内のあらゆる通路へと広がっていく。
壁面の照明が一斉に点灯。
隔壁が次々と開き、停止していた機構が動き出す。
船は、完全に目覚め始めていた。
「……嘘でしょう」
アルテは呆然と立ち尽くした。
魔導炉の起動を止めるどころか、船の機能を次々と復旧させてしまったのだ。
しかも、魔導兵まで反応している。
自分の血が、この古代の船にとって何を意味するのか。
今はまだ、わからない。
だが、少なくともひとつだけ確かなことがあった。
これは、単なる遺跡調査では済まない。
◇
同じ頃。
ラポルナの領主館では、ラインが夕食の献立を確認していた。
「今日は魚か……」
焼き魚。
野菜のスープ。
そして、少しばかりのパン。
豪華ではないが、十分な食事だ。
何より、余計な仕事がない。
素晴らしい。
この平穏が、明日も続いてくれればいい。
ラインは、そう願った。
その瞬間。
窓の外で、かすかな光が瞬いた。
「……ん?」
ラインは顔を上げた。
遠い空の向こう。
一瞬だけ、青白い光が走ったように見えた。




