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第九十四話:安全装置というものを知っていますか?

 魔導炉の中央にある結晶に、小さな光が灯っていた。


 ほんの一瞬のことだった。


 だが、アルテは見逃さなかった。


「……今、光ったよね?」


「光ったな!」


 レイラが元気よく答えた。


「姉さん、少し黙っていて」


「なぜだ!? 私も見ていたぞ!」


「見ていたことと、役に立つことは別なの!」


 アルテは操作盤に向き直った。


 先ほどまで沈黙していた金属板には、細い青白い線が浮かび上がっている。複雑に絡み合った線は、中央の紋様を起点として、まるで血管のように表面へ広がっていた。


 もっとも、光は弱い。


 魔導炉全体が稼働しているわけではなさそうだった。


「シャルロッテ。何か変化は?」


「周囲の魔力に、わずかな変動を感じみたいだけど、今のところ大きな変化ではないねぇ」


「そう……」


 アルテは安堵するよりも先に、操作盤の文字を読み取ろうとした。


 古代文字のすべてを理解できるわけではない。だが、何度も見てきた記号の中には、意味を推測できるものもある。


 これは認証。


 こちらは供給。


 そして、この紋様は――。


「……接続?」


 アルテは呟いた。


「何と何を接続するんだ?」


「わからない。でも、この操作盤は魔導炉そのものを動かすというより、何か別の系統に接続するための装置なのかもしれない」


「じゃあ、もっと触ってみよう!」


「駄目!」


 レイラの手が伸びるより早く、アルテは操作盤の前に立ちはだかった。


「レイラ姉さんはどうしてそう何でもかんでも触りたがるの!」


「だって、光ったんだぞ!」


「だから何なの!」


「もっと触ったら、もっと光るかもしれない!」


「…子供なの!?」


 アルテの声が、広い空間に響き渡った。


「ムッ!私は子供じゃないぞ!むしろ武人だ!」


「もう意味わかんないよ…」


 シャルロッテは、こっそりとレイラから距離を取った。


 この場で最も危険なのは、古代の魔導炉ではない。


 好奇心を持て余した姉かもしれなかった。


◇


「まずは、周囲の装置を確認するわ」


 アルテは気を取り直し、操作盤の下部を調べ始めた。


 金属板の脇には、細長い溝が三本並んでいる。それぞれの奥には、薄い結晶板のようなものが見えた。


 結晶板には、微細な文字が刻まれている。


「これは……操作の順番かしら?」


「読めるのか?」


「断片的にね。少なくとも、三つの工程があるように見えるわ」


 アルテは指先で、順番に結晶板を示した。


「認証。供給。接続……。たぶん、この順番で何かを起動させる仕組みなんだと思う」


「つまり、認証して、魔力を供給して、何かを接続する?」


「そう考えるのが自然ね。でも、まだ断定はできないわ」


 シャルロッテは腕を組んだ。


「その三つをすべて実行した場合、どうなるんだ?」


「魔導炉が動き始める可能性はあるわね」


「可能性、か」


「ええ。別の装置を起動するだけかもしれないし、船全体の制御系統を復旧させるのかもしれない。あるいは、何も起きないかもしれない」


「……何も起きない可能性に期待したいところだな」


「私は期待していない!」


 アルテは即答した。


「そんなわけがないでしょう。これほどの装置が、いったい何のために作られたのか。何を動かし、どんな技術を使っているのか。確かめないまま帰るなんて、できるはずがないわ」


「アルテ」


「わかってる。危険があることもね」


 アルテは、シャルロッテを真っすぐ見た。


「だから、手順を確認しているんだよ。むやみに動かすつもりはないからね。」


 その言葉に、シャルロッテはひとまず頷いた。


 少なくとも、今のところは。


     ◇


「おーい! こっちにも何かあるぞ!」


 またしても、レイラの声が響いた。


 アルテは目を閉じた。


「……レイラ姉さん」


「今度は何もしていない!」


「その台詞、もう信用できないよ!」


「本当だぞ!」


 レイラの声は、魔導炉の反対側から聞こえてくる。


 アルテはシャルロッテと顔を見合わせた。


 二人は無言で歩き出した。


 魔導炉の裏側には、船体の壁面に沿って細い通路が続いていた。その先に、小さな制御卓のようなものが設置されている。


 レイラは、その前で腕を組んでいた。


「ほら、これだ」


「……何を見つけたの?」


「椅子のところと似たような模様がある」


 制御卓の表面には、操舵室で見つけたものとよく似た紋様が刻まれていた。


 中央には、掌ほどの大きさの窪みがある。


 アルテは慎重に近づき、周囲を観察した。


「これは、魔力を認識するための場所かもしれないね」


「じゃあ、手を置けばいいんだな?」


「まだ駄目!」


 アルテが止めようとした、そのときだった。


「いや、置いていないぞ」


 レイラが両手を上げる。


「ただ、どれくらい深いのか気になってな」


「……それで?」


「指を入れた」


「何でよ!」


「窪みがあったから!」


 アルテは、もはや言葉を失った。


 レイラは悪びれもせず、制御卓を指さす。


「でも、指を入れたら、何かが動いたんだ」


「何が?」


「さあ?」


「さあ、じゃないでしょう!」


 アルテは制御卓に視線を向けた。


 だが、窪みの奥には何の変化もなかった。


 光も、音も、魔力の流れもない。


「……何も起きていないわよ」


「おかしいな。さっきは確かに――」


「姉さん、指を抜いて」


「もう抜いているぞ」


「そうじゃなくて、もう一度、ゆっくり触れてみて」


「いいのか?」


「私が見ているから。窪みに指を入れて」


「よし!」


 レイラが指先を差し込む。


 しかし、制御卓は沈黙したままだった。


 レイラが指を動かしても、押しても、窪みの奥を探っても、何の反応もない。


「……本当に何も起きないね」


「なぜだ!?」


「私に聞かないでよ!」


 レイラは不満そうに指を抜いた。


「さっきは動いたんだぞ!」


「姉さんが触ったから動いたとは限らないでしょ。別の場所で、何かが反応しただけかもしれない」


「では、私がもう一度触れば――」


「駄目よ。何度触っても同じだよ」


 アルテは制御卓を調べながら、ふと眉をひそめた。


 窪みの縁に、細かな古代文字が刻まれている。


 先ほどまでは暗くて見えなかったが、アルテが近づくと、その文字の一部が淡く浮かび上がった。


「……血統認証?」


「血統、か?」


 シャルロッテが身を乗り出す。


「ええ。正確には、古代人の血を引く者だけが認証を通過できる仕組みみたい」


 アルテは、レイラを見た。


「姉さん。もう一度、触ってみて」


「また私を実験台にするのか?」


「いいから」


 レイラは渋々、窪みに指を入れた。


 やはり、何も起きない。


 光も灯らず、紋様も浮かばず、魔力の流れも生じない。


「……ほらな!」


 レイラは胸を張った。


「私が触っても何も起きない!」


「威張ることじゃないでしょ」


「だが、これで私が犯人ではないと証明されたな!」


「犯人扱いされるようなことをした自覚はあるんだね」


「それは……まあ、少しだけ」


 アルテは小さくため息をついた。


 装置は、レイラを認証していない。


 つまり、先ほど魔導炉に灯った光は、レイラの行動によるものではなかった。


 では、何が原因だったのか。


 アルテは、制御卓の窪みに視線を落とした。


「……私が触れてみるわ」


「アルテ、危険じゃないか?」


「危険かどうかを確かめるためにも、必要な事だよ」


「私が駄目だったんだから、アルテも駄目かもしれないぞ」


「どうしてそこで張り合うんだよ。」


 アルテは窪みの前に立った。


 指先を伸ばす。


 触れる直前、古代文字の一部が、かすかに明滅した。


 アルテが指を入れた瞬間。


 制御卓の奥で、澄んだ音が鳴った。


 ――カチリ。


 レイラのときには何も起きなかった窪みに、青白い光が走る。


 紋様がひとつ、またひとつと浮かび上がり、制御卓全体へ広がっていった。


「……え?」


 アルテは息を呑んだ。


 レイラが触れても沈黙していた装置が、彼女の指先に反応している。


 しかも、ただの反応ではない。


 古代文字が次々と点灯し、認証の進行を示していた。


「認証……開始?」


 アルテは表示を読み取った。


 その直後、魔導炉のある方向から、低い振動が伝わってくる。


「アルテ。これは……」


「私を認識している」


 アルテは、自分の指先を見つめた。


「この装置は、古代人の血を引く者でなければ起動できない。私の血が、鍵になっているんだわ」


「つまり、私では駄目だったということか?」


「そういうことだね」


「なぜだ!? 私たちは姉妹だぞ!」


「……義理のね」


「納得できん!」


「いやそこは納得して!」


 レイラが抗議している間にも、制御卓の光は強くなっていく。


 アルテは慌てて指を抜こうとした。


 だが、窪みの周囲から淡い光の輪が広がり、指先を固定していた。


「抜けない……!」


「アルテ!」


「大丈夫。痛くないから」


 痛みはなかった。


 ただ、指先から何かが吸い上げられているような感覚がある。


 血ではない。


 魔力とも少し違う。


 もっと深いところにある、彼女自身の存在を読み取られているような感覚だった。


 制御卓の表面に、古代文字が浮かび上がる。


「血統認証……完了」


 アルテの顔から、血の気が引いた。


「……まずいね」


「何が起きているんだ?」


「船の認証が終わった。次の工程へ移ろうとしている」


「次の工程とは?」


 アルテは表示を読み取った。


 認証の下に、新たな文字が浮かび上がっている。


「魔力供給……接続準備……」


「それは、魔導炉が動き始めるということか?」


「まだ本格起動ではないわ。でも、このまま進めば、魔導炉の制御系統に接続される可能性が高い」


「止められないのか?」


「止める!」


 アルテは空いている手で、制御卓の周囲を探った。


 停止を示す記号はない。


 解除のための操作も見つからない。


 認証を取り消す方法も、どこにも表示されていなかった。


「どうして……? 認証しただけなのに、どうして自動で進むんだよ!」


「安全装置がないんじゃないか?」


 シャルロッテが呟いた。


「古代人にしか起動できないこと自体が、安全装置なのかもしれない」


「それは安全装置とは言わないでしょ!」


 アルテが叫んだ。


「ただの使用者限定特約でしょ!」


 その声に反応したのか、制御卓の光が一段と強くなり、アルテの指先を固定していた光の輪が消える。


 ようやく指を抜くことができた。


 だが、認証は解除されていない。


 制御卓の紋様は、ひとつずつ魔導炉の方向へ光を送り始めていた。


「アルテ、離れて!」


「待って!」


 アルテは制御卓に手をかざした。


 触れてはいない。


 それでも、彼女の手のひらに反応して、紋様が明滅する。


 その瞬間、魔導炉の中央にある結晶が、先ほどよりも強く輝いた。


 レイラが触れても何も起きなかった。


 だが、アルテが触れたことで、装置は明確に目を覚まし始めている。


「ここでも私が鍵なんだね」


 アルテは呟いた。


「私が触れたから、起動手順が進んでいる」


「ならば、もう一度触れて止めればいいのではないか?」


「そんな簡単な話なら苦労しないわ!」


 アルテは操作盤へ向かって走り出した。


 シャルロッテが続き、レイラも慌てて後を追う。


「おい、アルテ! 私、何もしていないぞ!」


「わかってる!」


「本当にか!?」


「姉さんが触っても何も起きなかったことは、もう十分わかったよ!」


「なら、私のせいではないな!」


「今は責任の話をしていないの!」


◇


 魔導炉の前に戻ったとき、装置には明らかな変化が起きていた。


 中央の結晶に灯っていた光が、先ほどよりも強くなっている。


 周囲の溝にも、青白い光が細く走っていた。


 操作盤の表面には、新たな紋様が浮かび上がっている。


 アルテは、そこに刻まれた文字を必死に読み取った。


「血統認証……完了」


 その下には、魔力の供給を意味する記号が浮かんでいる。


 さらに、その先には――。


「接続準備……?」


 アルテの喉が鳴った。


 認証は、彼女の血によって成立した。


 レイラが触れても何も起きなかったのは、装置が古代人の血を引く者だけを鍵として認めているからだ。


 そして今、その鍵によって起動手順が進んでいる。


「どうして……?」


 アルテは操作盤に手をかざした。


 触れてもいないのに、紋様が一度だけ明滅した。


 その瞬間、床の奥から低い振動が伝わってきた。


 ごく微かなものだった。


 だが、確かに何かが動いている。


「アルテ……」


 シャルロッテが、慎重に声をかけた。


「これ、止められるのか?」


「……まだ、わからない」


 アルテは操作盤を見つめた。


 先ほどまでなら、調査を中断して帰るという選択肢もあった。


 だが、今は違う。


 彼女自身が、魔導炉を起動するための鍵になっている。


 何が動き始めたのかもわからない。


 どこまで起動手順が進んでいるのかもわからない。


 そして、何をすれば止められるのかもわからない。


「……とにかく、これ以上は進ませない」


 アルテは、操作盤の周囲にある紋様を調べ始めた。


 ひとつずつ、慎重に。


 しかし、彼女が手を伸ばした先で。


 中央の結晶が、もう一度、強く輝いた。


 低い振動が、今度ははっきりと足元を揺らした。


 そして、魔導炉の奥深くから。


 何かが目を覚ますような、重い音が響いた。


 ――ゴウン。


 三人は、同時に動きを止めた。


「……今の、何?」


 レイラが珍しく小さな声で尋ねた。


 アルテは答えられなかった。


 魔導炉の光は、消えていない。


 むしろ、少しずつ強くなっている。


 彼女は初めて、自分が取り返しのつかないものに触れてしまった可能性を考えた。


 そして、その考えを振り払うように、操作盤へ向き直った。

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