査察官と、隠し事だらけの村
査察二日目。
俺は朝から、人生で最も面倒な案内役を務めていた。
「では、まず農地を確認します」
「……はい」
「どうしてそんなに疲れた顔をしているの?」
「気のせいだ」
「昨日も同じことを言っていたわね」
セシリア・フォン・アルテンブルク。
査察官にして、士官学校時代の同期。
そして、俺の平穏な隠居生活を陰ながら支えてくれていた、数少ない旧友でもある。
彼女はオルティジア王国が解体された後、帝国へ戻り、皇帝付きの官僚になった。
俺は、オルティジア王国が解体された後、帝国領の片田舎で捨て扶持をもらいながら、ひっそり暮らしている。
……本来なら、それで終わるはずだった。
ところが、余った野菜を売ったら評判になり、村の女性たちが踊り始めたら近隣の町で話題になった。
おかげで、こうして査察官がやってきたわけだ。
もっとも、彼女が来ることになった事情には、俺の知らない部分もあるらしい。
「とにかく、余計なことは言わないでくれよ」
「それは私に言っているの?」
「村人たちにだ」
「……ああ」
セシリアは、何かを察したようにうなずいた。
俺も、彼女も、まだ知らなかった。
この村で最も警戒すべきなのは、査察官でも帝国でもなく、村人たちの善意だということを。
◇
「こちらが、村の農地です」
俺は畑を指し示した。
広さは大したことがない。
農具もごく普通。
特別な灌漑設備があるわけでもなく、村人たちが日々手入れをしているだけだ。
「見たところ、一般的な農村と変わりませんね」
「そうだろ?」
「なのに、なぜ通常より品質の高い農作物が育つのかしら」
「土がいいんじゃないか?」
「土壌の分析結果は、特別なものではなかったわ」
「……そうか」
知らん。
常設魔力炉の影響だとか、植物同士の相性だとか、いろいろ理由はあるのだろうが、俺だって全部を把握しているわけではない。
すると、畑仕事をしていた村人が、こちらに気づいて駆け寄ってきた。
「おお、査察官様! ちょうどいいところに!」
「何か?」
「この畑は、ライン様の深遠なる知恵によって、五行の調和が保たれているのです!」
「……は?」
俺は村人を見た。
何を言っているんだ、こいつは。
「土、水、風、火、そして光! それらの均衡が、作物に奇跡をもたらすのです!」
「いや、そんなことはしてないぞ」
「ご謙遜を!」
「本当にしてない!」
セシリアが、眉をひくつかせながら、ゆっくりと俺に顔を向けた。
「五行の…調和?」
「村の祭りで使った言葉が、独り歩きしているだけだ」
「……祭り?」
「……説明すると長くなる」
「ぜひ、後で詳しく聞かせてちょうだい」
しまった。
余計な興味を持たせてしまった。
俺は村人を睨んだが、本人は誇らしげに胸を張っている。
どうしてこうなった。
◇
次は商取引の確認だった。
シャルロッテが用意した帳簿には、野菜の収穫量、販売量、取引先、運搬費用、農家への分配額が整理されていた。
さすがは商人だ。
俺が適当に済ませようとしていた話を、きちんと仕組みにしてくれている。
セシリアは帳簿をめくりながら、何度もうなずいた。
「取引量は少ないけれど、記録は明瞭ね。無理な増産もしていない……」
「畑が小さいからな」
「その割に、買い手は増えているわ」
「味がいいらしい」
「それだけで、ここまで注目されるものかしら」
「料理人が喜んでいるなら、それでいいだろ」
セシリアは俺をじっと見つめた。
「あなた、本当に何も考えていないの?」
「失礼だな。俺だって、何も考えていないわけじゃない」
「では、なぜ供給量を意図的に抑えているの?」
「抑えているんじゃない。作れる量に限界があるんだ」
「なるほど。希少価値を維持するために、無理な供給拡大を避けているのね」
「違うって言ってるだろ!」
帳簿を抱えたシャルロッテが、横から口を挟んだ。
「まあまあ、査察官さん。坊やは本当に、畑を広げる気なんてないんだよ」
「シャルロッテさん…」
セシリアの眉が動いた。
シャルロッテは、面白そうに笑う。
「あら、知らなかったのかい? この子、昔からこういう調子なんだよ。本人は何もしていないつもりなのに、周りが勝手に騒ぎを大きくするのさ」
「……それは、よく知っています」
セシリアの声が、妙に冷たかった。
「士官学校時代から、ずっとそうでしたから」
「へえ。坊やの昔話、今度ゆっくり聞かせておくれよ」
「必要ありません!」
なぜか、セシリアが怒った。
俺は関係ないはずなのに、胃が痛くなった。
◇
昼過ぎ。
セシリアは村の中央に設置された常設魔力炉を調べていた。
石造りの建屋の中には、魔力を安定して供給するための装置が収められている。
村の生活を支える設備だが、構造そのものは古い。
俺も、詳しい仕組みまでは知らない。
「これが、村の魔力供給を担っている設備ね」
「ああ。少なくとも、俺が来る前からあったらしい」
「管理記録は?」
「残っている分は、管理人が保管している」
セシリアは装置の外装を確認し、記録と照合した。
その手つきは慎重だった。
公務に臨む彼女は、昔からこうだ。
疑問を見つけたら、納得するまで調べる。
「……一部の構造が、現行の魔力炉とは違うわね」
「古い設備だからな」
「古いだけでは説明できない部分もあるわ」
彼女は、装置の側面に刻まれた紋様を見つめた。
その表情が、わずかに変わった。
「この刻印……」
「何か分かるのか?」
「いいえ。今はまだ」
セシリアは記録帳に刻印の形を書き写した。
俺は、それ以上聞かなかった。
古代の設備なんて、専門家に任せるべきだ。
下手に首を突っ込んで、面倒事が増えるのはごめんだった。
ところが、彼女は俺の顔を見て、ふと尋ねた。
「ライン。あなた、この魔力炉について、どこまで知っているの?」
「村の生活に必要な設備だってことくらいだ」
「本当に?」
「何が言いたい?」
「……いえ。何でもないわ」
セシリアは視線を戻した。
だが、その目には、先ほどまでとは違う疑念が浮かんでいた。
*
最後に案内したのは、村の広場だった。
そこでは、ラポルナセブンが練習をしていた。
「みんなー! 今日は新しい振り付けをやってみよう!」
ニナの明るい声が響く。
「右、左、前に踏み込んで――ソイヤッ!」
「「「ソイヤッ!」」」
レイラの動きは相変わらず力強く、村の女性たちは楽しそうに声を合わせていた。
マールも、小さな手足を一生懸命に動かしている。
セシリアは、その光景を黙って眺めていた。
「……これは、何の訓練なの?」
「訓練じゃない。踊りだ」
「本当に?」
「本当だ」
「なぜ、あんなに動きがそろっているの?」
「レイラが熱心に教えているからだろ」
そのとき、ニナが俺たちに気づいた。
「あっ、ライン! セシリアさんも一緒?」
「ニナ、知り合いだけど一応今は査察官殿だからな!余計なことは言わないように!」
「はーい分かったぁ!」
ニナは元気よく返事をした。
そして、セシリアに向き直る。
「この踊りは、ラインが考えた五行調和の儀式なんだよ!」
「おい!」
「土と水と風と火を調和させて、村のみんなを元気にするんだって!」
「そんな説明はしてない!村の伝統の踊りだろうが!」
セシリアの目が、すっと細くなった。
「……五行調和の儀式。農地の話と一致するわね」
「一致してない! 村人が勝手に言っているだけだ!」
「では、なぜ皆が同じ説明をするの?」
「知らん!」
ニナは首をかしげた。
「え? 違うの?」
「違う!」
「そっかー。じゃあ、もっと練習しておくね!」
「何をだよ!」
ニナは笑顔で練習に戻っていった。
セシリアは、しばらく広場を眺めていた。
やがて、静かに口を開いた。
「……この村、隠し事が多すぎない?」
「俺もそう思う」
「あなたが言うの?」
俺は答えられなかった。
◇
夕方。
査察を終えたセシリアは、宿へ戻る前に俺を呼び止めた。
「少し、二人で話せる?」
その声を聞いて、俺は周囲を確認した。
村人の姿はない。
アルテも、シャルロッテも、今は別の場所にいる。
「……何だ?」
セシリアは小さく息を吐いた。
「正直に答えて。あなた、この村に来てから、何か古代技術に関わるものを見つけた?」
「急にどうした」
「魔力炉の刻印よ。あれは、私が以前、帝国の資料室で見た古代技術の記録に似ているの」
俺は黙った。
「それに、農地の異常な生育。村人たちの妙な説明。歌と踊りの流行。どれも単独なら、珍しい話で済むかもしれない。でも、同じ場所で重なっている」
「偶然だろ」
「そうかもしれないわね」
セシリアは、俺から目をそらさなかった。
「でも、あなたは昔から、古い記録や遺物に妙に詳しかった。士官学校でも、誰も気づかなかった資料の矛盾を見つけたことがあったでしょう?」
「あれは、暇だったから読んでいただけだ」
「あなたは、いつもそう言う」
彼女の声が少しだけ柔らかくなった。
「私は、あなたを疑いたくて来たわけじゃないの」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「……どういう意味だ?」
「野菜の評判が広がって、村の踊りまで近隣で話題になり始めた。報告が帝国側に届くのも時間の問題だった。私は、あなたが余計な疑いをかけられる前に、自分で実態を確認したかったのよ」
「お前が、俺を守るために?」
「勘違いしないで。査察官として必要な判断をしただけ」
「……そうか」
「そうよ」
セシリアは顔を背けた。
「それに、あなたがまた何か大きな問題に巻き込まれていたら、放っておけないでしょう」
最後の一言は、小さかった。
俺は、しばらく何も言えなかった。
オルティジア王国が解体されてから、俺はできるだけ人との関わりを避けてきた。
昔の知り合いに迷惑をかけたくなかったし、何より、もう政治や軍事に関わりたくなかった。
それなのに、彼女は今も俺を気にかけてくれていたらしい。
「……悪かったな」
「何が?」
「いろいろと」
「本当に分かっているの?」
「たぶん」
「あなたって人は……」
セシリアは呆れたように笑った。
そして、すぐに表情を引き締めた。
「ただし、古代技術については、まだ調べる必要があるわ。もし何か知っていることがあるなら、隠さないで」
「分かった。何かあれば話す」
「約束よ」
彼女は俺を見つめた後、ゆっくりとうなずいた。
◇
その夜。
セシリアは宿の机に向かい、今日の査察記録を整理していた。
農地の生育状況。
商取引の実態。
常設魔力炉の構造。
そして、村で流行し始めた歌と踊り。
どれも、現時点では決定的な異常とは言い切れない。
だが、魔力炉の刻印だけは別だった。
彼女は、帝国の資料室で見た古代技術の記録を思い出していた。
そこには、現在の魔法体系とは異なる技術を用いた兵器について、断片的な記述が残されていた。
詳しい構造も、所在も分からない。
ただ、その記録の一部には、今日見た刻印とよく似た図形があった。
「……まさかね」
セシリアは、首を横に振った。
今はまだ、何も断定できない。
だが、ラインが何かを知っている可能性はある。
そして、もしこの村に古代技術の秘密が眠っているのなら――。
帝国が無関心でい続けるとは思えなかった。
セシリアは報告書を閉じた。
公務として、真実を調べなければならない。
旧友として、ラインを守りたい。
二つの立場が、少しずつ相反し始めていた。
彼女は窓の外に目を向けた。
夜の広場には、もう誰もいない。
静かな村だった。
ただし、隠し事だらけの村でもあった。




