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帝国から来た査察官

 その知らせは、胃薬を飲み終えた直後に届いた。


「ライン様! 大変です!」


 村の青年が、息を切らして駆け込んできた。


「なんだ? 畑で何かあったのか?」


「村の入口に、帝国の紋章を掲げた馬車が!」


「……は?」


 俺は、手に持っていた薬瓶を見つめた。


 帝国の紋章。


 つまり、ヴァルドア帝国の人間が来たということだ。


 いや、待て。


 俺は何も悪いことはしていない。


 野菜を作って、余った分を売っただけだ。村の女性たちが踊っているのも、別に法律違反じゃないはずだ。


 ……たぶん。


「アルテ!」


「もう聞いてるよ」


 呼びかけるより早く、アルテが顔を出した。


「帝国の査察官が来たんだって」


「査察官?」


「うん。村の経済活動について、確認したいことがあるらしいよ」


「経済活動って……野菜を売っただけだぞ?」


「それを確認しに来たんじゃないかな」


 アルテは落ち着いていた。


 俺は落ち着けなかった。


 野菜だぞ?


 ただの野菜だ。


 ……少なくとも、俺はそう思っている。


「とにかく、会ってくる」


「私も行くよ」


「いや、俺一人でいい」


「そう?」


「こういうのは、余計な人間が増えると話がややこしくなるんだ」


「それは、ラインが一番よく知ってるんじゃない?」


「……否定できないのが腹立たしいな」


◇


 村の入口には、黒塗りの馬車が停まっていた。


 車体には、ヴァルドア帝国の紋章。


 その周囲には、護衛らしき兵士が数名立っている。


 そして、馬車の前には一人の女性がいた。


 整った赤い髪を後ろでまとめ、仕立ての良い軍服に身を包んでいる。


 背筋はまっすぐ。


 表情は冷静。


 立ち姿だけで、相手に隙を見せない人間だと分かる。


 ……見覚えがある。


 彼女は俺に気づくと、手元の書類から顔を上げた。


「ライン=オルティジア殿ですね?」


 事務的な声だった。

 俺は、思わず目を細めた。


「……セシリア」


 女性の眉が、ぴくりと動いた。


「公務中です。正式な場では、査察官とお呼びください」


「いや、だって……」


「査察官と」


「……はいはい、査察官殿」


 その瞬間。


 彼女のこめかみに、青筋が浮かんだ。


「あなたという人は……!」


 声が大きくなりかけたところで、彼女は咳払いをした。


 そして、何事もなかったかのように書類を広げる。


「失礼しました。私は、ヴァルドア帝国中央官庁所属、セシリア・フォン・アルテンブルク。皇帝陛下の命により、この地域の経済状況および行政運営について査察を行います」


 セシリア・フォン・アルテンブルク。


 俺が士官学校に通っていた頃の同期であり、一時はオルティジア王国の食客として滞在していた。


 あの頃から、頭が切れて、負けず嫌いで、何かにつけて俺に突っかかってきた。


 そして、何より。


 素直じゃない。


「久しぶりだな、セシリア」


「公務中です」


「分かった分かった」


「分かっていません!」


 ……変わってないな。


 俺は、少しだけ懐かしい気持ちになった。


 まさか、こんな形で再会するとは思わなかったが。


◇


「では、査察を始めます」


 セシリアは、先ほどまでのやり取りをなかったことにするように、淡々と話し始めた。


「まず、近隣地域で流通しているラポルナ産の農作物について。通常の農作物と比較して、品質が著しく高いとの報告があります」


「そうなのか?」


「あなたの村の話です」


「……ああ」


 しまった。


 つい他人事のように答えてしまった。


 セシリアは、じろりと俺を見た。


「加えて、供給量が限られているにもかかわらず、取引先が増えつつある。さらに、村内で独自の歌唱や舞踊が流行し、近隣地域で評判になっているという情報もあります」


「最後のは査察に関係あるのか?」


「現時点では不明です。だからこそ、確認するのです」


 正論だった。


 ぐうの音も出ない。


「それで、何か問題があるのか?」


「問題があると断定しているわけではありません。異常な報告が複数寄せられたため、実態を調べに来たのです」


「異常って……野菜がうまいだけだぞ」


「あなたの言う『だけ』が、信用できないのです」


 セシリアは即答した。


 ……ひどくないか?


「ライン殿、人払いを。」


◇


二人きりになった執務室。

セシリアは捲し立てるように俺に詰め寄った。


「もう!あんたって人は!自分が何してるかわかってるの!?」


「俺は何もしてないぞ?」


「またそれよ!『俺は何もしてない』っていいながら、周りは大騒ぎ!士官学校の時もオルティジアの時も…」


「……どれの話だ?」


「ほら、そういうところだよ!」


 彼女は額を押さえた。


 いや、昔の作戦案なんて、全部覚えているわけがないだろ。

 俺はただ、現実的に可能な方法を提案しただけだ。

 周囲が勝手に深読みして、勝手に大きな計画に仕立て上げたのである。


 ……今と何も変わっていない気がしてきた。


「大人しく隠居暮らしをしているかと思えば…もう誤魔化しきれないのよ…。とにかく、村を案内してもらうわ」


「分かった。畑と、取引の記録くらいでいいか?」


「そうね。関係者への聞き取りもするから。」


「聞き取り?」


「当然でしょ?責任者の説明だけで査察を終えるわけにはいきません」


 セシリアは、きっぱりと言い切った。


 仕事に関しては、昔から真面目だった。


 そこは信用している。


◇


 畑へ向かう途中、セシリアは村の様子を注意深く観察していた。


 畑の規模。


 農具の状態。


 村人たちの暮らしぶり。


 そして、広場に積まれた野菜の木箱。


「……報告書では、もっと大規模な生産体制を想定していました」


「見てのとおりだ。大した規模じゃない」


「これだけの生産量で、複数の商人と取引しているのですか?」


「余った分を売っているだけだ。毎回、出荷できる量も違う」


「安定供給を約束していない、と?」


「畑が小さいからな。無理な約束はできない」


 セシリアは帳面に何かを書き込んだ。


「なるほど……供給量を限定することで、品質と市場価値を維持している可能性がありますね」


「いや、だから畑が小さいんだって」


「分かっています。あなたの説明は記録しておきます」


 絶対に分かっていない。


 しかも、わざわざ記録するな。


 俺が頭を抱えていると、畑の向こうからニナの声が響いた。


「みんなー! 次の練習、いっくよー!」


「「「ソイヤッ! ソイヤッ! ヤーレン!」」」


 セシリアが、ぴたりと足を止めた。


 広場では、ラポルナセブンの面々が元気よく踊っている。


 レイラの力強い動き。


 村の女性たちの掛け声。


 そして、全体をまとめるニナの歌声。


 セシリアは、しばらく無言で眺めていた。


「……これは?」


「村の余興だ」


「余興?」


「そうだ」


「この規模で?」


「村人が集まって踊っているだけだ」


 セシリアは目を細めた。


「歌と動きが、妙にそろっていますね」


「レイラが厳しいからな」


「そういう問題でしょうか……」


 彼女は、しばらく考え込んでいた。


 そして、書類に一行を書き足した。


 ……何を書いたんだ。


 気になる。


 だが、聞くのはやめておいた。


 どうせ、聞いたところでろくな答えは返ってこない。


◇


 夕方。


 村の状況を一通り確認したセシリアは、宿泊先へ向かう前に俺のところへ戻ってきた。


「本日の査察は、ここまでね」


「そうか。お疲れさん」


「まだ終わってないからね。明日以降も、取引記録や村人への聞き取りを続けるわ」


「……そうですか」


「露骨に嫌そうな顔をしないでよ。」


「気のせいだ」


 セシリアは、ため息をついた。


 そして、周囲に人がいないことを確認すると、少しだけ声を落とした。


「……あなたを守るためよ。」


「すまん…苦労をかける。」


「……元気そうでよかった」


「お前もな」


 セシリアは顔を赤くした。


 ……本当に、変わっていない。


 オルティジア王国は、もうない。


 彼女は帝国へ戻り、陰ながら俺が平穏な隠居生活を送れるよう心を砕いてくれている。


「……ところで」


 セシリアが、ふいに俺を見上げた。


「あなた、私に何か言うことはないの?」


「何か?」


「ええ。久しぶりに会った旧友に、言うべきことがあるでしょう?」


 俺は少し考えた。


「……ああ、査察、頑張れよ?」


「そうじゃないでしょ!」


 セシリアの声が、村の夕暮れに響き渡った。


 俺は肩をすくめた。


 何が正解だったんだ。


 久しぶりだな、とも言った。


 お疲れさん、とも言った。


 これ以上、何を言えばいいというのか。


 セシリアは、しばらく俺を睨んでいたが、やがて小さく息を吐いた。


「……もういいわ。明日、また来ます」


「おう。気をつけてな」


「あなたも、少しは自分の立場を自覚しなさい!」


 そう言い残し、彼女は去っていった。


 俺は、その背中を見送った。


 帝国の査察官。士官学校時代の同期。そして、オルティジア王国の食客だった旧友。


 彼女が何を考え、どこまで調べるつもりなのかは分からない。


 ただ一つ、確かなことがある。


「……静かな生活が、また遠のいた気がする」


 俺は胃薬の瓶を握りしめた。


 明日は、もう少し穏便に済ませたい。


 心から、そう願った。

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