ニナ、アイドル化計画再び
ヴァルドア帝国の辺境の田舎町ラポルナに、また新たな問題が持ち上がった。
いや、問題というよりは、本人にとっては夢への第一歩。周囲にとっては、巻き込まれることが確定した災難と言うべきか。
「お兄ちゃん! ウチ、ひらめいちゃった!」
朝っぱらから、ニナが満面の笑みで領主館に飛び込んできた。
「……帰れ」
「まだ何も言ってないじゃん!」
「その顔は、ろくでもないことを思いついた顔だ」
「ひどっ! 今回はマジでいいアイデアなんだって!」
ニナは腰に手を当て、胸を張った。
「ラポルナセブン、第二章の始まりだよ!」
「いや、第一章いつ始まったんだ?」
「ソイヤッ! って踊り始めたとき!」
「……ああ、そうかい。よかったな。」
俺は早々に興味を失い、手元の書類に目を戻した。
収穫祭の騒ぎが終わってから、村の広場では毎日のように踊りが行われている。
ニナの歌に合わせて、村の女性たちが踊る。
最初は単なる余興だったはずなのだが、今では近隣の村から見物人まで訪れるようになっていた。
もっとも、踊っているのは村の主婦や年配の女性たちだ。
華やかな衣装も、洗練された振り付けもない。
普段着を少し整えて、広場に集まり、みんなで楽しく踊る。
それだけである。
それだけのはずなのだが。
「せっかく歌も評判になってきたんだし、次はウチの姿絵を売ろうと思うんだよね!」
「……は?」
俺は思わず顔を上げた。
「姿絵?」
「そ! ウチの絵を描いてもらって、村や隣町で売るの!」
「なんでだよ」
「だって、人気が出てきたんだもん!」
ニナは当然のように言い切った。
「歌を聴きに来てくれる人も増えたし、ラポルナの姫巫女って呼ばれることもあるし。これはもう、次の段階に進むしかないっしょ!」
「誰が姫巫女だ。誰が次の段階を決めた」
「ウチ!」
「お前かよ!」
どうやら、本人の中ではすでに計画が完成しているらしい。
姿絵…絵師を呼ぶのか。誰が費用を出すのか。売れ残ったらどうするのか。
考えなければならないことはいくらでもある。
しかし、ニナはそんなことなど気にも留めていなかった。
いや待て!一回却下しただろうが!忘れたのかこのアホ娘は!
「でね! まずは衣装から考えようと思って!」
「……嫌な予感しかしないんだが」
ニナはそう叫ぶと、いったん廊下へ駆け出した。
「おい、どこへ行く!」
「ちょっと待ってて!」
数分後。
「じゃーん!」
ニナは、鮮やかな色の水着姿で戻ってきた。
「どう? お兄ちゃん!」
「…………」
俺は数秒、言葉を失った。
「お前、いつの間に着替えたんだよ!」
「え? 今だけど?」
「廊下で?」
「だって、衣装を見せるなら実物のほうが早いじゃん!」
「そういう問題じゃねえ!」
俺は頭を抱えた。
「お前は! もう忘れたのか!それ一回やっただろ! 何度やってもだめだ!水着なんて許可できるわけねえだろ!」
「えーっ! なんでー!?」
「なんでじゃねえ! もうすぐ冬だってのに、寒くねえのか!」
「え? そこ?」
「そこだよ! 風邪をひいたらどうするんだ!」
「だいじょーぶだって! ちょっとくらい平気っしょ! オシャレとは我慢なんだよお兄ちゃん!」
「その我慢がちょっとで済まなかったらどうする!」
俺が頭を抱えていると、部屋の隅から妙な声が聞こえてきた。
「おおお……!」
振り返ると、ジジイが宙に浮いたまま、両手を天に掲げていた。
「こ、これが……若さというものか……!」
「何を感動してるんだ、お前は」
「素晴らしい……ラポルナに生まれてよかった……!」
「お前、地縛霊だろうが! 土地から離れられないくせに、何を人生の終着点みたいな顔をしてるんだ!」
「ワシの魂は今、天に昇ろうとしておる……!」
「成仏するな! 仕事を増やすな!」
「仕事などないわい!」
「開き直るな!」
まったく、こいつらは。
俺は大きくため息をついた。
「いいか、ニナ。もう姿絵を売ること自体は好きにしろ。だが、衣装はちゃんと考えろ。冬に水着なんて…いや、若い娘が肌を晒すんじゃない!どう考えてもおかしいだろ」
「お兄ちゃんはウチの身体を独占したいんだねっ!」
「違うわ!世間体だよ!」
「じゃあ、冬用の衣装ならいいの?」
「……まあ、季節に合ったものなら、絵師と相談して考えればいいんじゃないか」
「なるほど!」
ニナの目が輝いた。
「冬用の衣装! あったかくて可愛い感じ? それとも、歌姫っぽく華やかな感じ? ねえねえ、ラポルナセブンのみんなにも相談してみよっと!」
「いや、俺は別に計画を進めろと言ったわけじゃ……」
「お兄ちゃん、ありがとー!」
ニナは聞いちゃいなかった。
水着姿のまま、元気よく飛び出していく。
「ソイヤッ!」
「その格好で走るな! せめて上に何か羽織れ!」
俺の叫びは、廊下の向こうへ消えていった。
ジジイはまだ、うっとりとした顔で宙を漂っている。
「……おい、ジジイ」
「なんじゃ」
「お前、まさかこの計画に協力するつもりじゃないだろうな」
「ふっ。ワシはただ、ラポルナの平穏を愛する一介の地縛霊じゃ」
「その顔で言われても、説得力が皆無なんだよ!」
◇
その日の午後。
村の広場では、早くもラポルナセブンの緊急会議が開かれていた。
「冬用の衣装かぁ。だったら、毛糸の肩掛けなんかどうだい?」
「それなら、うちで編めるよ。昔、孫に作ってやったことがあるからねえ」
「せっかくなら、みんなでお揃いの飾りも付けようじゃないか!」
村の女性たちは、すっかり乗り気だった。
ニナは広場の真ん中で、両手を広げている。
「いいね、いいね! みんな、めっちゃいい感じ!」
そこへ、レイラが大きな籠を抱えてやってきた。
「衣装を作るなら、動きやすさも大事だぞ。踊るときに邪魔になるものは避けたほうがいい」
「さっすがレイラねえ! じゃあ、衣装のデザインも一緒に考えてよ!」
「うむ。任せておけ」
なぜか、話がどんどん具体化していく。
俺は領主館の窓から、その様子を眺めていた。
「……止めるどころか、完全に後押ししてるじゃねえか」
隣では、ジジイが頭を抱えていた。
「おかしい……。ワシは村が余計なことで騒がしくならぬよう、平穏を守りたいだけなのじゃ……」
「奇遇だな。俺もだ」
「ならば、なぜこうなる!」
「こっちが聞きたいわ!」
俺たちが頭を抱えている間にも、広場からは楽しそうな声が聞こえてくる。
どうやら、姿絵の販売だけでなく、冬の祭りで新しい衣装を披露する案まで出ているらしい。
俺は窓を閉めた。
「……もう知らん」
ジジイも深々とうなずいた。
「うむ。ワシらは何も見なかった。何も聞かなかった」
「そういうことにしておこう」
もっとも、こうして見なかったことにしたところで、事態が止まるわけではないのだが。
◇
夜。
ようやく村が静かになり、俺は自室で一息ついていた。
昼間はニナの騒ぎに始まり、ラポルナセブンの新企画に終わった。
明日になれば、今度は衣装の相談だの、絵師の手配だのと騒ぎ始めるに違いない。
考えるだけで頭が痛くなる。
そんなことを考えていると、扉が軽く叩かれた。
「入るよ」
「ああ」
顔を出したのはアルテだった。
「どうしたアルテ、研究は順調か?」
「うん。順調だよ。ちょっと気になることもあるけどね」
「気になること?」
「ううん。今はまだ、確かめてるところ」
アルテはそう言って、部屋に入ってきた。
研究の話を少し聞く。相変わらず、魔力炉や古い遺物について調べているらしい。
俺には難しい話も多いが、アルテが楽しそうに話すので、適当に相槌を打ちながら聞いていた。
ひとしきり話したあと、アルテはふと思い出したように笑った。
「そういえば、今日も大変だったね」
「……ああ。誰のせいとは言わんがな」
「ニナのこと?」
「ほかに誰がいるんだよ」
「ふふっ。水着まで用意してたんだって?」
「笑い事じゃねえよ。風邪でもひいたらどうするんだ」
「ラインは、そういうところ変わらないね」
「どういう意味だ?」
「ちゃんと心配するところ」
「当たり前だろ」
アルテはくすりと笑った。
それから、少しだけ声の調子を落とした。
「ごめんね。最近、研究ばっかりで、あんまり構ってあげられなくて。寂しかった?」
「んなわけねえだろ」
「そっか」
アルテは楽しそうに笑った。
いつものやり取りだ。
けれど、彼女はすぐには席を立たなかった。
「でも、こうして話すの、久しぶりな気がするね」
「……そうか?」
「うん。最近は研究のことばっかり考えてたから」
アルテは窓の外に目を向けた。
夜の広場には、もう人影はない。
「この村、ずいぶん変わったよね。野菜もよく育つようになったし、収穫祭も盛り上がったし。今度はニナたちが、姿絵を売るんだって?」
「……誰から聞いた」
「さっき広場で、みんなが楽しそうに話してたよ」
「そうかい」
「みんな、毎日楽しそうだね」
アルテは微笑んだ。
「ラインが来てから、この村のいろんなことが変わった」
「まて、俺は何もしてないぞ」
「うん。分かってる」
アルテは、あっさりとうなずいた。
「ラインは、村を発展させようとしてるわけじゃないもんね。目の前のことを何とかしてるだけ」
「なんとかしようともしてないぞ!」
「ごめんごめん」
アルテは笑いながら、椅子から立ち上がった。
しかし、扉へ向かう途中で、ふと足を止めた。
「……ねえ、ライン」
「ん?」
「ちょっとだけ、充填させて」
「は?」
意味が分からず聞き返した瞬間、アルテがこちらへ戻ってきた。
そして、そのまま俺の胸に抱きつく。
「お、おい、アルテ!?」
「ん……。こうしてると、落ち着くんだ」
アルテは俺の胸に頬を寄せ、腕に力を込めた。
「最近、研究ばっかりで疲れてたから。ライン分を補給中」
「なんだよ、それ……」
「いいでしょ。少しだけ」
そう言われると、無理に引き離すこともできなかった。
俺は戸惑いながらも、アルテの背中に手を回す。
「……本当に少しだけだからな」
「うん」
アルテは小さく笑った。
しばらくの間、部屋には静かな時間が流れた。
窓の外から、夜風がかすかに聞こえる。
アルテの体温が伝わってきて、俺のほうまで肩の力が抜けていく。
「……充填できたか?」
「まだ」
「まだなのかよ」
「もう少しだけ」
「お前な……」
文句を言いながらも、俺はアルテを抱いたままだった。
やがて、アルテは名残惜しそうに顔を上げた。
「よし!ありがとう。だいぶ元気になったよ」
「そうかい」
「うん。これでまた研究を頑張れそう」
「ほどほどにしろよ。倒れたら意味がないからな」
「分かってるって」
アルテは笑いながら、ようやく俺から離れた。
「でも、私はよかったと思ってるよ」
「何がだ?」
「この村に来て、ラインと一緒に暮らせて」
俺は返事に困った。
アルテは、そんな俺を見て少し笑った。
「じゃあ、そろそろ戻るね。研究の続きもあるし」
「ああ。あんまり根を詰めるなよ」
「うん。ラインも、ちゃんと休んでね」
アルテは扉の前で振り返った。
「おやすみ、ライン」
「ああ。おやすみ」
扉が閉まる。
俺はしばらく、その場に座っていた。
胸元には、まだアルテの温もりが残っている気がした。
静かな夜だった。
昼間の騒ぎが嘘のようだ。
……こういう時間が、ずっと続けばいい。
俺はようやく肩の力を抜き、ベッドに横になった。
明日のことは、明日考えればいい。
そう自分に言い聞かせて、目を閉じる。
その頃、村の広場では。
「よーし! 冬の新衣装、絶対かわいくしようね!」
「おう!」
「姿絵も、たくさん売れるといいねえ」
「ソイヤッ!」
ラポルナセブンの新企画は、着実に進行していた。
もちろん、ラインの知らないところで。




