家庭菜園と、勝手に始まる農業改革
翌朝。
「ラポルナの天井だ…」
俺は目を覚ますなり、天井を見つめていた。
昨日の出来事が、脳裏に次々と蘇ってくる。
俺は庭にカブとネギとホウレンソウの種を撒いていると、なぜかジジイが青ざめた。
村ではニナが「ソイヤッ!」と踊り始め、気づけば村人たちまで一緒に踊っていた。
アルテには何かものすごい計画を疑われ、レイラまで踊り出した。
そして最後は――。
「……胃薬が切れたんだったな」
思い出しただけで胃が痛くなってきた。
俺は腹を押さえながら起き上がった。
「今日は何も起きませんように」
俺の切実な願いだった。もうこれ以上の厄介ごとはごめんだ。俺は隠居したんだからな!真面目にスローライフしなきゃ!
しかし。
この時の俺は知らなかった。
昨日の騒ぎが、俺の知らないところで一晩かけて、さらに大きな誤解へと成長していたことを。
◇
俺は庭へ出た。
ラポルナの朝の空気は冷たく、秋らしい澄んだ風が吹いている。
「さて……」
俺は昨日作った畝の前にしゃがみ込んだ。
もちろん、一晩で芽が出るわけではない。
それでも、土の状態くらいは確認しておきたい。
「土は大丈夫そうだな」
乾きすぎてもいない。
水が溜まっている場所もない。
種が流された形跡もない。
「よし」
俺は桶を手に取った。
「軽く水をやるか」
俺は桶から少しずつ水を撒いていった。
ただの水やりだ。
ところが――。
「ムム……また始めよったわい」
上空から声がした。
見上げると、昨日と同じくジジイがぷかぷかと浮かんでいる。
頭には相変わらず三つのタンコブ。
「ああ、爺さんおはよう」
「お、お主……!」
ジジイがびくっと震えた。
「昨日あれほどの術式を展開しておきながら、今度は朝一番から水を……!」
「術式?」
「とぼけるでない!」
ジジイは庭を指差した。
「昨日の『五行調和陣』じゃ!」
「だから、あれは畑だって」
「ふっ……!」
ジジイは鼻を鳴らした。
「わしを欺こうとしても無駄じゃ!」
「いや、欺いてないんだが」
「昨日、お主が作った陣によって、村の大地には豊穣の気が流れ込んだ!」
「……?」
「さらに、広場ではニナちゃんが『豊穣の祈り』を捧げたであろう!」
「いや、あれはただ踊ってただけだぞ」
「そして夜になっても村人たちは踊り続けとる!」
確かに、昨日の夜まで遠くから「ソイヤッ!」と聞こえていた。
「つまり……!」
ジジイが両手を広げる。
「術式は今も稼働中ということじゃ!」
「……」
俺は畑を見る。
何も起きていない。……普通の畑じゃねえか。
「そうか」
「うむ!」
「じゃあ、そういうことにしておこう」
「その余裕……やはりライン!恐ろしい子……!」
ジジイは勝手に震え上がった。
◇
その頃。
村の広場では、昨日の騒ぎの余韻がまだ残っていた。
「ソイヤッ!」
「ソイヤッ!」
「ヤーレン!」
何人かの村人が朝から踊っている。
その中心には、もちろんニナ。
「昨日より息合ってるじゃん!」
ニナは楽しそうだった。
本人にとっては、ただの楽しいダンスだ。
しかし村人たちは違った。
「昨日の舞のおかげで、今朝は畑の土が妙に柔らかかったぞ!」
「うちの井戸の水も美味しく感じる!」
「昨日の雨の後なのに、畑がちょうどいい湿り具合だった!」
「やはり豊穣の祈りは本物だったんだ!」
全部、偶然か普通の自然現象である。
だが一度「豊穣の祈り」という物語が出来上がってしまうと、何でもその証拠に見えてしまう。
「ニナ様!」
「ん?」
「今年はきっと豊作です!」
「へえ」
「ですから……!」
村人の一人が、恐る恐る尋ねた。
「今夜の本祭でも、あの舞を踊っていただけませんか?」
「いいよ!」
ニナは即答した。
「楽しそうだし!」
「おおおおお!」
歓声が上がる。
「では収穫祭を!」
「今年は盛大に!」
「村中で祝おう!」
「音楽をつけよう!」
話はあっという間に膨らんでいった。
「料理も作ろう!」
「酒も用意しよう!」
「子供たちにも踊りを教えよう!」
「領主様にも参加していただこう!」
こうして、まだ収穫すらしていないというのに、ラポルナでは、秋の収穫祭の準備が始まってしまった。
◇
そして領主館。
「…………」
アルテは窓から村を眺めていた。
昨日のことが頭から離れない。
ラインが庭に作った『五行調和陣』。
ニナが広場で踊った『豊穣の祈り』。
それらが重なったことで、村全体の空気まで変わったように感じられた。
もちろん、アルテの思い込みである。
「そして今度は……」
村人たちが畑を作り始めている。
「農業……」
アルテの目が細くなる。
「昨日の陣は、単に魔力を循環させるだけじゃなかった……?」
俺は知らない。
「大地そのものを活性化し、村人たちの農業意識まで変えている……?」
もちろん知らない。
「いや……」
アルテは首を振った。
「ラインなら、そこまで計算していてもおかしくない」
完全な誤解である。
「つまり、最初から村の食料事情を改善するつもりだった……!」
実際の俺は、
――冬に食べる野菜が欲しい。
それだけである。
「そう考えると、昨日の『豊穣の祈り』も……」
アルテは広場を見る。
「村人たち自身に農業への関心を持たせるための演出……!」
「いや、それは違うと思うよ」
横からニナが言った。
「私、普通に楽しくて踊ってただけだし」
「…………」
アルテが固まる。
「……あなたは黙っていて」
「なんで!?」
◇
昼過ぎ。
俺は庭の畑を見ながら考えていた。
「やっぱり、少し畑を広げた方がいいか」
昨日植えたのは試験的なものだ。
うまくいけば、来年はもう少し量を増やしてもいい。
それに、せっかくなら村の人たちにも簡単な育て方を教えてやればいい。
そんな軽い気持ちだった。
俺は村へ向かった。
「なあ、みんな」
「はい!」
なぜか村人たちが一斉に振り返る。
「野菜を育てるなら、家の裏なんかでも十分できるぞ」
「…………!」
村人たちの目が輝いた。
「つまり……!」
「?」
「領主様は、我々にも『大地の恵みを得る方法』を授けてくださるのですね!」
「いや、そんな大げさな話じゃ――」
「ありがとうございます!」
「聞いてねぇな、これ」
だが、村人たちは嬉しそうだった。
「俺の家でも畑を作るぞ!」
「うちもだ!」
「種を分け合おう!」
「余った野菜は保存しておこう!」
「来年はもっと広げよう!」
あっという間に話が広がっていく。
昨日までは、俺一人の庭にあった畑。
それが今日は、村のあちこちに小さな畑として増え始めていた。
「……まあ、いいか」
村人たちが自分たちで食べ物を作れるようになるなら、それは悪いことじゃない。
「うまく育てられれば、食費も減るしな」
「食費が……減る?」
村人の一人が呟いた。
「つまり、余った分を売れば収入になる……」
「そうだな」
「収入が増えれば、農具も買える……」
「そうだな」
「農具が増えれば、もっと畑を広げられる……」
「まあ……そうなるな」
「「「おおおおおおっ!!」」」
俺は目を丸くした。
いやお前ら…なんでそんなに盛り上がるんだ?
◇
夕方。
俺が屋敷へ戻ろうとすると、ニナが駆け寄ってきた。
「ライン!」
「ん?」
「収穫祭、やるって!」
「……昨日のあれか」
「うん!」
ニナは嬉しそうに笑った。
「村のみんな、すっごいやる気だよ!」
「まあ、楽しむ分にはいいんじゃないか?」
「じゃあ、ラインも参加ね!」
「俺も?」
「領主なんだから当然でしょ!」
「いや、俺は――」
「それに!」
ニナが腕を振る。
銀細工のブレスレットがシャランと鳴った。
「私、昨日の『ソイヤッ!』もう一回やりたい!」
「……好きにしてくれ」
「やった!」
その瞬間。
「「「おおおおおっ!!」」」
背後から村人たちの歓声が上がった。
「領主様の許可が出たぞ!」
「秋の収穫祭だ!」
「豊穣の祈りをもう一度!」
「今年はもっと盛大に!」
「ソイヤッ!」
「「ソイヤッ!」」
「……」
俺は空を見上げた。
夕焼けが綺麗だった。
「俺、祭りを許可した覚えないんだけどな……」
隣でニナが笑っている。
「細かいことはいいじゃん!」
「そういう問題か?」
すると屋敷の二階からアルテが顔を出した。
「ライン!」
「なんだ?」
「あなた……」
アルテは真剣な顔で言った。
「昨日の魔法陣から、ここまで計画していたのね?」
「…………」
俺は黙った。
「魔法陣?」
「とぼけないで!」
「だからあれは畑だって」
「農業改革から収穫祭まで……!」
「違う」
「村の自立を促して、最後には共同体としての結束を――!」
「違う」
「じゃあ何なのよ!」
俺はため息をついた。
「冬に食う野菜が欲しかっただけだ」
「…………」
アルテが沈黙する。
ニナも沈黙する。
村人たちも沈黙する。
数秒後。
「……なるほど」
アルテが呟いた。
「やはり奥が深い…君の深謀遠慮は健在だね」
「なんでだよ!」
俺の叫びが、秋の夕空に響き渡った。
その直後。
「「ソイヤッ! ソイヤッ!」」
村人たちの声が返ってくる。
俺は頭を抱えた。
昨日は『豊穣の祈り』。
今日は『農業改革』。
明日は一体、何にされるんだ。
そんな不安を抱えながら、俺は一つだけ決心した。
「……明日、胃薬を買いに行こう」
それだけは、絶対に忘れないようにしよう。
こうして。
俺がただ冬野菜を育てようとしただけの出来事は――。
いつの間にかラポルナ全体を巻き込む、謎の農業改革と秋の収穫祭へと発展していた。
そして俺だけが、その原因を最後まで理解していなかった。




