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英雄たちの遺産、世界のカタチ

 ガタゴトと、規則正しい馬車の揺れが続いていた。

 帝国本国の東部辺境領へと向かう長い旅路。車窓の外には、見渡す限りの地平線と秋の吹き抜ける野原が広がっている。

 車内では、ラインが膝の上に古い革装丁の歴史書を広げていた。

 隣ではニナが退屈そうに外を眺め、向かいのアルテは静かに茶を淹れている。


「……ライン、そんなの読んでるとまた乗り物酔いしちゃうよ?」


 湯気の立つカップを小さな卓に置きながら、アルテが尋ねた。


「うるせえ。暇だから大陸の歴史でも振り返ろうと思ってな。」


 ラインは頁をめくりながら、淡々とした口調で答えた。


「かつて、この大陸は人間のものではなかった。マルマラ湖の南に聳えるグリュッグ山脈……あの周辺を拠点としていた『魔族』の国が、大陸全土を脅かしていた時代がある」


「魔王討伐の伝説だね!」


ニナが思い出したように顔を向けた。


「子供の頃、絵本でよく読んだよ!『勇者ルニアと聖戦の七英雄』。魔王を倒して、荒れ果てた土地にルニア王国を建てたっていう、おとぎ話。お兄ちゃん好きだったよね?」


「それは子供向けのお話だよ」


ラインの口元が、わずかに皮肉げに歪んだ。


「後世の伝承では、初代国王ルニアは『偉大な聖王』として神格化されている。だが、実際の記録を解読していくと……彼自身は最初から『王になりたい』などとは微塵も思っていなかったようだ」


「えっ、そうなの?」


「ああ。彼はただ、仲間をまとめるのが少しばかり上手いだけの、ごく普通の人間だった。だが魔王を倒したことで、各地の領主や民から『魔王を倒した者なら、人間同士の争いも終わらせられるはずだ』と期待され、英雄として祭り上げられてしまった。……断りきれなくなったルニアは、魔王討伐のために集まった人々を一つの国として束ねるしかなかった。それが、ルニア王国の始まりだ」


アルテは静かに目を細め、胸に手を当てた。


「……王という重責を担う気などなかったのに、時代と人々の期待に押し流されて王になった。誰かと似てるんじゃない?」


「う、いやそういう話じゃなくて!…ここで最も興味深いのはルニアとともに戦った『七英雄』のその後だ」


ラインは指先で古文書の項目をなぞっていく。


「勇者物語では『魔王を倒した七人は、末永く幸せに暮らしました』で終わっている。だが現実の彼らは、魔王討伐のその日から『どうすれば二度と同じ悲劇を起こさずに済むか』を考え、それぞれ全く別の道を歩み出した」


ラインの声に引き込まれるように、ニナとアルテも耳を傾けた。


「まず、剣聖ガルド・レオンハルト。彼はルニアの国に残ったが、近衛兵の長にはならなかった。『二度と魔王軍のような大軍に国境を越えさせないための軍隊』……つまり、現在の王国騎士団の原型を作った。晩年、ガルドはこう言い残している。『俺が作ったのは英雄の軍隊じゃない。英雄がいなくても国を守れる軍隊だ』とな」


「英雄がいなくても……」


ニナが呟く。


「一人の天才剣士に頼るのではなく、普通の人間でも国を守れる仕組みを作った…」


「そういうことだ。そして弓聖セレナ・アルヴェインは、故郷の森へ戻って狩人や密偵を育てる学校を作った。彼女は英雄扱いされるのを嫌い、『遠くから危険を見つけて、誰かに知らせる。それだけよ』と言い切った。これが現代の情報収集や国境監視技術の始祖となっている」


「……目立たぬ影となり、国を守る礎となったんだ。」


アルテが感じ入るように頷く。


「重騎士ドゥラン・グランツは騎士学校を創立し、『七英雄がいなくても国を守れるようにすることが、自分たちの仕事の終わりだ』と語った。……そして、最も現代の歴史に強い影響を与えたのが賢者エドガーと、魔術師ミレイアだ」


ラインはページの図解を二人に見せた。


「賢者エドガーは魔王城の古代文献を解析し、感性や才能に頼っていた魔法を『魔力』『魔法式』『属性』といった理論として学問体系化した。そして魔術師ミレイアは、それを照明や暖房、医療や農業といった『生活のための魔法』として民間に普及させた。……現代の文明は、この二人が作ったと言ってもいい」


「すごい……普段使っている生活魔法に、そんな歴史があったなんて」


「他にも、爵位も領地も捨てて世界を巡り、孤児院や施療院を建てて『戦わずに済むために強くなれ』と教えてラウル派武術を遺したモンクのラウル。傷ついた竜たちを人間の支配から守るため、北方へ去って竜と人の共存集落を作った竜騎士ヴァルター……」


本を静かに閉じたラインは、車窓から遠くの空を見つめた。


「こうして見ると、彼らが遺したのは単なる武勇伝ではない。『現在の世界そのもの』なのだ。軍隊、情報網、騎士制度、魔法学、生活文明、福祉、そして国そのもの……」


「……みんな、『一人の英雄が全部を解決する時代』を終わらせたかったんだね」


ニナが深く息を吐き出した。


「英雄が一人で頑張る世界は、その英雄が死んだら壊れちゃうから。だから、普通の人間たちが自分たちの力で生きていける仕組みを作った……」


「そうだ」


ラインは短く頷いた。


「世間の人間は『勇者と七英雄が力を合わせて魔王を倒した』という華やかな英雄譚しか知らん。だが、真に偉大なのはその後に彼らが作った『仕組み』だ。一人の天才や英雄に依存するシステムは、いずれ破綻する」


その言葉は、奇しくもライン自身がオルティジアで行ってきたことそのものだった。


ライン・オルティジアという個人に依存するのではなく、降伏と引き換えに民と騎士たちの命を遺し、平和な日常へと引き渡す。


そして、自らは「盤面」を降りて、歴史の影へと消えていく。


「……ライン」


アルテが、柔らかく温かい瞳でラインを見つめていた。


「かつての七英雄たちも、きっとラインと同じように……これからの時代を生きる人々を信じて、身を引いたのかな」


「……買い被りすぎだ、アルテ。俺はただ、面倒な戦争から逃げ出して隠居したいだけの男だ」


ラインが素っ気なく鼻を鳴らすと、ニナがくすくすと悪戯っぽく笑った。


「はいはい、そういうことにしておいてあげるね♪」


馬車は秋風を切りながら、どこまでも続く街道を進んでいく。


かつて世界を作った英雄たちの志と、その歴史の延長線上にある自分たちの未来。


ラインたちは、これから向かう東部辺境での「穏やかな暮らし」に思いを馳せながら、深く心地よい静寂の中に身を委ねるのだった。

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