覇王の凱旋、冷たき果実
陥落したルニア王国の王宮。
かつてルニア国王が座っていた豪華絢爛な椅子に、漆黒の礼装を纏ったルーファス・バルドアが深々と腰掛けていた。
卓上に積み上げられているのは、二つの国と一つの巨大経済圏の運命を決定づける、膨大な戦後処理の書類群である。
「……サラウ交易領の処理案です、陛下」
参謀アルバンが、羊皮紙の束を静かに差し出した。
「サラウの主要港および関税徴収権は、すべて帝国財務省の直轄とします。旧指導層の財産は八割を没収、治安維持費として現地に帝国第5軍団を常駐させます。また、裏で反乱分子に資金提供していた疑いのある大商人たちは、見せしめとして処刑または国外追放といたしました」
「ふん……血の匂いが消えんな」
ルーファスは冷淡に呟きながら、素早くサインを走らせた。
サラウ交易領の解体と搾取。それは、二度と帝国に刃を向けさせないための徹底的な「毒抜き」だった。経済の息の根を止められたサラウは、もはや帝国に従属するだけの搾取対象へと成り下がる。
「続いて、ルニア王国についてです。ルニア王家は公式に廃位。旧王領は『ルニア州』として帝国に編入し、初代総督にはフェリックス将軍を命じる案が出ております」
「不満はない。フェリックス、お前がやれ」
部屋の壁際に立っていたフェリックスが、静かに一礼した。
「ハッ。……ですが陛下、私のような若輩がルニア州の総督となれば、本国のタカ派貴族どもが黙ってはおりますまい」
「黙らせればいい。お前は電撃戦でルニアの首都を奪い、この戦争を終わらせた最大の功労者だ。文句がある奴は、俺の前に連れてこい」
ルーファスの声には、一切の反論を許さない絶対的な威厳があった。だが、フェリックスを褒めたたえるその瞳には、どこか冷めた色が宿っている。
フェリックスの首都急襲という一手によって、帝国は最小限の被害でルニアを奪い、戦争に勝利した。
戦略としては満点だ。
だが、ルーファスという一人の武人・男として見れば、それはラインとの決闘に横槍を入れられ、泥の中で生き恥を晒させられた不条理な幕引きでもあった。
「……陛下」
フェリックスが静かに尋ねた。
「ライン・オルティジアを東部辺境へ追放した件……帝都では早くも元老院が紛糾している模様です。『なぜ害悪を即座に絶たぬのか』と」
「……あいつらは、盤面の駒の動かし方しか知らんのだ」
ルーファスは不快そうに鼻を鳴らした。
「ラインという男を殺せば、オルティジアの民は永遠に怨嗟の炎を燃やし続ける。奴がすべての悪名を背負って、自ら表舞台を降りたからこそ、オルティジアは無血で帝国に下ったのだ。……あの男は、死ぬよりも重い『生』を背負って隠居した。殺す価値など、とうにない」
(それに……あの男の首を跳ねれば、俺は二度と『敗北』を雪ぐ機会を失う)
ルーファスは胸の奥で、決して口には出せない苦い感情を噛み締めていた。
現場の戦術で自分を完全に打ち負かした天才。
その男を生かし、監視下に置き続けること。それだけが、ルーファスにとって己の不甲斐なさを忘れないための、唯一の「楔」だったのだ。
◇
数日後。
皇帝ルーファス率いる帝国軍本隊は、勝利を携え、帝都ヴァルハイトへと帰還した。
ゴォォォォン……ゴォォォォン……。
帝都に聳え立つ大聖堂の鐘が重厚に鳴り響き、大通りは埋め尽くさんばかりの群衆で溢れかえっていた。
「皇帝陛下万歳ッ!!」
「帝国の覇道に栄光あれ!!」
民衆は狂喜乱舞し、頭上からは色鮮やかな花びらが雨のように降り注ぐ。
豪華な甲冑を纏い、黒馬に跨ったルーファスが進むその沿道は、万雷の歓声と熱気に包まれていた。
大通りのバルコニーからは、帝都へ先回りしていた宰相令嬢セシリアが、静かな瞳でその凱旋行列を見下ろしていた。
彼女の隣には、父親である帝国宰相・アルテンブルク侯爵の姿もある。
「……見事な勝利だな、セシリア。ルニアを解体し、サラウを抑え、オルティジアを無血開城させた。ルーファス陛下の覇業は、これで不動のものとなった」
「ええ、父上」
セシリアは表情を変えず、静かに応じた。
「ですが……その陰で、一人の男がすべての泥をかぶって去ったことを、この帝都の者たちは誰一人知りにませんのですね」
「ライン・オルティジアのことか。……ふん、敗軍の将など歴史の泡に過ぎん。奴が東部辺境でおとなしく死んでいくなら、帝国としても文句はない」
「……ええ。おとなしく……してくれていれば、ですけれど」
セシリアは袖の中で、そっと小さな手紙を握りしめた。
それは、元老院のタカ派貴族たちがラインの隠居地へ刺客を放とうとしていた計画を、彼女が裏から圧力をかけて潰したという報告書だった。
(ライン……あんたが望んだ静かな暮らしは、私が守ってみせる。)
歓声に湧く帝都の喧騒の中で、セシリアだけが遠く東の空を見つめていた。
◇
凱旋パレードの先頭で、馬を進めるルーファス。
万雷の拍手。降り注ぐ花びら。
誰もが自分を絶対の勝者として崇め、ひれ伏している。
だが、ルーファスの胸を満たしていたのは、誇らしさでも勝利の美酒の味でもなかった。あるのは、冷たく乾いた空虚感だけだった。
(……見ろ、ライン)
ルーファスは視線を上げることもなく、心の中で誰もいない東の空へと語りかけた。
(俺は勝ったぞ。お前が命を賭けて守ろうとした国々を踏み潰し、帝国の覇道を推し進めてみせた。……だが、なぜだ。なぜこれほどまでに、この歓声が虚しく聞こえる……?)
脳裏に消えずに焼き付いているのは、泥の中で自分に刃を突きつけていたラインの冷徹な眼光。
そして、去り際に彼が残した言葉。
『お前の勝ちだ、ルーファス』
敗北を認めながらも、自分の生き様と誇りを一切砕かれずに去っていった、かつての同期。
自分は国を奪い、戦争に勝った。しかし、あの男の魂を屈服させることだけは、ついにできなかったのだ。
「……ハッ」
自嘲の笑みが、ルーファスの口元から漏れる。
覇王として帝都の頂点に立ちながらも、その心には決して消えることのない「完敗の傷」が刻み込まれていた。
歓声の嵐の中、ルーファスはただ一人、不気味なほど冷たい静寂を纏いながら、帝城へと足を踏み入れていくのだった。




