第四十七話:落日の王宮、解かれし血脈
砂漠のオアシス都市、中央都市サラウ。
帝国歴540年、花冠の月28日。
その幾重もの巨大な外壁の上に立ち、サラウの最高指導者――僭主シャハールは、遠方の地平線を埋め尽くす黒い軍勢を見下ろしていた。
「……フッ、推参なり第三皇子ルーファス。よくぞここまで辿り着いたものだ」
不可侵条約を破棄し、反シャハール派のガディラ族を案内役に仕立て、大軍の移動は不可能とされていた砂漠を越えてきた帝国軍。
だが、シャハールの不敵な笑みは失われていなかった。
「フハハハハ!是非に及ばず!新皇帝ルーファス……! 我がサラウの精鋭たる獣人戦士たちと、この難攻不落の城壁の前に沈むが良い! !」
サラウの城壁に配備されたのは、鋭い五感を持つ獣人族の精鋭たち。
人間を遥かに凌ぐ嗅覚と聴覚を誇る彼らにとって、夜戦や視界不良など何の意味もなさなかった。
……帝国軍の怪しい魔導霧が、都市全体を白く呑み込むまでは。
「ハッ、霧など我らの鼻と耳を誤魔化せぬわ!」
城壁の上で牙を剥く獣人戦士たち。しかし、帝国軍の真の狙いは視界遮断などではなかった。
次の瞬間、霧を切り裂いて跳躍してきたのは、巨大な獣――魔狼騎兵であった。
「な……ッ!?」
従来の馬では絶対に不可能な垂直に近い城壁の登坂。
さらに騎手と魔力を同期させた魔狼は、圧倒的な跳躍力で城壁を飛び越え、旋風のごとく市街地へと雪崩れ込んでいった。
「右だ! 聴覚を研ぎ澄ませ――」
獣人戦士が察知し、武器を構えた瞬間には、すでに魔狼の鋭い爪と魔導槍がその首元を穿っていた。
急旋回、急停止、そして圧倒的な機動力。位置を把握した頃には敵の姿はなく、ただ残殺の軌跡だけが残される。
「バ、馬鹿な……!? 我らの五感が、敵の動きに追いつかん……!!」
ルーファスとフェリックスが指揮する魔狼部隊の狙いは、都市の殲滅ではない。「中枢の即時制圧」だ。
雑兵を無視し、一直線に王宮へと突入した魔狼部隊は、近衛兵を瞬く間に粉砕し、玉座の間を包囲した。
「……チッ」
王宮の奥深く、雪崩れ込んでくる鉄の蹄音を聞きながら、シャハールは苦々しく吐き捨てた。
「ここまで見事に王手をかけてくるとはな、ルーファス……! 兵の質も、戦術の速度も、こちらの計算を遥かに超えている」
戦況の圧倒的不利を悟ったシャハールは、プライドを捨て、即座に身を翻した。
「これ以上の戦いは無益か。……せいぜい、空っぽの王宮で勝利の美酒でも飲むがいい」
王宮が完全に包囲される直前、シャハールは側近とともに、砂漠の都市の地下迷宮への隠し通路の暗闇へと姿を消した。
黒幕は倒れることなく、冷酷な眼光を宿したまま、潜伏の夜へと潜ぐったのである。
◇
一方その頃。
マルマラ湖の西岸、オルティジア王国の王宮執務室。
「……嘘だろ?」
俺は、アルテから差し出された超極秘の速報羊皮紙を二度見した。
「中央都市サラウが……陥落した……!? 攻め込んでから、たった数日で……!?」
「ほんとよ。私も最初信じらんなくて二度見したけど…」
デスクの端に肘をつき、呆れ顔で爪をいじりながら言ったのは、主席補佐官アルテだ。
いつもどおり、クールな態度だが、その真紅の瞳の奥には隠しきれない動揺が混じっていた。
「ルーファスの魔狼部隊、フツーに城壁飛び越えて一瞬で王宮乗っ取ったっぽいよ。で、シャハールはそれにビビッて地下に逃げて行方不明。フフッ。あんまりあっけなくて笑っちゃうね……いや、笑えないか」
俺は冷や汗を流し、頭を抱えた。
(あの大国サラウが、あっけなく落ちただと……!? 砂漠を渡っただけでも常識外れなのに、そのまま都市まで一瞬で落とすなんて……ルーファス、お前どんだけ化け物になってんだよ……!)
腹を括って湖上で待ち構えていた俺たちの真横で、大陸の政治勢力図が激変していた。
八万の兵を抱えたまま、完全に置き去りにされている恐怖に、俺の胃は再び激痛を訴え始めていた。
「ねえライン、これからどうすんの? 腹括ったのに完全にスルーされてハシゴ外された感じだけど。……胃薬、いる?」
「頼むから煽らないでアルテぇぇぇっ!!」
◇
ヴェルダ経済特区に建つ商館の一室。
サラウ交易領陥落の報告を耳にしていた一人の女性がいた。
シャルロッテ商会の代表――シャルロッテ=ローゼンである。
彼女は静かに胸元へ手を当て、着物の下で激しく脈打つ鼓動を押し殺していた。その瞳には、誰にも見せたことのない深い苦悩色が浮かんでいた。
(……逃げ延びたのですね、お兄様)
シャルロッテの本名は、シャルロッテ・サティル・サラウ。
かつてサラウ交易領を力と金で支配し、今や世界を混沌に陥れた黒幕――僭主シャハールの、実の妹であった。
彼女は、幼い頃から、兄の底知れぬ知性と、それに反比例するような狂気的な野心、冷酷さを誰よりも近くで見つめてきた。
その恐ろしさに耐えかね、血脈と立場を捨てて出奔し、商人として生きてきた彼女だったが――どれほど遠く離れようとも、流れる血を切ることはできなかった。
(幼い頃から、貴方はいつもそうでした。どれほど絶望的な状況に追い詰められても、決して諦めず、暗闇の中から次の毒針を研ぎ澄ます……)
シャルロッテはそっと窓の外、遥か南の砂漠の空を見つめた。
(ルーファス皇帝の前に敗れ、地下へ潜ったお兄様……。貴方はこれから、どんな恐ろしい牙を大陸に突き立てるつもりなのですか? そして……どうか、無事でいてください……)
恐れと、憎しみと、切っても切れない兄妹の絆。
ラインにも、誰にも明かせぬ血の秘密を胸に秘め、シャルロッテは静かに夜の闇の中へと佇むのであった。




