第四十一話:焦土の冠、あるいは破局の口火
芽吹の月、十三日。
白亜の美しい街並みと、誇り高き歴史を誇った帝都ヴァルハイトが、一夜にして狂気と業火の地獄へと変貌した。
抗争の激化、そして侍医の口から漏れ出た「毒殺の噂」の錯綜。
追い詰められ、焦りを募らせた第二皇子レオポルドは、ついに最悪の決断を下した。帝都での決戦を諦め、軍の地盤である自らの領地――帝国南部へと撤退し、正式に挙兵することを宣言したのだ。
だが、その撤退の足跡はあまりにも血生臭く、苛烈であった。
「ギルベルト派の追撃を遮断し、奴らの補給拠点と統治機構を根こそぎ打ち砕け!」
レオポルドの冷酷な命令のもと、南部軍の手により帝宮『黒鷹城』、そして帝都ヴァルハイトの主要区画へ次々と火が放たれた。
グリュッグ山脈から吹くこの季節特有の乾燥した季節風にあおられ、炎は激しい勢いで燃え広がる。
空を赤く染め上げる巨炎と、黒煙の雲。天を突く悲鳴と怒号。かつて大陸に君臨した大帝国の心臓部は、文字通り紅蓮の炎に呑み込まれていった。
◇
「……あの愚か者めがッ!!」
燃えさかる黒鷹城の回廊で、フェリックスが激昂の叫びを上げた。
頭上に渡された巨大な木組みが、爆音とともに崩れ落ち、火の粉のシャワーとなって降り注ぐ。
「自領へ逃げ帰るために帝都を焼き、城に火を放つだと!? 皇帝の血を引く者が、先祖の誇りと民を焦土に変えて何が革新だ!!」
「叫んでいる暇はないぞ、フェリックス!」
黒い外套を頭から被り、濡れタオルで口元を覆ったルーファスが、煙の充満する廊下を駆け抜ける。その瞳は、炎の照り返しを受けて凄絶なまでに冴え渡っていた。
「アルバン! 重鎮たちの避難状況はどうなっている!?」
後ろから、同じく煤に塗れたアルバンが追いついてきた。片方の双眸を険しく細め、咳き込みながら叫び返す。
「中立派の老臣たちや、政務を司る官僚どもは西門へ誘導させた! だが、第一皇子ギルベルト殿下は……パニックを起こし、己の私兵だけを率いて一足先に北の自領へ逃走した模様だ!」
「あの大馬鹿野郎が……!」
フェリックスが吐き捨てた。
第一皇子ギルベルトは、帝都を守るべき長兄でありながら、火の手が上がった瞬間に保身に走り、民も、城も、宮廷の重鎮たちも全て見捨てて逃げ出したのだ。
「ギルベルト兄上は自ら帝位の正統性を捨てた。そしてレオポルド兄上は帝都を焼いた『焦土の逆賊』となった……!」
ルーファスは立ち止まり、猛火に包まれる黒鷹城の大広間を見据えた。
その奥には、歴代皇帝の象徴であり、正統なる皇位の証たる帝国の宝剣と黄金の玉璽が祀られている祭壇があった。
「フェリックス、アルバン! 俺に続け! 玉璽と宝剣を回収する!」
「正気かルーファス!? 天井が崩落しかけているぞ!」
「これ無くして、誰がこの国を束ね直すというのだ! 帝国をサラウの思う壺にも、狂った兄上たちの玩具にもさせはせん!」
ルーファスは躊躇なく、炎の壁の中へと飛び込んだ。
「ちくしょう、相変わらず無茶ばかりしやがる……! 疾風の名が泣くぞ、ついていくぞアルバン!」
「フッ……いいさ。地獄の底まで付き合ってやる!」
疾風の将校と漆黒の参謀が、主君の背中を追って火の海へと躍り出た。
◇
数時間後。東の空が白み始めた頃、帝都ヴァルハイトを包んでいた猛火は、ようやく勢いを弱めていた。
だが、眼前に広がっていたのはあまりにも惨酷な光景だった。
白亜の美しさを誇った都市は黒く焼け焦げ、帝宮黒鷹城の半分は無惨に崩落していた。路上には避難遅れの傷病者や、家を失い呆然と座り込む民衆が溢れかえっている。
第一皇子派も第二皇子派も、もはやここにはいない。
ギルベルトは北へ逃げ、レオポルドは南で挙兵の準備を進めている。二人の皇子は、権力への執着ゆえに帝国を二つに切り裂き、この帝都を捨て去ったのだ。
その灰と煙が立ち込める広場で、ただ一人、自ら剣を抜いて鎮火活動と治安維持を指揮し続けている男がいた。
第三皇子ルーファス・フォン・バルドア。
彼は顔を煤で汚し、自らの手で崩れた瓦礫を撤去し、傷ついた子供に水を与えていた。その傍らには、過酷な市街地防衛を完遂したフェリックスの部隊と、情報工作で民衆のパニックを最小限に抑え込んだアルバンの姿があった。
「ルーファス殿下……! ああ、ルーファス殿下……!」
炎の中からルーファスによって救い出された中立派の老臣、マルク伯爵が涙を流しながら膝を突いた。彼の後ろには、見捨てられたことに絶望していた数百人の宮廷官僚や、叩き上げの軍人、そして帝都の民衆が集まってくる。
「ギルベルト殿下も、レオポルド殿下も、我らを見捨てて逃げ出されました……! 帝都を焼き、民を肉片のごとく捨て去ったあの者たちに、皇帝を名乗る資格などございません!」
「そうだ! 我らを救い、この地獄の中で帝国の誇りを守り抜いてくださったのは、ルーファス殿下ただお一人だ!」
叩き上げの兵士が、掲げた槍を地面に突き立てて叫んだ。
その声は波紋のように広がり、広場を埋め尽くす傷ついた民や兵士たちの地鳴りのような歓声へと変わっていく。
「ルーファス殿下を皇帝に!」
「ルーファス殿下こそ、我がバルドア帝国の真の主だ!!」
老臣マルク伯爵が、震える手でルーファスの前に深々と頭を下げた。
「どうか……どうか、我らと、このバルドア帝国をお救いください……! 殿下が玉座に就かれぬならば、我が国は今度こそ露と消えます!」
静寂が訪れた。
ルーファスは煤けた外套を翻し、煙の上がる黒鷹城の残骸を背にして立ち上がった。その腰には、炎の中から決死の覚悟で救い出した帝国の宝剣が挿され、その手には黄金の玉璽が固く握られている。
ルーファスは静かに、しかし帝都全域に届くほどの重々しい声を響かせた。
「――立ち上がれ、帝国の同胞たちよ」
その眼光には、士官学校時代から変わらぬ愚直な努力の歴史と、この地獄を背負うという凄絶な覚悟が宿っていた。
「兄たちは自らの欲望のために帝都を焼き、民を捨てた。……ならば、俺が立つ。俺がこの灰燼に帰した帝都から、新たなバルドア帝国を築き直す!」
ルーファスは宝剣を天高く抜き放った。
「我は本日、第十八代バルドア帝国皇帝として即位を宣言する! 帝都を焼き払った逆賊レオポルド、そして国を見捨てて逃亡したギルベルトに対し、帝国全土をもって征伐を命じる! さらに――この不必要な血を流させ、我が国を裏で操ろうとしたサラウの陰謀を、我が手で粉砕する!!」
「「「うおおおおおおおおおおっ!!!!」」」
焦土と化した帝都に、地揺れするような咆哮が響き渡った。
血と灰の中で産声を上げた、新皇帝ルーファス・フォン・バルドア。
バルドア帝国は今、二人の兄による南北の反乱軍と、新皇帝率いる中央政権による、未曾有の大内乱時代へと突入したのだった。
◇
一方その頃。
オルティジア王国の王宮執務室。
「……え?」
ぽろり、と。
俺――ライン・オルティジアの手から、高級な磁器のティーカップが落ち、絨毯の上で虚しく転がった。
目の前に立つアルテとシャルロッテは、青ざめた顔で絶望的な報告を読み上げている。
「ら、ライン……! 先ほど、バルドア帝国から緊急の魔道通信が届きました……! 第二皇子レオポルドが挙兵し、帝都ヴァルハイトおよび黒鷹城に放火! 帝都は壊滅的被害を受けました!」
「えっ……?」
「さらに、逃亡した第一皇子と挙兵した第二皇子に対し、第三皇子ルーファス様が焼け跡の帝都で急遽『第十八代皇帝』としての即位を宣言! 帝国全土へ実の兄二人に対する『征伐令』を発出されました!!」
「は……? 皇帝……即位……!?」
俺の頭の中は、完全にフリーズした。
ルーファスが?
あの士官学校時代、いつも真面目で、泥臭く努力していて、『俺は地味だからな』なんて苦笑いしていたあのルーファスが??
帝都が火の海になって、兄貴たちが反乱を起こして、その真ん中で皇帝になったぁぁぁぁぁぁっ!?!?
「な、なんでぇぇぇぇぇぇっ!?? 何があったらそうなるんだよおかしいだろおおおっ!!」
俺は頭を抱えて執務室の床を転がりまわった。
「帝国が! 帝国が本格的な内乱になってるじゃねーか!! なんでそんな修羅場にルーファスが立たされてるんだよ!! あいつ、根が真面目すぎるからストレスで胃に穴があいて死んじゃうぞ!?」
「……さすがはライン坊や」
シャルロッテが、深く、心底感服したように頷いた。
「ルーファス新皇帝が即位されたことで、帝国のパワーバランスは崩壊し、大陸全土を巻き込む大戦乱の足音が聞こえるねえ。……坊やにはもう見えてるんだろ?新皇帝ルーファス率いる新帝国との次なる外交戦の盤面をね……!」
「ちがう!! 俺はただ友達の胃の心配をしてるだけだぁぁぁっ!!」
「アルテ、すぐにオルティジア全軍へ極秘の警戒態勢を。せいぜい帝国の内乱が我が国へ飛び火しないようにするんだね。」
「確かに…今すぐに準備するよ」
「話を聞けぇぇぇぇぇっ!!」
俺の悲鳴は、嵐のような内戦の足音にかき消されていく。
「あ、胃が……胃が痛い……! 誰か……ヴァルハイトの胃薬を……いや帝都燃えてるからもうあの胃薬手に入らないじゃん!! どうすんだよ俺の胃はぁぁぁぁっ!?」
遠い北の地で過酷な覇道を歩み始めた新皇帝ルーファスと、西の湖で胃薬を失い絶望にのたうち回るライン。
二人の同期の噛み合わない運命は、大陸全体を巻き込む激動の渦となって、さらなる波乱へと突き進んでいくのだった。




