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第四十話:暗夜の糸、あるいは巨人の影

 帝都ヴァルハイトの夜は、重苦しい静寂と、いつ破れるとも知れぬ殺気に包まれていた。



 バルドア帝国第十七代皇帝アドルフ八世の崩御から数日。



 黒鷹城の広大な敷地を挟み、第一皇子ギルベルトと、第二皇子レオポルドの二大勢力は、すでに抜き身の剣を突きつけ合う一触即発の状態に陥っていた。


「レオポルドの奴め……! 天に唾する非道な毒殺者めが!」


 第一皇子ギルベルトは、豪奢な執務室でワイングラスを床に叩きつけた。


絨毯に赤い液体が染み込んでいく。ギルベルトは門閥大貴族たちの支持を背景に持つ、自尊心の強い男だった。


「我が父のごときアドルフ八世陛下を毒殺し、その罪をうやむやにして帝位を強奪する気だ! 愚かな軍部を巻き込んで、この私を排除しようなどと……許し難い!」


「ギルベルト様、落ち着かれよ」


 側近の大貴族が静かに宥めるが、ギルベルトの瞳には怒りと疑心暗鬼の炎が狂おしく吹き荒れていた。


「落ちつけだと!? 侍医の証言も、帝都警備隊の動きも、すべて奴が裏で糸を引いている証拠ではないか! 奴は最初から、正統なる後継である私を力づくで排斥するつもりだったのだ! 軍を動かせ! レオポルド派の重臣どもを一人残らず拘束しろ!」


◇


 一方、帝都南部に陣を張る第二皇子レオポルドの陣営もまた、激しい怒りに渦巻いていた。


「血統ばかりを誇る無能どもが……! ギルベルトの兄上こそ、陛下を毒殺した真犯人ではないか!」


 二分された帝国軍の実力派将校らを従えるレオポルドは、作戦机を激しく拳で叩いた。

彼は実力主義と軍部の刷新を掲げる野心家であり、その気性がゆえに、第一皇子派の宮廷貴族たちからは激しく忌み嫌われていた。


「老齢の陛下がいつ後継を指名されるか分からず、焦った兄上が裏で侍医を買収し、毒を盛ったのだ! そしてその罪を、軍部を率いる私になすりつけ、反逆者として処刑しようとしている! なんという卑劣……なんという浅はかさ!」


「レオポルド殿下、私兵同士の小競り合いが市街地で発生しております。もはや猶予はありません!」


「分かっている! 第一皇子派の兵が我が陣営を一歩でも侵せば、即座に全軍をもって黒鷹城を包囲せよ! 陛下を殺した逆賊ギルベルトを撃ち払い、帝国の血を入れ替える!」


 お互いがお互いを「皇帝を毒殺した犯人」だと固く信じ込み、己の正当性を証明するため、そして生き残るために抗争を激化させていく。

二人の異母兄たちの猜疑心は絶頂に達し、帝都ヴァルハイトは内戦という名の暗雲に飲まれようとしていた。


◇


 二つの巨大な渦がぶつかり合おうとするその陰で、第三皇子ルーファスは静かに動き続けていた。


 帝都郊外、地下の密室。


 松明の火が怪しく揺れる中、ルーファスの足元には、数人の男たちが縛り上げられて転がされていた。帝都の裏社会を仕切る怪しい仲介業者と、皇帝の侍医に毒薬を渡した手先どもだ。


「……話せ。誰の指示だ」


 ルーファスの声は、氷のように冷たかった。

その背後には、オパールの双眸を冷たく光らせる参謀オスカーと、腰の剣に手をかけた機甲将校フェリックスが控え、圧倒的な威圧感を放っている。


「ひっ……ひぃぃっ! 知らん! 俺たちはただ、指示された通りに胃薬の材料と偽って、侍医に薬を渡しただけだ!」


「嘘をつくな」


 オスカーが歩み寄り、冷酷な笑みを浮かべながら仲介業者の胸元を踏みつけた。


「第一皇子ギルベルト派の金の流れも、第二皇子レオポルド派の軍用金ルートも、すべて俺が調べ尽くしている。……だが、お前たちに支払われた金貨の刻印は、バルドア帝国のものすら無かった。……どこの金だ?」


「がっ……あ、言えん! 言ったら俺たちの命が――」


「言わねば、今この場で刻み刻みにされるだけだぞ」


 フェリックスが静かに剣を数センチ抜いた。鞘と刀身が擦れる甲高い音が、地下室に嫌な緊張感を走らせる。


「……さ、サラウだ! サラウ交易領の商人から頼まれたんだ!」


 ついに吐き出された名に、ルーファスたちの眉根が跳ね上がった。


「サラウ……だと?」


「そうだ! サラウの『あるお方』の代理人だ! 大金と引き換えに、帝国宮廷に特定の毒薬を流し込み、ギルベルト様とレオポルド様の両派に『相手が毒を盛った』という偽の証拠をそれぞれ掴ませろと頼まれたんだ! 俺たちは指示通りに動いただけなんだぁぁっ!」


 仲介業者の悲鳴が地下室に響く。


フェリックスが剣を収め、吐き捨てるように呟いた。


「まさか……ギルベルト兄上もレオポルド兄上も、双方とも毒殺の犯人ではなかったというのか……?」


「ああ。二人とも、完全に何者かの描いた筋書きの上で踊らされている」


 オスカーが片眉を上げ、オパールの双眸を険しくした。


「双方に『相手が犯人だ』と思い込ませ、不必要な抗争を激化させる。……バルドア帝国を内側から自滅させるための、あまりにも完璧で冷酷な毒殺劇だ。そしてその裏で糸を引いているのは……」


「サラウ交易領の最高指導者……シャハール」


 ルーファスは重く、その名を口にした。


◇


 ルーファスの脳裏に、かつて届いた西からの報せが過る。


 大陸中央、東西を分かつ不落の要衝オルティジア。

かつて帝国の辺境伯領に過ぎなかったその島国を率いる男――ライン・オルティジア。

ラインは最近、大国サラウを相手に圧倒的に有利な貿易協定を結ばせ、サラウを外交で屈服させたばかりだった。


(……そういうことか、シャハール)


 ルーファスは冷徹に盤面を読み解いていった。


(ラインという怪物が西で急速に頭角を現し、サラウの弱みを握って圧力をかけた。焦ったシャハールは、ラインを排斥する余裕がないと悟り、ならば隣接する我がバルドア帝国を混乱させ、東西のパワーバランスを強制的に崩そうとしたのだ……!)


 ルーファスは知る由もなかった。


シャハールが勝手にラインの無言の圧力(※ただの誤解)に恐怖し、暴走して帝国に手を突っ込んできただけだという真相を。


 だが、ルーファスの胸の中に燃え上がったのは、絶対的な覚悟だった。


「兄上たちは愚かだ。己の欲望と猜疑心に目を奪われ、サラウの陰謀に気づくことすらできず、国を血の海に染めようとしている」


 ルーファスは力強く拳を握りしめた。


「フェリックス、アルバン。……兄上たちの抗争を、これ以上好きにはさせない。両派が激突し、疲弊した瞬間を狙う。俺たちが帝都の混乱を鎮圧し、サラウの陰謀を打ち砕く」


「「了解(ヤー)!」」


「ふっ……面白くなってきたな。砂漠の狐相手に、はたしてどこまで立ち回れるか」


 かつて士官学校で愚直に泥をすすっていた第三皇子は、今や帝国を救い、友と肩を並べるための「真の覇道」へ一歩を踏み出していた。


◇


 一方その頃。


 大陸中央、マルマラ湖に浮かぶ不落の要衝――オルティジア王国の王宮。


「ふぁぁぁあ……美味しい。やっぱりトマトベースのパスタは最高だなぁ……」


 ライン・オルティジアは、執務室で一人、ニナが作ってくれた特製パスタを呑気に頬張っていた。


「あー、平和だ。外は風が強そうだけど、この部屋の中は本当に静かで最高だぞ」


 ラインはフォークを動かしながら、のほほんと窓の外を眺めていた。


「ぐふふお兄ちゃん!ウチの作ったパスタ最高っしょ?このままぁ、ウチのことも食べちゃっていいんだよ??」


いつものようにまとわりつくニナを軽くあしらい、俺はバルドゥア帝国の内紛に思いを馳せていた。


(帝国のギルベルト様とレオポルド様、なんか凄まじい勢いで喧嘩してるらしいけど……まあ、あっちの大帝国なら勝手に収拾つけるでしょ! 俺は関わらないのが一番! 胃薬も効いてきたし、今日は早めに仕事終わらせてお風呂に入ろうっと!)


 自分の過去の適当な言動が巡り巡って、サラウの僭主を狂わせ、帝国の皇帝毒殺と激甚な抗争を引き起こした巨大な引き金になっているとは――


 呑気な王は、一ミリたりとも気づいていなかった。

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