第四話:籠城は、香りに乗せて
「……くっ、生殺しだ……! これでは拷問以上の苦痛ではないか……!」
オルティジア島東部
アルベルト男爵領、中央府。
頑丈な石造りの館に立てこもる帝国陸軍大佐クローゼは、窓枠を指が血を滲ませるほど強く握りしめていた。
高地からの不条理極まりない《魔導多連装砲》の猛撃を受け、帝国軍先行部隊は補給物資の七割を焼失。
ほうほうの体でこの館に逃げ込んだものの、残された兵糧は各人の袋に残ったわずかな干し肉と、かび臭いパンのみだった。
だが、彼らを本当の地獄へ突き落としたのは、空腹そのものではなかった。
ふわり、と。
風に乗って窓から吹き込んできたのは――芳醇で、濃厚で、脳髄を直接揺さぶるような『極上の匂い』だった。
じっくりと煮込まれた肉の旨味。香辛料の甘くスパイシーな香り。そして、取れたての野菜の甘みが溶け込んだ、温かいスープの匂い。
「な、なんだこの匂いは……!? 鼻が……鼻がバカになりそうだ……!」
「う、あ……お腹が……ぐううって……」
見張りの帝国兵たちが、銃を抱えたまま力なく膝をつく。
空腹で極限状態にある胃袋に、風下から容赦なく叩きつけられる『圧倒的美味の香り』。それは剣で斬られるよりも凄惨な、精神を内側から破壊する暴力だった。
◇
一方その頃――帝国軍が立てこもる男爵の館から、ちょうど風上にあたる丘の上。
「う〜ん! 我ながら完璧な出来栄えね!」
腕まくりをしたセシリアが、大きな木製のおたまを手に、満足げに微笑んでいた。
そこには、巨大な鉄鍋が何十個も並べられ、もうもうと白い湯気を上げている。
中身は、俺が試作させた圧縮栄養スープの素に、地元で採れた新鮮な魔獣肉と根菜を惜しげもなく投入した、特製『具だくさんポトフ風スープ』だ。
「おいおい、セシリア殿! 陣地の真前でこんな大規模な炊き出しをするなんて、一体何の冗談だ? 敵に見せつけるように飯を喰うなんて、流石に悪趣味すぎないか?」
兵士たちにスープを配っていたレオンが、苦笑いを浮かべながら言った。
しかし、当の俺は、ふかふかの簡易毛布に包まりながら、
(悪趣味もなにも……俺が温かい飯を食べたかっただけなんだけど!?)
昨夜は多連装砲の爆音と胃痛で一睡もできず、心身ともにボロボロ。そんな状態で硬い干し肉など食えるはずがない。「温かいスープが飲みたい」「どうせなら全軍の士気を上げるために外で煮込めばいいじゃん」と呟いただけなのだ。
(だいたい、なんで敵の籠城に突擊しなきゃいけないんだよ。あいつら追い詰められてるんだから、下手に刺激して突撃したら手痛い反撃が待ってる。放っておけばお腹減って勝手に降伏してくるんだから、スープでも飲んで待ってるのが一番安全なんだよ!)
戦うのが怖く、自分が怪我をしたくないがゆえの「全面待機&もぐもぐタイム」。
それが、まさか風に乗って敵陣へ直撃し、悪魔の飯テロと化しているなど、俺は露ほども思っていなかった。
「はい、ライン。あ〜んして。」
「……ぶふっ!?」
物思いにふけっていたラインの目の前に、なみなみとスープが注がれたスプーンが突きつけられた。
見上げれば、セシリアが極上の笑みを浮かべ、顔をぐっと近づけてきている。
先日の「祝勝会でのキス事件」の記憶がフラッシュバックし、ラインの顔が跳ね上がった。
「セ、セシリア……! 人前で何をやっているんだ! 俺は自分で食べられる!」
「あら、ダメよ? 昨夜はあんなに情熱的に私を受け入れてくださったのですから、これくらい当然のスキンシップですわ。ほら、ふー、ふー……あ〜ん」
「いや昨日は何もしてねえだろ!?」
周囲の兵士たちが「おおお……!」「流石セシリア様、押しが強い!」「昨夜の噂は本当だったのか!」と盛り上がり始める。
俺の胃がキリキリと悲鳴を上げた、その時――。
「――そこまでだよ、帝国の魔女」
氷のように冷ややかな、しかし凛とした声が割り込んだ。
アルテが、静かな足取りで二人の間に割り込んでくる。その手には、銀のお盆に乗せられた小さなグラスが握られていた。
「ライン。この前は帝都の魔女が暴走していたけど……今日は私がお口直ししてあげるね。」
「お、お口直し……?」
アルテはフッと妖艶な笑みを浮かべると、俺のすぐ隣に腰掛け、逃げ場を塞ぐようにそっと肩を寄せてきた。彼女の甘い香水の匂いが、スープの香りを塗り替えておの鼻腔をくすぐる。
「ええ。冷えた果実水と……それから、もし、ラインが望むなら、セシリア以上のものをあげるけど……?」
耳元で囁かれる吐息。アルテの控えめな胸が俺の腕に押し当てられ、脳内のヘタレメーターは一瞬で弾け飛んだ。
(ひ、ヒエッ……!! アルテまでおかしなスイッチ入ってる!!? 助けて!!)
完全に修羅場である。前線基地の幕舎前が、一瞬にして俺を奪い合う乙女たちの戦場と化していた。
(胃薬……!! 誰か追加の胃薬をくれぇぇぇ……っ!!)
俺が心の中で血の涙を流しながら頭を抱えていると、それを見ていたアルテが、ハッと感銘を受けたように目を輝かせた。
「……流石だね、ライン」
(何が!? 俺今、ただ修羅場で死にかけてるだけなんだけど!?)
アルテは手に持っていたグラスを置き、遠くに見える帝国軍の館を見つめながら、恍惚とした溜息をついた。
「自らは美味なる食事と私たちの愛を心ゆくまで堪能しつつ、その幸福な光景と匂いだけを敵に突きつける……。剣で身体を傷つけるのではなく、極限の空腹と精神的絶望によって、敵の戦意を根こそぎ粉砕する《精神破壊戦術》……!」
(((ちがう。ただの野外炊き出しとラブコメの事故だ。)))
俺の心のツッコミは、当然ながら誰の耳にも届かない。
「レオン卿! 敵の様子はどうですか!?」
「ハッ! 報告いたします! 風下に位置する帝国軍陣営、すでに半数以上の兵が武器を落とし、スープの匂いを嗅ぎながら泣き叫んでおります! 士気はゼロ! 明朝までには餓死者を恐れた敵が全滅、あるいは投降してくるかと!」
「ふふ、見事ですわ。ライン様の思惑通り……戦わずして勝つ。これぞ真の『神軍略』ですわね」
(だから俺はただ温かいスープが飲みたかっただけなんだってば……!)
俺は白目を剥きながら、差し出されたスプーンのスープを「あー……」と力なく口に含んだ。美味しいはずのスープが、胃痛のせいで全く味がしなかった。
◇
そして――同刻。
精神破壊兵器(スープの匂い)によって、完全に崩壊寸前へと追い込まれていた帝国軍陣営。
「……くそっ……くそおぉぉぉっ!!」
クローゼ大佐は、自分の腕を噛みちぎらんばかりの勢いで咆哮した。
周囲を見渡せば、かつて精鋭と謳われた帝国兵たちが、うわ言のように「スープ……」「お肉……」と呟きながら床に転がっている。
「ライン……! どこまで我々を愚弄すれば気が済むのだ……! 圧倒的な火力で弾圧するだけに留まらず、今度は我々の飢えを嘲笑うかのように宴を催すとは……っ!」
彼らにとって、ラインの行動は「冷酷無比な悪魔の嫌がらせ」以外の何物でもなかった。
「大佐……もう限界です……。降伏しましょう……ライン様にお願いして、スープを分けてもらいましょう……」
「黙れぇっ!!」
弱音を吐いた部下を怒鳴りつけ、クローゼ大佐はギラギラと執念に燃える瞳で剣を抜いた。
「帝国軍人が、敵の差し出す餌に群がって生き恥を晒せるか! このまま干上がって惨めに降伏するなど、我がプライドが許さん!」
クローゼは生き残った将校たちを見回し、低く、重い声で言い放った。
「今夜――月が陰る刻限に、全軍で敵の本陣へ夜襲をかける!」
「や、夜襲!? ですが我々にはもう体力が……!」
「敵は今、勝利を確信してスープを飲み、完全に油断している! 狙うはただ一人――敵将、逆賊ラインの首ただ一つ!!」
「「「……っ!!」」」
追い詰められた鼠が、最後に放つ毒牙。
飯テロによって極限まで正気を失った帝国軍二千が、己の命を賭した最後の無謀な賭け(夜襲)へと動き出そうとしていた。
◇
「……ハックション!!」
自分の幕舎で、アルテとセシリアに挟まれながら布団に入っていたラインが、盛大なくしゃみをした。
(……なんか、凄く嫌な予感がする。明日には降伏してくれるよね? ね??)
ラインの切実な願いも虚しく、帝国軍の反撃は刻一刻と近づいていたのである。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
そして、新章開幕ラッシュにお付き合いいただきありがとうございます!
ライン陛下、ただ前線で「美味しい温かいスープが飲みたかっただけ」なのに、敵からは『悪魔の精神破壊拷問』、アルテからは『完璧なる心理戦』と捉えられてしまいました。相変わらずの全自動勘違い無双ですが、幕舎の裏ではヒロインたちの「お口直し」という別ベクトルの地獄(胃痛)が勃発しております(笑)。
しかし、飯テロによって極限まで追い詰められた帝国軍が、まさかの**【決死の夜襲】**を敢行……!?
油断しているライン陛下は、この最大のピンチをどう(勘違いで)切り抜けるのか!?
次回、もどうぞお楽しみに!
最後にお願いです!】
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