第三十八話:義姉からの定期便は、取り扱い注意
「……はぁ」
王都オルティジア、領主執務室。
俺は積み上がった書類の山を前に、今日何度目になるかも分からない深々とため息をついた。
俺が望むものは、いつだってただ一つだ。
『何事も起こらない、穏やかで平和な日常』
それだけだ。
無闇に手柄を立てたいわけでも、隣国と戦争をしたいわけでも、歴史に名を残したいわけでもない。ただ毎日三食美味しくご飯を食べて、温かい布団でぐっすり眠れれば、それ以上に幸せなことなんてないはずなのだ。
なのに――。
「どうしたんだい、坊や? そんなに深いため息をついて。せっかくの可愛い顔が台無しだよ?」
ふかふかの革張りソファに深々と腰掛け、優雅に紅茶のカップを傾けているのは、シャルロッテだ。
現在、俺の国では大規模な『経済特区』の設立され、おかげで領地の財政は開世以来最高の潤いを見せているのだが……代わりに俺の胃の痛みと仕事量は跳ね上がっていた。
「いや……レイラが武者修行に出てから、王都が少し静かすぎる気がして。無事にしているといいんだけど…」
「あら、あの脳筋……コホン。美麗なる騎士様なら、どこへ行っても野垂れ死にだけはしないだろ。むしろ心配すべきは、あの子が訪れた先の土地や人々の方じゃないのかい?」
「そんな、レイラだって一応大人だぞ?まあ、ちょっと力が強すぎるだけで……」
俺が苦笑い交じりに弁明していると、部屋の扉がトントンと控えめに叩かれた。
入ってきたのはギルバートで、その両手には厳重に梱包された小さめの木箱と、一通の手紙が載せられていた。
「ライン様。バルカ公国に滞在中のレイラ様より、定期便の手紙とお土産が届いております」
「レイラから!? 無事だったか……!てか、いまレイラはバルカ公国にいるのか」
僕はホッと胸を撫で下ろし、急いで手紙を受け取った。
うん…汚い…癖が強いとかそんなんじゃない…ちょっと公人として恥ずかしいレベルの字の汚なさだ…。無事を確かめるべく、俺は手紙の封を切り、声を漏らしながら読み進めた。
◇
『ライン殿へ。
王都を発って数日、お元気にされているだろうか。私は至って壮健である。
道中、山賊団が出たが、愛用のメイスで再教育を施しておいた。彼らは現在、涙を流して改心し、自主的に街道の清掃奉仕に励んでいる。治安維持は万全である』
「……山賊を清掃業者に変えたの……!?」
最初の一行からエンジン全開だった。
「再教育」って何だろう。きっと改心というより、恐怖のあまり奴隷になっただけなんじゃなかろうか。街道がキレイになるのは良いことだけど、いきなりツッコミどころが多すぎる。
『また、途中の村で害獣であるベアモスタが出たため、群れの長を打ち倒し、「人間領への侵入の不利益」を理解させておいた。村の若い女性たちがライン殿へ感謝の文を認めたいと申し出てきたが、無用な混乱を避けるため、静かに辞退していただくよう諭しておいた。ライン殿の周りを清廉に保つのも、護衛たる私の務めである』
「……最後の文章、絶対にメイスをチカチカさせて脅したよね!? 村娘さんたちに何の罪があるの!?」
感謝の手紙すら「主君への不純物」として物理的に遮断する鉄壁の護衛能力。いや、護衛というよりただの独占欲じゃないだろうか。俺は早くもこめかみを押さえ始めた。頭が痛い。
『追伸。
バルカの御前武闘大会にて優勝した際、サラウの傭兵とかいう三人組から、珍しい外国の細工物を手に入れた。ライン殿はこのような綺麗な小物が好きだったと思い、お土産として同封する。朝晩は冷え込むゆえ、体に気をつけてほしい。
追伸の追伸。王都の料理人が作る、あの薄味のスープが恋しい』
「……最後は可愛いこと書いてるけどさぁ」
手紙を読み終えた僕は、深々と、本当に深々と息を吐き出した。
まあ、武闘大会で優勝したというあたり、相変わらず無茶苦茶をやっているみたいだけど、大怪我を負っている風でもないし、元気にやっていてくれたなら何よりだ。
「ふふ、相変わらず愛されているねぇ、ライン」
ソファーの上でシャルロッテがくすくすと楽しそうに笑っていた。
「笑わないでくれよ、シャルロッテ。レイラが帰ってきたら、真っ先に俺の胃が破壊されそうな気がしてね…」
「おや、いいじゃないか。それだけ優秀で美しい義姉様が、坊や一筋なんだから。……で、そのお土産というのは?」
「ええと、これみたいだな」
僕は執事が置いていった木箱の蓋を開けた。
中には、上質な羊毛の布に包まれた、掌サイズの金属塊が入っていた。
取り出してみると、ずっしりとした重みがある。純金で作られているらしく、表面には一輪の太陽と、雄々しい獅子の姿が非常に精巧な細工で刻まれていた。
「へえ……これがレイラの土産か。確かにずっしり重くて、装飾も綺麗だ。バルカ公国の珍しい記念コインか何かかな?」
「どれ、私にも見せて……」
シャルロッテが興味深そうに身を乗り出し、俺の手からその金色のメダルを受け取った。
——次の瞬間。
彼女の全身から、一瞬で『甘やかな空気』が霧散した。
「……っ!?」
シャルロッテの美しい瞳が、恐ろしいほど冷たく、鋭く細められる。
いつも浮かべている余裕たっぷりの笑みが消え、彼女はメダルに刻まれた太陽と獅子の紋様を、食い入るように見つめ始めた。指先で刻印の縁をなぞるその手つきは、完全に一流の政治家のそれだった。
「シ、シャルロッテ……さん……? どうかしましたか?」
あまりの雰囲気の変貌に、思わず声が裏返ってしまう。
シャルロッテは俺の問いかけには答えず、ただ静かに、恐ろしいほどの速度で思考を巡らせているようだった。
(これは……ただの珍しいコインなんかじゃないわ。砂漠のサラウ交易領の大首長直属……特務工作員だけに与えられる通行証……!)
シャルロッテの脳裏で、商会の商人達が世界中から収集している最新の国際情勢が一気に繋ぎ合わされていく。
サラウ交易領は、この世界を経済で牛耳ろうとしている大国。バルカ公国の第二王子と裏で通じていても不思議はない。
我がオルティジアが進めている『経済特区』構想は、サラウにとって最大の障害となるはずだった。
それを――。
レイラ・オルティジアは、たった一人でバルカへ乗り込み、サラウが送り込んだ最精鋭の暗殺者を粉砕し、さらにこの証拠を強奪してきたというのか。
(……レイラ・オルティジア。ただの戦闘狂の脳筋騎士かと思っていたけれど……まさか、ここまで完璧なタイミングでサラウの喉元を握ってくるなんて。……いいえ、待ちなさい)
シャルロッテはふと、目の前でオロオロと狼狽えている青年――ライン・オルティジアに視線を向けた。
(偶然? そんな都合の良い偶然があるかしら? レイラにバルカへの武者修行を勧めたのは誰? 彼女が暴れることを予測し、あえて放ち、サラウの尻尾を掴ませたのは……誰?)
シャルロッテの背筋に、ゾクリとした甘やかな戦慄が走った。
目の前にいる少年は、いつも「平穏に過ごしたい」「面倒事は嫌だ」と困惑したような顔をしている。
けれど、彼が何かを口にし、誰かを動かすたびに、オルティジアの利益は爆発的に跳ね上がり、敵対勢力は自滅していくのだ。
(恐ろしい男だよ……。すべてを『愚直な義姉の暴走』に見せかけて、裏で完璧に糸を引いているというのかい……!?)
「あの……シャルロッテ? 真顔で俺をじっと見つめられると、すごく怖くて胃が痛むんですけど……」
俺が情けない声で尋ねると、シャルロッテさんはふっと一息をつき、いつもの妖艶で美しい笑みを唇に浮かべた。
「……ねえ、坊や」
「は、はい!?」
「あなた……本当に『ただの事勿れ主義の坊や』なのかい?」
「ええええっ!? 当たり前じゃないですか! 俺はただ毎日書類処理を平和に終わらせて、夜はぐっすり寝たいだけのただの気弱な領主だよ!?」
「……フフ、そう。まあ、そういうことにしておいてあげるさ」
シャルロッテさんはくすくすと楽しそうに笑うと、金色のメダルを僕の手元へとそっと返してきた。その瞳には、肉食獣が獲物を見つけた時のような、怪しい光が宿っている。
「良いお土産をもらったね、ライン坊や。……というか、私にとっても最高の手札さね」
「えっ? 手札……? これ、ただの綺麗なお土産じゃ……」
「いいえ。これはサラウ交易領の弱みそのものさ。バルカとサラウが裏で何を企んでいたとしても、このメダルを突きつければ、彼らはぐうの音も出ないさ。」
「えっ……? えっ……!? シャルロッテ、それどういうことだ!?」
有利な条件? サラウ? 密約?
俺の理解を超えた政治の専門用語が飛び交い、頭の中が真っ白になる。
「レイラが持ち帰ってくれたこのお土産のおかげで、我がオルティジアの経済権はあと十年は安泰だよ。ふふ……あなたという男は、本当に底が知れないねぇ」
「待ってくれ!俺は何もしてないぞ! レイラが勝手に拾ってきただけだろ!?」
「ええ、ええ。今はそういうことにしておいてあげるよ」
クスリと笑い、シャルロッテは優雅に部屋を出て行ってしまった。絶対に俺の言葉を信じていない顔だった。
「な、なんでぇぇぇぇぇっ!?」
誰もいなくなった執務室で、僕の絶叫が虚しく響き渡る。
ただ平穏に暮らしたいだけなのに。
レイラが旅先で無自覚に拾ってきたお土産のせいで、またしても俺の知らぬところで巨大な政治の嵐が巻き起ころうとしていた。
「レイラ……一体どこで何を倒してきたのさぁぁぁぁっ!!」
俺は頭を抱え、デスクの上に置かれた胃薬の瓶を必死に掴むのだった。




