第三十七話:黒き三獣士と、踏み台の美学
バルカ公国・都中央闘技場。
擦り鉢状に広がる巨大な観客席は、超満員の熱気と地鳴りのような歓声に包まれていた。
「さあさあ! バルカ公国・御前武闘大会! 幾多の猛者どもをなぎ倒し、ついに決勝の舞台へ躍り出たのは――なんという奇跡か! 隣国オルティジアより現れた、一輪の大輪の薔薇! 絶世の美女にして無敗の鬼神、レイラ・オルティジアぁぁぁぁっ!!」
実況の怒号のようなアナウンスに応えるように、闘技場の片隅から静かな歩調で現れたのは、レイラ・オルティジアその人であった。
陽光を跳ね返す眩い青みがかった黒髪。隙のない所作、どこか浮世離れした美貌。黙って立っていれば、誰もが息を呑み、額ずきたくなるような凛とした美しき騎士――。
だが、その可憐な肩に担がれているのは、身の丈ほどもあるミスリル製フランジメイスであった。
(……すさまじい喧騒だな)
レイラは心の中で密かに溜息をついた。
観客席の男たちが「レイラ様ぁぁぁ!」「俺をそのメイスで殴ってくれぇぇぇ!」と正気を疑うような声援を送援してくるが、レイラは眉ひとつ動かさない。
(ライン殿は、今頃どうされているだろうか……。このような野蛮な狂騒の中に放置すれば、きっと胃を痛めて倒れてしまうに違いない。)
レイラの脳内に広がるのは、愛しい義弟――ライン・オルティジアの心穏やかな笑顔(※レイラの脳内補正である)だけであった。
「ふん、呑気なものだな。己が置かれた立場も分からず、遠い目などして」
対峙する反対側のゲートから、重厚な足音が三つ、重なって響いた。
現れたのは、黒い漆黒の布を身に纏い、顔半分を覆った三人組の男たち。頭部から覗く獣の耳――狼、豹、そして獅子の耳。
「いでよ! 対するは、我がバルカ公国第二王子殿下が、砂漠のサラウ交易領より巨額の報酬で招き入れた最高峰の魔導暗殺集団! 暗黒の砂嵐――『黒き三獣士』だぁぁぁっ!!」
第二王子の観賓席からは、ワインカップを掲げた派手な男が下品な笑みを浮かべて見下ろしていた。酒場でレイラに酒樽ごと吹き飛ばされた意腹いせに、国庫を傾けて買い叩いたサラウの秘密兵器である。
「娘よ」
先頭に立つ狼耳の男――ガイが、腰のシャムシールに手をかけながら低い声で言った。
「バルカの第二王子などどうでもいいが、我らサラウの傭兵としての矜持にかけて、依頼は完遂する。お前のその首、サラウへの手土産とさせてもらうぞ」
続いて豹耳の男――ピニオが、薄笑いを浮かべながら短剣を交差させる。
「へへっ、綺麗な顔だな。だがサラウの戦場じゃ、見た目の美しさなんざ一銭の価値もねえんだよ」
最後に、一歩引いた位置で巨大な大剣を構える獅子耳の巨漢――オルガが、腹の底から響く声で唸った。
「言葉はいらん。無に帰せ」
圧倒的な殺気と、砂漠の過酷な戦場を潜り抜けてきた圧倒的な手猛さ。
観客席の熱気が一瞬で引き散り、緊張感で静まり返る。
だが、レイラは相変わらず静かな眼差しで三人を見据え、凛とした佇まいのまま言った。
「そうか。サラウの者か」
「……何だ、その態度は。怖気づいたか?」
「いや。言葉による対話の無用さを察してくれたことに感謝している。私はライン殿の騎士だ。無駄な問答に費やす時間はない。……三人まとめて、いつでもかかってくるがいい」
「……抜かしたな、小娘がぁぁぁっ!!」
ガイの咆哮を合図に、試合開始の鐘が鳴り響いた!
「行くぞお前たち! 我らの絆、サラウに伝わる必殺の連動陣形を見せてやる!」
「「応!!」」
三人は寸分の狂いもなく一列に並ぶと、疾風のごとき速度で真っ直ぐにレイラへと肉薄した。
一番手に位置するガイが、低空から鋭い曲刀の一撃を繰り出す!
「死ねぇ! 第一の波!」
鋭利な一閃。だが、レイラは一歩も引かず、肩に担いだメイスの柄で完璧にその刃を受け止めた。
ガキィンッ!
と甲高い金属音が響く。
(ふむ、筋力・速度ともに悪くない。だが――)
レイラが打ち払おうとした瞬間、ガイは接触した反動を利用して瞬時に左へと離脱。
その真後ろ――死角となっていた位置から、寸分違わぬタイミングで豹耳のピニオが飛び出してきた!
「甘いぜ! 視界を奪った! 第二の波ぁぁぁっ!」
目つぶし同然の絶妙な交差攻撃。マッシュの短剣が、レイラの喉元を目がけて一直線に突き出される。
レイラはわずかに首を斜めに傾け、間一髪でその刃をかわした。冷たい刃が、レイラの髪を数本かすめて吹き飛ぶ。
(なるほど。前衛が視界を遮り、二番手が回避動作を強制させる。理にかなった連携だ)
しかし、それこそが彼らの本当の狙いであった。
回避動作をとったレイラの頭上――ピニオの背後から跳躍し、太陽の光を背に受けて巨大な影となった三人目、獅子耳の巨漢オルガが、大剣を振りかざしていた!
「これで終わりだぁぁぁぁぁっ!! 死角からの第三の波――『サンドストームアタァァァァァック』!!!」
一直線上に連なり、第一の波で防御を強要し、第二の波で回避を誘導し、完全に体勢の崩れた無防備な頭上から第三の波が必殺の物理破壊を叩き込む。
逃げ場はない。ガードも崩れている。空中からの大剣の一撃。
サラウの砂漠で数多の猛者、そして魔物群を屠ってきた絶対の三位一体必殺陣形!
観客席から悲鳴が上がる。第二王子が勝利を確信して高笑いを上げる。
死を招く大剣の刃が、レイラの眉間に迫る――その、瞬間。
「フム、足場がないなら、作ればいいだけの事ではないか」
体勢が崩れている? 関係ない。
空中に逃げ場がない? ならば利用するまで。
迫りくる巨大な大剣に対し、レイラは逃げるどころか、己の脚力を爆発させて宙へと跳躍した。
そして――振り下ろされる直前の、大剣のハラに、レイラはしなやかに己のブーツの底をトンッと叩きつけた。
「……なっ!?」
上空で大剣を振り下ろそうとしていたオルガの目が、点になった。
レイラは、空中盤上で振り下ろされた敵の武器を、まさに『ただの足場』として完璧に踏みつけたのだ。
足裏から伝わる反動を利用し、レイラは空中でさらに高く二段跳躍を果たす。
「オ、オレを踏み台にしたぁぁぁぁぁっ!?」
オルガの悲痛な叫びが闘技場に木霊する。
自分の必殺の一撃が、ただの階段代わりにされたのだ。当然、体重を預けられたオルガの体勢は空中で激しく崩れ、無防備に放り出される。
「どうした?体勢が崩れているぞ?……あまりにも隙だらけだな」
遥か上空。陽光と月光が交錯する空中で、髪をたなびかせるレイラの姿は、まさに降臨した戦女神そのものであった。
だが、その手に構え直されたのは、身の丈ほどもある巨大なメイス。
両手を引き絞り、遠心力と落下速度、そして全身の筋肉量を極限まで乗せた一撃。
「当たらなければどうということなはいのだ! 破ぁぁぁぁっ!!」
ドドッゴォォォォォォンッ!!!!
レイラの一撃が、空中で重なっていたオルガを撃ち抜き、その衝撃のまま下にいたピニオとガイを巻き込んで、闘技場中央の石畳へと叩きつけられた。
凄まじい落雷のような爆音が響き渡り、頑丈な石畳が波打ち、何メートルものクレーターが組み上がる。
激しい土煙が舞い上がり、闘技場全体が地震のように揺れた。
静寂。
数万人収容の観客席から、一切の音が消え去った。
「……ふぅ」
舞い散る土煙の中から、カツン、カツンと静かな足音が響く。
現れたのは、衣服に一筋の汚れすらつくことなく、静かにメイスを肩に戻すレイラの姿であった。
足元を見下ろせば、そこにはクレーターの底で綺麗に重なり合い、白目を剥いて泡を吹いている『黒き三獣士』の姿。
一撃粉砕であった。
「勝者……!! 勝者、レイラ・オルティジアぁぁぁぁぁっ!!」
実況の叫びを合図に、静寂は一瞬で割れんばかりの嵐のような大歓声へと変わった。
「レイラ! レイラ!」「俺も踏んでくれぇぇぇ!」「神だ! 暴力の女神だぁぁぁ!」と狂乱するバルカの観客たち。
観賓席では、第二王子がショックのあまり泡を吹いて椅子から転がり落ちていた。
そんな狂騒を余所に、レイラは地面に転がっていたオルテガの懐から、衝撃でポロリとこぼれ落ちた「ある物」に目を留めた。
「む……?」
しゃがみ込み、それを拾い上げる。
それは、重厚な純金で作られた、砂漠の太陽と獅子が細密に刻まれた重厚な刻印メダルであった。
(これは……サラウ交易領の最高級通行証……かつ、大首長直属の特務工作員のみが所持を許される証書……)
当然、そのような世界情勢や政治的価値など、脳筋のレイラに分かるはずもない。
「ふむ……ずっしりと重く、精巧な装飾だな」
レイラは指先でメダルを転がしながら、満足そうに頷いた。
「ライン殿は、こういう珍しい外国の細工物や綺麗な小物が好きだったはず。不器用な私が土産を選ぶより、このような戦利品の方が喜ばれるかもしれんな」
サラウ交易領の国家機密級アイテムを、単なる愛しい義弟へのお手軽なお土産として認識したレイラは、大事にそれをポケットへ仕舞い込んだ。
「さて。バルカの強者とも手合わせができた。ライン殿へのお土産も手に入った。これ以上、この騒がしい国に留まる理由もないな」
レイラは群がる観客や大会関係者を完全に無視し、すたすたと闘技場を後にした。
(さて、次はどこに行こうか)
遠く西の空、愛する王都オルティジアを想いながら、凛とした美麗な騎士は、意気揚々と旅路につくのだった。




