第三十六話:遠征手記
芽吹の月16日(晴れ)
王都オルティジアを発ってはや三日。
見送りの際、ライン殿は「くれぐれも無茶はするなよ」と、心底心配そうな顔をしていた。
私のような者にまで温かな心配りをする姿勢、まさに主君として、そして義弟として誇らしい限りだ。
だがしかし!心配なぞ無用!
オルティジア王ライン殿の盾として、恥ずかしくない立ち居振る舞いを約束しよう!
……ただ、道中で「オルティジアの牙」と名乗る山賊団と遭遇した。
平和なオルティジアの街道を脅かす不届き者など、存在を許されるはずもない。
愛用のメイスで不届者に再教育を施したところ、彼らは涙を流して改心し、現在は自主的に街道の清掃奉仕に励んでいる。
喜べライン殿、これで街道は今までにもまして綺麗になったぞ!
◇
芽吹の月18日(雨)
激しい雨のため、途中の村で雨宿りをさせていただく。
村長殿より「害獣のベアモスタ(熊の魔物)が畑を荒らし、困り果てている」との相談を受けた。
ライン殿であれば、きっと知略を巡らせ、害獣被害を抑える防壁や政策を考案されるのだろう。
しかし、私には難しい事はよくわからぬ。
要は私がぶっ潰せばよいのだ!
私は森へ入り、群れの長たるキングベアモスタを打ち倒した。魔物どもも、「人間領への侵入の不利益」を骨身に染みて理解した事であろう!
村の若い女性たちが「お礼にライン陛下へ感謝の文を認めたい」と申し出てこられたが、無用な混乱を避けるため、静かに辞退していただくよう諭した。
ライン殿の周囲の環境を清廉に保つことも、護衛たる私の務めだからな!
◇
芽吹の月23日(快晴)
私は湖を渡り、バルカ公国の港へ到達した。
バルカは無法者の国だと聞き及んでいたが、なるほど、検問所の兵士たちもどこか威圧的であった。
私を一瞥し、「女一人でこの国に入るなど、命知らずにも程がある」と不躾な言葉を投げかけてくる。
……私はこの国の兵士達とは、言葉による対話よりも、拳による意思疎通の方が速いと判断した。
奴らも私と同じ。難しい事はよくわからんにちがいないのだ!
そして一分後、隊長以下十二名は私を「バルカへようこそ、大将!」と、極めて礼儀正しい最敬礼で迎えてくれた。
やはり、武節をもって示せば、どのような者とも心を通わせることができる。ライン殿にもこの手軽さをいつか伝えねばならんな。
◇
芽吹の月26日(バルカ公国の都)
私はバルカの都ポート・セレスへ到着した。
街の随所で武者が腕を競い合っており、非常に活気にあふれた美しい都だ。
酒場にて食事をとっていたところ、この国の第二王子を名乗る人物から「私の愛妾となれば、富も地位も約束しよう」と勧誘を受けた。
断ったものの聞き入れられなかったため、致し方なく酒樽ごと店外へ退場してもらった。
ライン殿以外の男からそのような不敬な言葉を向けられると、どうにも不快感が拭えない。
伝聞によれば、この国では近く「御前武闘大会」が開催されるという。
強者と手合わせができる格好の機会だ。
さらに強くなり、ライン殿の誇れる騎士として、そして義姉として胸を張って帰還できるよう、この遠征で一層精進いたしたい。
(※手記の最後に、少しだけ筆跡を乱して)
……王都の料理人が作る、あの薄味のスープが恋しい。
ライン殿は、本日も健やかにお過ごしだろうか。
◇
「……ふぅ」
羊皮紙からペンを離し、レイラは短く息を吐いた。
革装丁の手記を静かに閉じ、机の上に置く。
「……このような筆を執る作業は、どうにも苦手だな」
静寂の広がる客室に、ポツリと自分の声が落ちた。
剣を振るうことやメイスを叩きつけることなら、幾らでも思考を巡らせられる。だが、この武人には、己の心情や旅の軌跡を文字に紡ぐというのは、どうにも柄に合わないようだ。
「だが……ライン殿への土産話の一つも、つくっておかねばならんからな」
そう呟くと、彼女は立ち上がり、月明かりが差し込む窓辺へと歩み寄った。
バルカの夜風が、レイラの青みがかった黒髪を静かに揺らす。
眼下に広がる港町の灯りの向こう、遠く西の空――遥か彼方にある故国、オルティジアの方角を見つめた。
今頃、あのもやしっ子は、相変わらず執務室で頭を抱えながら書類の山と戦っているのだろうか。
アルテやニナに振り回され、胃を痛めながらも、民のために策を巡らせているのだろうか。
「……待っておれ、ライン殿」
月光を浴びる横顔は、誰もが見惚れる凛とした美麗な騎士そのもの。
だが、その胸の内に宿るのは、ただ一人の主君――そして愛おしい義弟への、愚直なまでの忠誠と愛着だった。
「このレイラ・オルティジア、必ずやさらに強く、誇り高き騎士となって……貴殿の元へ還り着いて見せよう」
夜風に向かって小さく誓いを立てると、レイラは再び愛用のメイスの柄に手を置き、静かに瞳を閉じるのだった。




