第三十三話:歌姫の画集と、冷たい耳鳴り
王宮の国王私室。
豪奢な天蓋付きベッドの上で、俺は、まるで骨を抜かれた海綿動物のようにゴロゴロと転がっていた。
(……動きたくない。今日という今日は絶対に動かんぞ。俺は王だぞ。多少の怠惰は許されるはずだ……)
シーツに顔を埋め、ぐだぐだと惰眠を貪ろうとしていたその時、部屋のドアが無音で開いた。
足音もなくベッドの脇まで歩み寄ってきたのは、冷ややかな視線を湛えた我が国の優秀すぎる補佐官――アルテだった。
「……いつまでそうやって無駄に酸素を消費しているつもり?ライン」
「ふはは、甘いぞアルテ。今日の俺は絶対に起きん。独立記念式典も終わったし、戦後処理の山も一通り目を通した。今日の俺は休業だ」
「はいはい、お疲れ様。でも、寝たまま聞くのでいいから、ヴェルダ経済特区の続報に耳を傾けなさいね?」
アルテは呆れたように短く息を吐くと、羊皮紙の束をパサりと俺の頭の横に置いた。
「……例の『ヴェルダ・デスゲーム(トラブル当事者資産完全没収&分配システム)』の経過報告?」
「そう。ミハエルから絶賛の悲鳴……じゃなくて、歓喜の報告が届いているわ。導入からわずか数日だけど、効果は絶大みたいだよ」
アルテは淡々とした口調で、ヴェルダで起きている凄惨かつ滑稽な実態を読み上げ始めた。
「まず、商人同士のあからさまな殴り合いや大乱闘はゼロになったみたいだね。代わりに何が起きているかというと……お互いが相手の『微小な違反』を暴こうと、猛烈な監視合戦が始まっているの」
「監視合戦……?」
「そう。『あいつの秤は1グラム狂っている! 資産没収だ!』『そっちの護衛は酒場で声が大きすぎた! 威圧行為で没収だ!』ってね。民衆も警備隊も、告発による分配金を狙って目を光らせている。結果として、ヴェルダは誰もルールを破れない、世界一治安が良くて、世界一息が詰まる『超監視密告都市』に変貌つつあるよ」
「……うわぁ」
俺が求めたのは「喧嘩の厳罰化」だったはずなのだが、なぜかヴェルダは監視社会になろうとしていた。
「さらに、没収された資産の三割は自動的に王国の国庫――つまり私たちの懐に入る仕組みにしたから、ヴェルダからの税収は前月比で四〇〇%を記録。……流石だね、ライン。君の『金を武器にする』という邪悪な発言一つで、財政赤字が一気に解消に向かっているよ。」
「俺はそんなディストピアを作れなんて一言も言ってな――」
「成果が出ているんだから文句はないでしょう。ミハエルも『ライン陛下の悪魔的なご英断に一生ついていきます』って泣いて感謝していたわ」
俺は胃のあたりを押さえた。ベッドの上でゴロゴロしているだけなのに、俺の評価が「冷酷無比な悪魔の君主」として大陸中に広まっていく気がする。
◇
「はぁ……もう嫌だ。俺は一生このベッドから出ないぞ……」
俺は現実逃避のために枕に顔を押し付けた。
すると、ベッドの脇に立っていたアルテが、ふっとベッドの端に腰を下ろした。ギシ、とマットが沈み込む。
「……ライン」
「なんだよ。説教なら聞こえなーい」
「説教じゃないよ」
す、と冷たい指先が俺の耳孔に触れた。
驚いて顔を上げようとした瞬間、アルテが俺の顔を覗き込むように覆いかぶさってきた。銀色の髪がサラリと落ちてきて、俺の視界を覆う。
「……そんなにダラダラして、王様の仕事を放棄したいなら……」
アルテはいつもの無表情のまま、だがどこか妖しい光を宿した瞳で俺を見つめ、耳元に顔を寄せた。
吐息が直接、耳たぶをくすぐる。
「……このまま、お世継ぎでも作る?」
「……っ!?」
背筋に電撃が走った。
「私はいつでもいいよ? 妹って言っても私は養女なんだから、血統の純度を保つ意味でも、周囲を納得させる理由はいくらでも作れるからね。……今すぐ、ここで始める?」
「あ、アルテ……っ! お前、何言って――」
「だらだらベッドで過ごす時間を、有効活用しようって提案よ。嫌なら、今すぐ起きて執務室に行きなさい」
アルテは耳元でクスクスと小さく笑うと、すっと身を引いた。
その顔は相変わらず冷徹な補佐官の仮面を被っていたが、耳の先端がほんのり赤くなっているのを俺は見逃さなかった。こいつ、クールな顔して相当度胸のある口説き文句を叩き込んできたな……!
「嫌じゃないけど……起きる! 今すぐ起きるから離れろ!」
「賢い選択ね。じゃあ、執務室で次の『問題児』が待っているから、着替えて行きましょう」
アルテは満足そうに頷くと、整然とした足取りで部屋を出て行った。
俺は真っ赤になった顔を隠しながら、着替えを余儀なくされたのだった。
◇
「お兄ちゃ〜〜〜〜んっ!!」
執務室のドアが爆音と共に開かれた。
飛び込んできたのは、相変わらず派手なアイドル衣装に身を包んだニナだ。
「見なさ〜い! これが『オルティジア王国独立記念ライブ』の最終収支報告書だよ!」
ニナがババーンと机に叩きつけた紙には、国家予算を揺るがすレベルの巨額の数字が躍っていた。
先日開催された『王都の歌姫ニナ・エスカンテ』のファーストライブは、歴史的大成功を収めた。
王都の広場を埋め尽くした数万人の観客は、ニナの放つ謎の熱量と「例の子守唄」に熱狂。帝国軍の呪いを破ったという伝説も手伝って、会場は宗教的な歓喜と狂乱に包まれたのだ。
「コンサートは大成功! 限定ブロマイドも『ニナの吐息入り魔導具』も完売! 実家のエスカンテ商会がね、もうウチの関連グッズだけで新しい自社ビルが建つって喜んでたよ!」
「……もう何からツッコめばいいか分からんが、お前が満足したならそれでいい。で、ライブも終わったんだから、そろそろその派手な服を着替えて普通に戻ったらどうだ?」
「甘いよ、お兄ちゃん! アイドルビジネスはここからが本番なんだから!」
ニナはドヤ顔で胸を張ると、パンと手を叩いた。
すると、商会の控室から巨大な画集のサンプルを持った商人が恭しく入ってきた。
「なんと! 『歌姫ニナ・オルティジア:ファースト姿絵集』の出版が決まりました〜! 拍手〜!」
「画集……? 姿絵の?」
「そう! 魔導写真の技術を応用して、ウチのありとあらゆるグラビア姿絵を詰めた、ファン必携の最高級画集だよ! これで大陸中のファンから、さらにカネをむしり取る……じゃなくて、夢を届けるの!」
「素が出てるぞ、ニナ」
まあ、画集くらいならいいか、と俺が胸を撫で下ろしかけたその時、ニナが不敵な笑みを浮かべて、画集の構想案を机の上に広げた。
「でねでね! この画集の目玉企画として……『特別収録:初公開! 歌姫ニナの水着姿絵コーナー』を作ろうと思って!」
「……は?」
俺の思考が停止した。
◇
「ほら見てお兄ちゃん! これが衣装デザイン案! 布面積を限界まで削った、エスカンテ商会特注のビキニ水着だよ! これを王都の綺麗なビーチで撮影して、フルカラーで掲載すれば……売上はさらに三倍! 大陸中の男たちが鼻血を吹いて倒れること間違いなし――」
「全面的に却下だぁぁぁぁぁっ!!」
俺は机を叩いて立ち上がり、ニナの手からラフスケッチを引ったくった。
「な、なんでよお兄ちゃん!? 水着だよ!? アイドル姿絵集の王道じゃない!」
「王道だろうが邪道だろうが駄目だ! お前は一応、我がオルティジア王国の王族(の端くれ)であり、公人だぞ!? なんでそんな布面積の少ない格好を大陸中の男に見せなきゃならないんだ!」
「えーっ! だってパパも『これで我が商会は大陸一になる!』ってノリノリだったよ!?」
「あいつの商魂はどうなってんだ! 娘の裸でビルを建てるな!」
「裸じゃないよ!み!ず!ぎ!」
俺は眉間を押さえた。想像してみろ。大陸中の野郎どもが、ニナの水着姿絵を眺めてニヤニヤしている光景を。……絶対に許せるはずがない。
「だめだ、絶対に許可しない! 水着姿絵は差し止め! もし強行突破したら、エスカンテ商会に『水着特別重税』を課す!」
「キーッ! お兄ちゃんのバカ! 意地悪! 独裁者! あ、本当は……本当はウチの水着姿を、他の男に見せたくないだけでしょー!?」
ニナがニヤニヤしながら俺に擦り寄ってくる
「……別にそんな理由じゃない。王国の品位の問題だ」
「嘘だね! 目を見ればわかるもん! お兄ちゃんの焼き餅焼き! ほら、だったら……お兄ちゃんだけ特別に、ウチの水着姿見せてあげてもいいよ……?」
急にあざとい上目遣いになり、スカートの裾をモジモジと弄り始めるニナ。
「……要らん。脱いだら絶交する」
「ひどいっ! ウチの純情を返してよー!」
ワーワーと騒ぐニナと、それを冷ややかに見つめるアルテ。
ヴェルダは密告ディストピア化し、ニナは露出狂アイドルになりかけ、アルテは耳元でお世継ぎの脅迫をしてくる。
(……レイラ。武者修行に出たお前が、一番まともに思えてきたよ……)
俺は遠い目をして、誰もいない庭園の空を見上げた。
オルティジア王国の平和な日常は、独立してもなお、迷走を続けているのだった。




