第三十二話:独立と、暴走の幕開け
バルドゥア帝国が俺たちオルティジア王国の独立を正式に承認してから、二週間が過ぎた。
王宮にある俺の寝室。
窓から差し込む穏やかな朝の光の中で、俺――ライン・オルティジアは、何ヶ月ぶりか分からない二度寝を貪っていた。
(……あー、最高だ。帝国軍はもう来ない。サジタリアス=レイの整備に追われることもない。胃が痛くならない朝なんて、この城を継いで以来初めてかもしれない……)
「……いつまで寝てるの、ライン」
バサァッ! と容赦なく布団が剥ぎ取られた。
そこには、キッチリと制服着こなした真紅の瞳の美女――アルテが立っていた。冷ややかな視線で俺を見下ろすその佇まいには、ドM心を刺激されて止まない。
「……アルテか。頼む、あと三時間は寝かせてくれ。俺は今、独立の余韻に浸ってるんだ」
「二週間も浸っていれば十分。独立したってことは、帝国の顔色を伺わずに内政ができるってこと。つまり、処理すべき書類仕事は戦前の三倍に膨れ上がってるんだよ?」
「……は?」
「起きて。まずはエスカンテ商会から届いた『独立記念ニナ・ブロマイド』の売上報告書――国家予算の二割に達したよ――と、ヴェルダ経済特区からの緊急報告書に目を通して」
「ニナのブロマイドが国家予算の二割だと……!? あいつ、本当に何やってるんだ……」
俺は絶望的な胃痛と共に、独立後初めての「平和な朝」を強制終了させられた。
◇
執務室に移動し、アルテが淹れてくれた紅茶をすすりながら、俺はヴェルダ経済特区からの報告書に目を通した。
オルティジア島の南部に位置する港町ヴェルダ。
ここは、俺の適当な思いつきが自由貿易港として花開いた、オルティジア経済特区の先駆けとなる街だ。
「……ほう。ヴェルダが予想以上に軌道に乗っているな」
独立承認によって帝国との取引リスクがなくなり、堂々と貿易ができるようになったヴェルダには、西側諸国や帝国の商人までもが押し寄せ、活況を呈している。
特に俺が導入した「関税の完全撤廃」と「商人の身分不問」という制度が大ヒット。エスカンテ商会とシャルロッテ商会の流通網も手伝って、ヴェルダは今、オルティジアで最も金と物が集まる街へと成長しつつあった。
「ヴェルダの成長自体は順調だね。ただ、総督のミハエルから厄介な相談が届いているんだよね」
アルテが淡々と書類を一枚、俺の前に滑らせた。ニナはアイドル衣装のまま、傍らでお菓子をかじっている。
「ミハエルが? なんだ、税収が多すぎて困っているとか?」
「逆よ。金と物が集まりすぎた結果、商人同士の小競り合いが激増している。西側諸国と帝国の商人が市場で殴り合い、護衛の傭兵たちが酒場で大乱闘を起こす始末。ヴェルダの警備隊だけでは手が回らないわ。ミハエルは『治安を維持するための画期的なシステム』を要求している」
「なるほど。平和になった途端、金の匂いに群がった連中が暴れだしたか」
◇
治安維持のためのシステム、か。
俺は紅茶を飲み干し、少し考えた。
独立の安堵感で頭が少しフワフワしていた俺は、複雑な法整備や警備増員ではなく、ヴェルダに溢れている「金」そのものの活用へ安易に思考をシフトさせていた。
「治安維持、ねぇ……。まあ、金が集まる場所にはトラブルは付きもんだ。だが、ミハエルも少し頭が固いな」
「……どういう意味?」
アルテが感情の籠もらない瞳で俺を見つめる。
「治安維持なんて、そんな難しいシステムに頼る必要はない。ミハエルにはこう伝えておけ。『ヴェルダに溢れているカネそのものを、治安維持の武器にしろ』と」
「……カネそのものを治安維持の武器に?」
「そうだ。商人が一番恐れるのは力でも法でもない。『自分の稼ぎ場がなくなること』だ。トラブルを起こした商人は追放すればいい。だが、ただ追放するだけじゃ甘い。トラブルを起こした当事者の資産をすべて没収し、治安維持に貢献した者に分配する。そうすれば勝手に互いを監視し合うようになる。リスクが高すぎて誰も喧嘩なんて起こさなくなるだろ?」
俺が意図したのは、単に「違反者の資産を没収してヴェルダの運営費や警備報奨金に充てる」という厳罰化に過ぎなかった。
しかし、俺の口足らずな説明は、クールすぎる補佐官の頭脳の中で過激に再構築された。
「……理解したわ。喧嘩両成敗などという生ぬるい対応ではなく、トラブル当事者双方の資産を没収し、第三者に分配する……。つまりヴェルダという自由都市を、カネによる【欲望のデスゲーム会場】に変えろということね」
アルテは表情一つ変えず、淡々と恐ろしい結論を口にした。
「は……? デスゲーム?」
「喧嘩を止めた者や警備隊、果ては密告した者までもが、喧嘩した商人の資産を合法的に奪える構造。これを作れば、住民は他人のトラブルを監視し、時にはトラブルを誘発させて資産を奪おうとする。魔導具も増員も不要。欲望を利用して民同士を競わせ、結果として『金のために誰もトラブルを起こせない』という、極めて歪で絶対的な秩序を生み出す……。相変わらず冷徹で悪魔的な発想だね、ライン」
「ちょ、待てアルテ。俺はただ厳しく罰しろと言っただけで――」
「すぐにミハエルへ通達するね。『トラブル当事者資産完全没収&分配システム』を稼働させる。これでヴェルダの収益性はさらに跳ね上がるはずだよ!」
アルテは冷ややかな補佐官の顔のまま、こちらの弁明を聞かずに書類をまとめて執務室を去っていった。
「……俺はただ、静かに寝たかっただけなんだが……」
俺は執務室で、二度目の胃痛に襲われた。
◇
その日の夕暮れ。
庭園でヴェルダの歪な未来に頭を抱えていると、背後から猛烈な爆風が吹き荒れた。
「ライン殿ぉぉぉぉぉっ!!」
ドガァァァァンッ!!
庭園の土を巻き上げ、真紅のビキニアーマー姿のレイラ義姉様がメイスを構えて着地した。
「うおっ!? レイラ! 今度はなんだ!」
「アルテから聞いたぞ! ライン殿の『カネを治安維持の武器にする欲望デスゲーム』という画期的な内政術を!」
「……あの補佐官、もう余計な尾ひれをつけて触れ回ってるのか……」
「魔法など生ぬるい! カネという執着を治安維持の道具にするなど、まさに魔法無効化空間でレイラ・メイスを治安維持の道具にした私の思想と同じではないか!」
「……いや、絶対違うだろ」
レイラは瞳をギラつかせ、フランジメイスを地面に叩きつけた。
「ライン殿がそれほどのデスゲームを思考しているというのに、私は独立に浮かれていた! まだまだ鍛錬が甘い証拠! だからこそ決めたぞ! 私は今日から、ライン殿の盾としてのお役目極めるため、そして大陸中の『強者』を片っ端から物理で叩き伏せるために――武者修行の旅に出る!」
「はぁぁぁっ!?」
「ムムッ!?もしや寂しいのか?仕方ないな…これが最後だぞ?」
レイラは俺を抱き寄せ、胸の装甲を外すと、俺の口にあてがってきた。
「よしよし。んっ…こら、優しくしないか!乳は出んぞ?」
「こら待て! レイラ! 俺は赤ん坊じゃねえ!!!」
「フッ…何を言っている?いつまで赤子のままではないか!ではっ!寂しくなっても泣くんじゃないぞ?」
説得も届かず、レイラは風のように去っていった。
――かくして。
オルティジア王国は、俺の勘違い発言によってヴェルダ経済特区が拡大を始め、さらに王国最強の脳筋レイラが大陸へ飛び出すという、平和とは程遠い展開を迎えていた。




