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第第三十一話:歌姫誕生と、帝国の決断


 バルドゥア帝国軍の侵攻を、ニナの歌で再起動した魔導兵、そして後方からのレイラの強襲によって辛くも退けてから数日。


 オルティジア王国の首都レムは、未だかつてない奇妙な熱気と狂騒に包まれていた。


 本来であれば、国難を脱した安堵と、復興への厳粛な決意が街を支配するはずだった。しかし、今のレムを支配しているのは、勝利の余韻というよりも、一種の熱病のような、 退廃的ですらあるお祭り騒ぎだった。


「〜〜〜〜♪(例の熱唱)」


 街のあちこちで、野太い男たちの歌声が響く。それは、あの日、絶望的な戦場に響き渡った、あの奇妙なテンションの子守唄(?)を模倣したものだった。


「おい、聴いたか!? あの決戦の最中、城壁の上から響いた『奇跡の歌姫』の歌声を!」


「ああ、もちろんだ! 帝国軍が仕掛けた魔導封じの呪いを、その聖なる歌声で打ち破り、沈黙していた魔導兵たちを蘇らせたっていう、あの神聖なる戦乙女だろ!?」


「噂じゃ、女神の化身のような、めちゃくちゃ可愛らしい美少女だったらしいぞ……!」


「俺は見たぜ! 眩い光に包まれながら、マイク一本で帝国の大軍を薙ぎ払う姿をな!」


 噂というものは、伝播する過程で尾ひれが付き、背びれが付き、最終的には巨大な怪獣へと進化する。

 あの日、パニックに陥ったラインを落ち着かせるためにニナが歌い、それが偶然にも帝国の『魔導中和結晶』の周波数をジャミングしてしまったという真実はどこかへ吹き飛んでいた。


 民衆が求めたのは、地味な技術的勝因ではなく、わかりやすい『奇跡』だった。


 恐怖のどん底から自分たちを救ってくれた、若く美しい救世主。その象徴として、ニナは瞬く間に「王都を救った奇跡の美少女歌姫」として大アイドル化してしまったのだ。


 この空前の狂騒を、冷ややかな目で見つめる者もいれば、狂喜乱舞して迎え入れる者もいる。


 そして、この天から降ってきたような絶好の商機を、ニナの実家であり、王国の経済を牛耳る老舗の大店『エスカンテ商会』が見逃すはずもなかった。


◇


「……で、なんで俺がこんな書類に目を通さなきゃならないんだ?」


 王宮にある俺の執務室は、本来なら戦後処理や独立交渉の準備のための書類で埋め尽くされているはずだった。しかし今、俺の手元にあるのは、色とりどりの派手な用紙に書かれた企画書だ。


『奇跡の歌姫ニナ・オルティジア:王都復興チャリティ・ファーストコンサート開催概要』

『限定姿絵(魔法写絵仕様:ウィンクバージョン有り)制作本数について』

『握手会券付き「戦乙女の子守唄」シングル魔導盤予約特典の選定』


「これらはすべて、我が商会の輝ける至宝、ニナお嬢様のプロモーション計画にございます、ライン陛下」


 俺の前で、胡散臭い揉み手をしながら頭を下げているのは、エスカンテ商会の幹部、ロレンツォだ。ニナの父親である商会長直属の部下である。


「陛下もご存知の通り、現在、王都の民は『ニナ様ロス』状態。あの日の一瞬の歌声だけでは満たされぬ飢えた狼どもが、商会の支店に押し寄せておるのです。『もう一度あの歌声を』『ニナ様の聖姿(ビジュアル)を拝ませろ』。これは民の士気を維持し、戦後復興への活力を生み出すための、公的な事業と言っても過言ではございません!」


「……ただの金儲けだろうが。だいたい、あいつは一応王族の端くれだぞ。アイドルなんて許可できるか」


「おやおや、お堅いことを。商会長は『ライン陛下との婚約指輪の資金も、これで安泰ですな』と、涙ぐんでおられましたぞ?」


「……チッ」


 弱味を握られているわけではないが、エスカンテ商会の財力は今の王国には不可欠だ。俺が頭を抱えていると、執務室のドアが、ノックもなしにバーンと勢いよく開け放たれた。


「ふふふ……お兄ちゃん! 驚くなかれ、見なさ〜い!」


◇


 そこに立っていたのは、俺が知っている、いつも少し気の抜けたニナではなかった。


 眩いばかりの純白の生地に、これでもかとフリルとレースがあしらわれた、エスカンテ商会特注のアイドル衣装。スカートはパニエでふんわりと膨らみ、胸元には巨大なリボン、頭には小さなティアラが輝いている。


 バッチリと舞台メイクを施したニナは、執務室の中央でくるりと一回転し、完璧なアイドルスマイルでポーズを決めた。


「じゃじゃーん! 王国のトップデザイナーを集めて作らせた、ニナ専用ステージ衣装だよ! エスカンテ商会の総力を結集した自信作!どうよこれ!」


「お前……本当に何やってるんだ……?」


 俺は机に頭を打ち付けた。現実は、俺の想像の一歩先を行く悪夢だった。


「何って、アイドル活動に決まってるじゃん! ほら、これが『王都の歌姫ニナ・オルティジア』ファーストソロコンサートのポスター(試作版)だよ!」


 ニナが広げたポスターには、あの日、城壁の上でマイクを握りしめ、髪を振り乱して歌う彼女の姿が、劇的に美化されて描かれていた。キャッチコピーは『その歌声は、呪いを解く奇跡。その笑顔は、明日への希望』。


「実家のパパが全面プロデュースしてくれてね。コンサート会場じゃ、限定姿絵はもちろん、『ニナの吐息入り魔導具』とか、『歌声が流れる目覚まし時計』とか、握手会券付きCDも山ほど売るんだから! 目標売上は、王国の国家予算の一割!」


「バカか! 国家予算をアイドルグッズで稼ごうとするな! だいたい、あの日歌ったのは子守唄だろうが!目覚ましに子守唄とかややこしいわ!」


 俺のツッコミも、今のニナにはどこ吹く風だ。


「だって、街のみんなが『もう一度歌って』『ニナちゃんの歌じゃなきゃ、夜しか眠れない』ってうるさいんだもん! ウチも王都を救ったヒロインとして、みんなの期待に応えなきゃいけない使命感があるっていうか……えへへ、有名人になっちゃって大変だなぁ〜」


 ニナはニシシと、実に胡散臭いドヤ顔を浮かべると、衣装の短いスカートの裾をあざとくつまみ、俺の机に身を乗り出してきた。


 顔と顔の距離が、わずか数センチ。


 舞台メイクのせいで、いつもより少し大人びて見えるニナの瞳が、至近距離で俺を射抜く。


「ねえねえ、お兄ちゃん。真面目な話。ウチがこのまま大陸中の誰もが知る大スターになって、お兄ちゃんの手の届かない、雲の上の遠い存在になっちゃったら……どうする……?」


「は?」


「『有名になりすぎちゃったら、国と国との政治的な問題とか、ファンのみんなの気持ちとかで……もうお兄ちゃんと結婚できなくなっちゃうかもよ?』……なーんて! どうする、お兄ちゃん? 今のうちにウチを奥さんにして囲い込んでおかないと、後悔しちゃうかもよ〜?」


 上目遣いで、妖艶さを演出しながら迫ってくる。


あざとい。


あまりにもあざとい。


 だが、その瞳の奥には、俺の反応を推し量るような、本気の不安も少しだけ見え隠れしていた。


「……別に困らん。むしろ、お前が有名になって遠くに行ってくれれば、俺の執務室が静かになって好都合だ」


 俺は努めて冷淡に答えた。ここで少しでも動揺を見せれば、こいつの思うツボだ。


「キーッ! 何それ! 強がり言っちゃって! 本当はウチが他の男のものになったら、部屋の隅で枕を濡らして泣くくせにー! 意地悪お兄ちゃん! バカ! ロリコン!」


 ニナは顔を真っ赤にして、ポカポカと拳で俺の胸を叩いてくる。アイドル衣装のフリルが揺れて、甘い香りが執務室に広がった。


 ニナを適当にあしらっていると、執務室の空気が一瞬で凍りついた。


「ライン。そろそろくだらないアイドルごっこは放置して、こちらの公文書を確認してね?」


 部屋の隅、影の中からぬるっと現れたのは、アルテだ。その瞳には一切の光がなく、ニナに向ける視線は殺気すら孕んでいた。


 アルテはニナを冷ややかな一瞥で射すくめると、俺の机に一通の重厚な書簡を差し出した。


「バルドゥア帝国からの、正式な『親書』です」


「……帝国から?」


 俺はニナの頭を抑えつけ、騒ぐのを止めさせて、アルテから親書を受け取った。


 バルドゥア帝国の国章である『双頭の鷲』の蝋封がなされたその書簡を開き、中に書かれた内容に目をを通した瞬間、俺の思考は停止した。


 そこに書かれていた内容は、まさに歴史の転換点となるものだった。


◇


 一方、バルドゥア帝国の首都、帝都ヴァルハイト。


 荘厳なる皇帝の御前会議は、重苦しい沈黙に支配されていた。


 会議場の中心には、今回のオルティジア侵攻作戦の総司令官であったシュミット将軍が、青ざめた顔で跪いている。そしてその隣には、次世代魔導技術の天才であり、第三皇子であるルーファスが、屈辱に震えながら立っていた。


「……説明せよ、ルーファス。我が帝国の威信をかけ、最新鋭の魔導兵器と、お主が開発した『魔導中和結晶』を投入しながら、なぜ敗北した?」


 玉座に鎮座する皇帝の、地を這うような低い声が響く。


「は……。報告によれば、我らの軍勢はオルティジアの戦略兵器を封じ、魔導兵を沈黙させ、王都レムの直下まで迫りました。勝利は、目前でした」


 ルーファスは拳を握り締め、血が滲むほど爪を立てた。


「しかし……あの日、王都レムから、不可解な『波動』が観測されたのです。それは我が『魔導中和結晶』の周波数を完全に妨害(ジャミング)し、中和フィールドを一時的に霧散させました。その隙に、敵は魔導兵を再起動させ、さらに後方からはレイラ・オルティジア率いる脳筋……いえ、物理兵団の強襲を受け……」


「その『波動』の正体は何だ? オルティジアが隠し持っていた、未知の古代魔導兵器か?」


 皇帝の問いに、ルーファスは一瞬、答えるのを躊躇った。その屈辱的な事実を、自らの口で言うことに、技術者としてのプライドが崩壊しかけていた。


「……現地からの、複数の魔導偵察兵の報告、および残存する魔導録音具の解析によれば……」


「何だ? 申してみよ」


「……『歌』、にございます」


「歌?」


 会議場に、ざわめきが広がった。皇帝も眉をひそめる。


「は……。一人の少女による、拡声魔導具を通した、テンションの異常に高い、意味不明な歌声。……それが、物理的な音波振動と、未知の精神感応波を伴い、我が『魔導中和結晶』の魔力構造体に直接干渉。理論上、あり得ないことですが、中和波形を完全に相殺しました。……我々は、魔法でも科学でもなく、『魂の叫び』によって、破壊されたのです……!」


「馬鹿馬鹿しい! 歌で戦争に負けたというのか!?」


 重臣の一人が怒鳴り散らしたが、皇帝は手を挙げてそれを制した。

 皇帝は、震えるルーファスを見つめ、冷静に事態を分析していた。


(サジタリアス=レイという戦略兵器を持ち、物理無双の騎士を擁し、さらにルーファスの『魔導中和結晶』すら無効化する、未知の『歌姫』まで現れたか……。オルティジアという国は、我々が考えていた以上に、底が知れぬ)


 バルドゥア帝国は、この度の戦争で多大な兵員と、何より最新鋭の魔導兵器を多数失った。

 これ以上の攻勢を続けるには、国力を再整備し、新たな魔導封じのアプローチを開発する必要がある。しかし、それには数年の時間が必要だ。


 今、無理に攻め続ければ、西側諸国同盟の介入を招き、帝国自体が存亡の危機に立たされる恐れがある。ルーファスという至宝を失うリスクも、これ以上は冒せない。


 皇帝は、苦渋の決断を下した。


「……オルティジア侵攻は、一時見合わせる。全軍を国境まで下げ、戦力の再編を行え」


「皇帝陛下! それでは、我が帝国の面目が……!」


「面目よりも、実利を取る。……ルーファス。お主には、あの『歌姫』の波動を解析し、それを中和する、さらなる新型結晶の開発を命ずる。……シュミット。お主は、オルティジアに対し、休戦と、不可侵条約の締結を打診せよ」


 皇帝は、冷徹な瞳で御前会議を見渡した。


「そして……オルティジア王国の【独立】を、正式に承認せよ」


 それは、バルドゥア帝国の歴史において、小国の独立を許すという、屈辱的な敗北宣言でもあった。


◇


「……マジかよ」


 オルティジア王宮、ラインの執務室。


帝国からの親書を読み終えた俺は、椅子に深く背をもたれかけさせ、天井を見上げて呟いた。


 そこに書かれていた内容は、アルテが言った通り、バルドゥア帝国によるオルティジア領における軍事行動の一時休止の打診。


そして何より、オルティジア王国の独立の正式な承認だった。


「勝った……本当に、俺たちは帝国から独立を勝ち取ったんだ……」


 前代の崩御、勘違いが生んだ独立宣言、経済危機、食糧危機、そして今回の魔導封じ。幾多の死線、数え切れないほどの寝不足と胃痛を乗り越え、俺たちはついに、巨大な帝国にその存在を認めさせたのだ。


「……うん。お兄ちゃん、やったね」


 いつの間にかアイドルごっこを止めていたニナが、静かな声で俺の肩に手を置いた。


アルテも、表情は硬いままだったが、その瞳には安堵の色が浮かんでいる。


「やったぁぁぁ! 独立万歳! 自由万歳! これでウチも、帝国の目を気にせず、大陸規模でアイドル活動ができるね!」


「……おい」


「じゃあ決まり! ウチのデビューコンサートのタイトルは『オルティジア王国独立記念ライブ:〜呪いを解いた奇跡の歌、今ここに〜』に決定! 独立のお祝いなんだから、お兄ちゃん、国家予算からステージのスモークと爆発の費用出してよ!」


「話を聞けニナ! お前はまずその、見てるこっちが恥ずかしくなる衣装を着替えろ! 独立記念式典に、そんなフリフリの格好で出るつもりか!」


「えーっ、可愛いのに! ちぃねえだって、本当は着たいよね?」


「うん…って何言わすの!違う!私は着ない!」


 独立という、歴史的な瞬間を迎えたというのに。

 俺の執務室は、相変わらずの騒がしさだった。


 だが、窓の外から聞こえてくる民衆の歓声は、あの日までの恐怖に満ちたものではなく、明日への希望に満ち溢れているように感じられた。


 俺は、床に散らばったティーカップの破片をアルテに睨まれながら拾い集め、いつか本当の意味で、穏やかなお昼寝タイムが訪れることを願った。


 かくして、幾多の死線を乗り越えたオルティジア王国は、一人の少女の歌声と、俺の姑息な頭脳によって、帝国からの独立を掴み取ったのだった。

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