第二十五話:忍び寄る影と、狂気の萌芽
西側諸国連合軍の「イモ食中毒騒動」による遠征中止から、数日が経過した。
オルティジア王国の首都レムにある聖王宮執務室では、相変わらず穏やかな時間が流れていた。
豪勢なソファーに深々と腰掛け、陽光を浴びながら読書を楽しんでいたラインが、ふと机の上の書類に目をやる。
「……で、ルニアの老害どもは、まだ見苦しく騒いでるのか?」
お茶を淹れ直していたアルテが、呆れたように小さく肩をすくめた。
「うん。暗部からの追加の噂によるとね、失脚させられた老害派の貴族たちが『アレンが兵糧に毒を仕込んだ』とか『同盟最高顧問のライン閣下と裏で内通して、我々を嵌めたんだ』って、大騒ぎしてるみたい」
「ハッ、言わせておけ。自分たちの不手際と管理不足を他人のせいにするあたり、最後までブレない老害ぶりだな」
ラインは鼻で笑い、温かい紅茶に口をつけた。
同盟最高顧問という立場上、同盟国であるルニアの不穏な情勢は本来なら頭の痛い問題だ。
だが、老害派が暴れれば暴れるほど、現場の兵士や市民の心は彼らから離れ、実務能力の高いアレン少将側へと寄っていく。
「国内が『老害派』と『アレン派』に完全に分裂して、いまや内乱寸前の泥沼状態らしいよ? 同盟最高顧問として、何か手を打たなくていいの?」
「放置でいいさ。アレンなら巧く立ち回るだろ。老害どもが勝手に自滅して孤立していけば、結果としてルニア……ひいては同盟全体の健全化に繋がる。俺たちが余計な口を出す必要はない」
西側諸国(同盟軍)の暴走は完全にストップし、当面は内部の泥沼劇で手一杯。
本国のイモ暴落問題も綺麗に解決し、軍資金まで手に入った。
(これで当分の間、俺の平和なお昼寝ライフは約束されたようなもんだ……)
ラインが深々と背もたれに体重を預け、満足そうに目を閉じかけた――その時だった。
◇
西側諸国の混乱から遠く離れた、東方の絶対強国――バルドゥア帝国。
その首都ヴァルハイトの軍事参謀本部には、冷徹でピンと張り詰めた空気が漂っていた。
「……クックック、西側の愚か者どもめ。出港する前に兵糧のイモで自爆したか。どこまでも救いがたいバカどもだな」
大卓に広げられた大陸地図を見下ろし、帝国軍の将官たちが下劣な嘲笑を漏らしていた。
「同盟軍の遠征が潰れた今、我がバルドゥア帝国に横槍を入れてくる邪魔者は皆無。……今こそ、あの忌々しいオルティジアを叩き潰す絶好の好機です」
「うむ。西側の醜態などどうでもいい。軍の再編成を急げ。目標はオルティジアただ一つ……!」
将官たちが野心に満ちた笑みを浮かべる中、会議室の最奥、暗がりに座っていた男がゆっくりと立ち上がった。
帝国第三皇子――ルーファス・バルドゥア。
ラインの士官学校時代の同期であり、「天才技師」と称された男――
「みんな、威勢がいいねぇ。でも、ただ軍を再編成して力押しで突っ込んだって、あのライン・オルティジアには勝てないよ?」
ルーファスはヘラヘラとした笑みを浮かべながら、黒板に図面を貼り付けた。
「あの男は、戦術の天才だ。普通のやり方で攻め込めば、また都合良く罠に嵌められて返り討ちに遭うのが関の山さ。ラインと戦うなら……彼が頼りにしている『前提』そのものを破壊しなきゃダメなんだよ」
「……殿下。では、例の『試作兵器』は完成したのですか?」
一人の将校が、息を呑んで問いかける。
ルーファスは子供のように無邪気な笑みを深めると、パンッと胸の前で手を叩いた。
「うん! バルドゥアが誇る魔導技術の結晶……ついに完成したよ。ついておいで、僕の最高傑作を見せてあげる」
◇
首都ヴァルハイトの地下深くに作られた、巨大な秘密実験場。
そこに鎮座していたのは、複雑な魔導回路と異様な金属フレームで組み上げられた、禍々しくも巨大な機械構造体だった。
「……これが……」
引き連れられた将兵たちが、その圧倒的な異彩に気呑まれる。
「ラインは、巧みな魔導兵器や、広域の魔導障壁、それに魔法を用いた情報伝達や謀略が得意だろう? 士官学校の時もそうだった。あいつはいつも『既存の魔導の仕組み』を完璧に理解した上で、その裏をかいてくるんだ」
ルーファスは愛おしそうに巨大な機械の装甲を撫でた。
「だから僕は考えたんだ。……じゃあ、そのエリア全体の『魔力』そのものを消去しちゃったら、ラインはどうするんだろう?ってね」
ルーファスが起動レバーを引き下ろす。
キィィィィン……ッ!
鼓膜を刺すような高周波の駆動音が響き渡り、機械の中心部に埋め込まれた不気味な漆黒の結晶体が脈打ち始めた。
次の瞬間――。
「なっ……!?」
「魔導灯が……消えた!?」
「おい! 術式の起動ができないぞ! 魔力が……身体の魔力が練練れん!」
実験場を照らしていた無数の魔導灯が一瞬で全滅し、暗闇が訪れた。
さらに、警護の魔導技師たちが詠唱しようとした魔法陣が、形成される端から霧散していく。
空間に充満していた「魔力」という概念そのものが、巨大な機械によって強制的に打ち消され、中和されていくのだ。
「ふははっ! すごいだろう!? 範囲内のあらゆる魔導術式を無力化し、魔法兵器をただの鉄くず変える夢の兵器――『魔導中和結晶』さ!」
暗闇の中、ルーファスの瞳だけが、狂気的な歓喜で妖しく輝いていた。
「これさえあれば、ラインが得意とする魔導兵器も、広域通信も、障壁も……全部無意味だ。魔法や魔導に頼り切ったオルティジア軍は、ただの剣と槍しか使えない古臭い雑魚に成り下がるのさ!」
将校たちは絶句したのち、震えるような大歓声を上げた。
これまでの戦いでラインが見せてきた恐ろしい謀略や魔導の罠が、この装置一つの前では全て不発に終わる。
ライン・オルティジアという男の「最大の強み」を根底から無効化する、完全なメタ兵器。
「さあ、帝国軍の再編成を終わらせようか」
ルーファスは不敵な笑みを浮かべ、暗闇の先……西の空を見据えた。
「待っていておくれよ、ライン……。君が積み上げてきた完璧なロジックを、この僕が根こそぎ崩してあげるからね」
バルドゥア帝国の圧倒的な牙が、ついにオルティジアへと向けられようとしていた。




