第二十三話:兵站の罠と、最悪の聖王の密謀
王都ルニタリアの夜は、浮かれた熱気に包まれていた。
大通りから一本入った閑静な一角に佇む、王都最高級の料亭金獅子亭。
格式高い庭園を臨む離れでは、今夜もルニア王国軍の重鎮たちによる豪華絢爛な宴が催されていた。
その大広間のすぐ隣――壁一枚で隔てられた小さな納戸のような控えの間に、三つの影があった。
「……ライン、本当に大丈夫なの? バレたらタダじゃ済まないよ」
息をひそめながら囁くのは、旅装の上に暗色のローブを羽織ったアルテだ。
その隣で、俺は壁に背を預け、冷めた目つきで腕を組んでいた。
「心配すんな。ここを用意したのは、この国のアレン少将本人だ。万が一バレたところで『正論を吐いて干された若手が、腹いせに密偵を招き入れた』ってだけの話にしかならん」
「……君ねぇ、私をダシにするのを当然のように言わないでくれないか」
青ざめた顔で冷や汗を流しているのは、当のアレン少将だ。
彼は手に汗を握りながら、何度も控えの間と隣室を隔てる薄い障子を見つめていた。
隣の大広間からは、大盃を叩きつける音と、酔っ払った老将たちの品のない爆笑が漏れ聞こえてくる。
『ハハハハハ! 兵站の算段など後回しでよいのだ! 我ら西側連合艦隊が海を渡れば、帝国の意気地なしどもは恐怖で泡を吹いて逃げ出すわ!』
『左様! 帝国本土へ乗り込んだ暁には、どこの州を誰の領地にするか、今のうちに決めておこうではないか!』
『素晴らしい! ワシはあの港湾都市の権益が欲しいな! 奴隷と金銀財宝を山ほど分捕ってやるわ!』
まだ一兵も出港していないというのに、すでに帝国の領地をどう山分けするかで盛り上がっている。出された最高級の料理と酒を食い散らかし、戦場を知らない老害どもが欲を剥き出しにしていた。
「……ひどい……」
アルテが不快そうに眉をひそめる。
「あいつら、遠征に行く前に高血圧か痛風で倒れた方が世のためなんじゃないか?」
俺が呆れ半分で吐き捨てると、アレン少将が悔しそうに拳を握りしめた。
「……あの方々は、兵の命も、国の財政も何一つ考えていない。だが……ライン殿。いくら彼らが愚かでも、我が国の兵士十万の命がかかっているんだ。彼らを全滅させるような合法的自爆など、私は承服しかねる!」
「だから、全滅なんてさせないと言ったろ?」
俺は薄笑いを浮かべ、アレンの肩をぽんと叩いた。
「俺が教えるのはな……一兵も死なせずに、誰一人として帝国本土に足を踏み入れられなくなる兵站の組み方だ」
「な……? 兵を死なせずに、進軍を止める……? そんなことが可能なのか!?」
アレンが目を見開く。
俺は懐から羊皮紙を取り出し、アレンの目の前で広げた。
「いいか、アレン少将。老害どもの習性を利用するんだ。あいつらはプライドと見栄の塊だ。出撃にあたって、絶対に無駄な要求をしてくるはずだろ?」
「無駄な要求……? ああ、『遠征先での勝利式典用の金糸の幕』や『将軍用の豪華な天幕』、『式典用甲冑』などを最優先で積めと命令されている……」
「それだ」
俺はニヤリと口角を上げた。
「それを一切拒否せず、言われるがまま『最優先』で船の倉庫に積み込め。兵糧や薪炭といった泥臭い必需品は、後回しにして奥へ押し込むんだ。『将軍閣下方のご意向を最優先いたしました』とな」
「し、しかし! それでは本物の兵糧が積みきれなくなる!」
「積みきれなくていいんだよ。そして……ここからが本番だ」
俺は声をひそめ、悪魔の囁きをアレンの耳元へ送り込んだ。
「兵糧の『質』だ。本来なら長期保存が利く乾パンや塩蔵肉を積むべきところを……老害どもの『兵の士気を上げるために、道中は贅沢な生の食材を食べさせよ』という戯言を、そのまま通してやれ」
「な……生ものだと!? 船の上で生ものなど、数日で腐ってしまうぞ!」
「そうだ。そして……ちょうどいいことに、我がオルティジア王国には今、東部での大豊作によって市場に溢れかえり、暴落しかけている『大量のイモ』があってね」
一瞬、隣で聞いていたアルテが「あ」という顔をした。
「我が国から『西側連合への支援物資』として、加工前の生のイモを格安でルニア軍に買い取らせる。アレン、お前はそれを『軍糧の主力』として採用しろ」
「生イモを……!? 船の湿気と熱気の中で生イモを大量に積み込めば……」
「そう。出港して数日でイモは腐り始め、船内に猛烈な悪臭と細菌が充満する。それを食べた兵士や将校たちは、帝国本土が見えてくる頃には全員激しい腹痛と下痢で全滅だ。さらに式典用のバカでかい荷物が邪魔で、予備の補給物資も載っていない」
「〜〜〜〜〜〜ッッ!?」
アレン少将の顔が戦慄で強張った。
「戦う前に……腹を下して撤退せざるを得なくなる……!」
「そう! 死亡者はゼロ! だが遠征は完全な大失敗! 10万の大軍を出しておきながら、敵と刀を交えることすらなく『イモが腐って下痢になったから帰ってきました』なんて前代未聞の失態を演じれば……あの老害どもの政治的生命は完全に絶たれる!」
俺はアレンの胸板を軽く小突いた。
「老害どもが失脚したあと、パニックになった軍を収拾し、安全に引き返させた『唯一のまともな将校』として、お前がルニア軍の新しいトップに降臨する。……どうだ? 完璧なシナリオだろ?」
「あ……悪魔だ……! 君は聖王などではない、人間の心理と兵站の穴を突き刺す悪魔だ……!」
アレンはガタガタと震えながらも、その瞳には暗い熱量が宿っていた。
自分の手で、この腐りきった軍上層部を掃除できる。しかも、一人の兵の血も流さずに。
「さらにダメ押しだ」
俺は懐から、暗部が密かに調べ上げていた金獅子亭での賄賂の裏帳簿の写しを叩きつけた。
「老害どもが軍需業者から受け取っている裏金の証拠だ。撤退してパニックになっているタイミングでこれをぶち込め。二度と立ち上がれないくらい社会的に抹殺できる」
「……受け取ろう。ライン殿……いや、最高顧問」
アレン少将は深くお辞儀をし、裏帳簿と密謀のメモを固く握りしめた。
「我が国の未来と、兵たちの命……貴殿の『悪魔の知恵』に託させていただきます!」
「フッ、話が早くて助かるよ。さぁ、さっさと戻って『式典用甲冑と大量の生イモ』の発注手続きをしてこい」
「はっ!」
アレン少将は迷いのない足取りで、控えの間を後にしていった。
◇
夜風が吹き抜ける料亭の裏路地。
変装のフードを深々とかぶり直し、俺とアルテは王都のアジトへと歩いていた。
「……ねぇ、ライン」
隣を歩くアルテが、じとーっとした視線を俺に向けてくる。
「なんだよ、アルテ。完璧な作戦だったろ?」
「言ってることはすごーく理にかなってるし、誰も死なないのは良いと思うんだけど……」
アルテはハァと可愛らしい溜息をついた。
「結局、ギルバートたちが頭を抱えてた『パルーマの過剰なイモ在庫』を、ルニア軍に高値で売りつけて処理しただけじゃない?」
「ギクッ……」
「『アクアビット醸造』だけじゃ買い取りきれなかった分のイモを、西側連合への支援物資って名目で押し付けたでしょ。絶対そうでしょ」
「た、たまたまだよ! 内政のイモ暴落問題を解決しつつ、西側の暴走を止めて俺の平穏なお昼寝ライフを守る……まさに一石二鳥、至高の外交手腕と言ってほしいね!」
俺が胸を張ってドヤ顔を決めると、アルテは呆れたようにくすりと笑った。
「ふふっ。ホント、密謀を考えてる時のラインは……どこまでもズルくて、頼もしいね」
「だから褒めてないだろそれ!」
俺がツッコミを入れると、アルテは少しだけ頬を赤くし、自分の右手をそっと俺の服の袖へと伸ばしてきた。『耳甘噛み事件』の照れくささがまだ残っているのか、指先でちょこんと袖を掴んでくる。
「……ありがとね、ライン」
「ん? 何がだ?」
「本当なら、西側が自滅するのを放置してもよかったのに……兵士が死なない方法を選んでくれたことでしょ?」
「……勘違いするな。西側の兵士が何万人も死んだら、その後始末で俺の仕事が増えるから避けただけだ」
俺はぷいっと顔を背け、歩調を早めた。
背後から、アルテの嬉しそうなクスクスという笑い声が追いかけてくる。
(やれやれ……これで西側の自爆特攻は防げるし、本国のイモ暴落も回避できた。あとは来月、下痢に苦しむ老害どもが高慢な鼻をへし折られるのを高みの見物するだけだな)
夜空に浮かぶ月を見上げながら、俺は心の中で満面の笑みを浮かべるのだった。




