第二十一話:西の盟主と、千年の眠りから醒めた虎
オルティジア王国から遥か西方
大陸西部に君臨する対帝国西側諸国連合〜マルマラ連合〜の盟主――ルニア王国。
今から一千年前、世界を恐怖に陥れた魔王を討ち果たした伝説の『勇者ルニア』が興したとされるこの国は、圧倒的な歴史と格式を誇る西の大国である。
黄金で彩られた壮麗な王都ルニタリア。
その中央にそびえ立つ王城の『円卓の大広間』には、豪華絢爛な軍服を身に纏った老将や大貴族たちがズラリと居並んでいた。
ルニア最高軍事会議。
そこには、かつての勇者の威光も、高潔な理念も残っていない。
ただ漂うのは、千年という長い歴史の陰で澱み、腐敗しきった権力者たちの爛れた野心と醜聞の臭いだけであった。
「――静粛に! これより、第百四十二回・対帝国遠征軍議を執り行う!」
議長を務める老将軍が、金細工のハンマーを叩く。
広間の壁に飾られているのは、勇者ルニアが魔王を切り伏せる巨大な絵画だ。だが、その下に座る男たちの顔には、久しく戦場を経験していない膨よかな肉と、欲に塗れた笑みが浮かんでいた。
「諸君、報告は既に届いているはずだ。東方の辺境……かつて帝国の属州であったオルティジアの地にて、奇妙な『聖王』を名乗る小小国の若造が、なんと帝国軍を二度までも打ち破った!」
議長の発言に、広場からドッと下品な爆笑が巻き起こった。
「ハハハハハ! 聞いたぞ! 帝国軍の精鋭が、無名の小小国に惨敗したとな!」
「あのバルドゥア帝国が、揃いも揃って失態を演じるとはな! 愚かなことだ!」
笑い声を上げたのは、胸元に所狭しと勲章を飾った重鎮貴族であった。
ルニア王国は過去幾度となく帝国と刃を交えてきたが、常にお互い決定打を与えられず、果てしない膠着状態を続けてきた。
特に、かつてオルティジアが帝国の西側を守る堅牢な要塞であった時代――ルニア王国をはじめとする西側の諸国はただの一度たりとも、東の大地へ踏み入ることすら叶わなかったのだ。
それは千年王国を自負するルニアにとって、血を吐くような歴史的屈辱であり、長年のコンプレックスでもあった。
だが、その不沈の要塞オルティジアは帝国から独立し、いまや帝国の西側の防壁は崩壊している。
「あのオルティジアを叩き潰せなかった帝国は、完全に牙を抜かれた死に体よ!」
「左様! 今や帝国本土の守備はスカスカだ! 我らルニア王国率いる『西側諸国連合艦隊』が海から突入すれば、帝国の都などひとたまりもあるまい!」
「千年の悲願! 今こそ勇者ルニアの血を引く我が王国が、連合の盟主としてついに東の大地を制覇する時が来たのだ!」
腐敗した老将たちは、手柄と利権の分け前を想像して唾を飛ばし合った。
彼らに言わせれば、オルティジアの『聖王ライン』など、たまたま運良く帝国のスキを突いただけの「前座」に過ぎない。
(あのラインとかいう若造が帝国軍を疲弊させてくれたおかげで、棚からボタ餅が落ちてきたわ!)
(ふん、西側諸国連合の最高顧問だか何だか知らんが、田舎の畑でイモでも作っているような小僧だ。我が勇者ルニアの威光の前には平伏するしかあるまい!)
将軍たちの頭の中にあったのは、帝国本土を攻略した後の「利権の山分け」だけであった。
帝国が窮地に陥れば『全土動員』を発動し、死に物狂いの反撃に出るという軍事の基本すら、彼らの腐りきった脳味噌からは抜け落ちていた。
その時、円卓の末席に座っていた一人の若い将校――アレン少将が慎重に手を挙げた。
「……議長。発言の許可を」
「ん? アレンか。何だ?」
「オルティジアの『聖王ライン』に関する報告を甘く見るべきではありません。彼はわずか数万の軍勢で、帝国の十万人規模の精鋭を二度にわたり完封しています。これはただの幸運ではなく、凄まじい内政手腕と、緻密極まる軍事密謀の持ち主と推測されます。我らが帝国本土へ突入する前に、まずは彼らとの連携を確立し――」
「戯け(たわけ)がッ!!」
アレン少将の言葉が終わる前に、議長が激怒して机を叩いた。
「これだから若い者は困る! 格式なき田舎の小小国など、我がルニアの『軍威』を見せつければ一ひねりよ! 密謀だと? くだらん! 戦とは歴史と数と格式で決まるのだ!」
「しかし……! 帝国が全土動員を発動すれば、我らの連合艦隊とて無傷では済まされません!」
「黙れ! 臆病者が! 貴公は連合艦隊の先鋒から外し、補給部隊の末尾に回す!」
「……っ!」
正論を唱えた若手将校は一瞬で排斥され、広場は再び老害たちの歓声に包まれた。
「ハハハ! 案ずるな! 我らには伝説の勇者ルニアの加護がある!」
「我が西側連合艦隊、計五百隻! 兵員一〇万! 来月、帝国本土へ向けて進発する!」
「ラインなどという田舎者の功績をダシにして、兵の士気を上げよ! 『破竹の聖王に続け!』とな!」
「うむ! 我らが帝国を滅ぼした暁には、あのオルティジアも我がルニアの属州にしてやるわ!」
勝たば官軍。
千年の栄華に酔いしれ、腐りきった老将たちは、自分たちがこれからどんな「怪物」の領域に足を踏み入れようとしているのか、露ほども知らなかった。
◇
そして、その数日後。
ルニア王国の港町に、一隻の「中立国」の商船が静かに着岸した。
船のデッキから、豪奢な王都の街並みを見上げる一人の青年がいた。
旅装に身を包み、顔面を蒼白にして今にも吐き出しそうにしているその男こそ――。
「……うぷ。わ、わざわざこんな遠くまで来させやがって……」
自らの平穏なお昼寝ライフを守るため、西側の自爆特攻を止めるべく船酔いをおして『中立・観戦武官』の名目で極秘潜入してきた、西側諸国連合最高顧問にしてオルティジア聖王
――ライン・オルティジアその人であった。
隣には、同じく変装した補佐官のアルテが並んでいる。
耳甘噛み自爆事件の照れくささがまだ残っているのか、彼女は少しだけラインと距離を取りつつ、だが真剣な眼差しで王都を見つめていた。
「ライン……ここがルニア王国だよ。街のあちこちに『対帝国勝利祈願』の旗が飾られてるね」
「バカどもが。お祝いムードに浮かれてやがる……」
ラインは耳をぽりぽりと掻きながら、呆れたように吐き捨てた。
(ちなみに、その右耳はアルテに甘噛みされた場所であり、思い出すたびにラインの胃が少しキリキリする)。
「いいかアルテ。西側のバカどもが帝国本土に突っ込んで返り討ちに遭えば、狂った帝国が全土動員をかけて大陸全土が焼け野原になる。そうなったら俺の昼寝どころか、せっかく作ったアクアビットを飲む余裕すらなくなるんだ」
「うん。だから、この国の中央をコントロールして、無謀な出兵を止めなきゃいけないんだよね?」
「止める? ククク……甘いなアルテ」
ラインは口元に、邪悪な笑みを浮かべた。
「止めるんじゃない。『利用』するんだよ。千年かけて腐りきった老害どものプライドと欲目を逆手に取って……このルニア王国ごと、俺の『避雷針』になってもらう」
「……相変わらず、密謀を考えてる時のラインの顔って……すごくかっこいいね」
「絶対褒めてないだろそれ! ほら行くぞ、まずはこの国の腐った偉い奴らが集まる場所に乗り込む!」
西側の盟主ルニア王国が誇る『千年の格式』と、自分の平穏を守るためならどんな密謀も厭わない『最悪の聖王』。
西側諸国を巻き込んだ、新たな内政・外交の化かし合いが、今ここに幕を開けようとしていた。




