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第二十話:耳元の秘め事と、イモの起死回生

 三度目の絶望によって暗転した俺の意識は、どれほどの時間を暗闇の中で漂っていたのだろうか。


「……ん」


 ふと、肌を撫でる柔らかな空気の質感に、俺はゆっくりと薄目を開けた。


(……知ってる天井だ)


 さっきまでの、寝室を破壊せんばかりの『復金オークションバトル』の狂騒が嘘のように消え去っていた。


 どうやら、あまりに不毛な権利主張を繰り返す妹と補佐官に対し、俺の脳が完全にシャットダウンを決め込んだらしい。


「あ……ライン、起きた?」


 枕元から、優しい声が降ってきた。

 視線を向けると、そこにはアルテが座っていた。

 部屋を見渡しても、ニナの姿はない。


「ニナは……?」


「『復金・優先割り込み行使権』の重複処理手続きとかで、ギルバートたちに連れていかれたよ。『ウチの権利を侵害する奴は許さない!』って息巻いて執務室へ走っていったから、しばらく帰ってこないと思う」


「あいつ……くだらん事で休む間もなく動き回りやがって……」


 俺は疲弊しきった体を引きずり、ゆっくりとベッドの上で体を起こした。

 両膝の痛みは相変わらずだが、少し眠ったおかげで頭の霧は晴れてきている。


「ごめんね、ライン」


 アルテが少し申し訳なさそうに、ベッドの縁に腰掛け直した。


「ニナと騒いじゃって。ライン、ただでさえ東部から帰ってきたばかりで疲れてたのに……」


「……はぁ。分かればいいんだよ。もう二度と、あんなパルーマの役人が悪ノリで刷った変な券で俺を競売にかけるのはやめてくれ」


 俺が呆れ半分で吐き捨てると、アルテはすっと微笑みを消し、静かに俺の顔を見つめてきた。

 朝日を浴びて透き通るような銀髪と、吸い込まれそうな真紅の瞳。

 急に真面目な空気を纏ったアルテの雰囲気に、俺の心臓が不意に跳ね上がる。


「あ、アルテ……?」


 アルテは何も言わず、しなやかな動作で俺の胸元へと身を乗り出してきた。

 ふわりと漂う、甘く優しい果実のような香り。

 そのまま、彼女の唇が俺の右耳のすぐ側――息がかかるほどの距離へと寄せられる。


「……今回は、パルーマのふざけた券で誤魔化しちゃったけど……」


 耳朶を揺らす、低く濡れた囁き声。

 全身の毛穴が一気に立ち栗立つような感覚に、俺の体が固まる。


「次は、そんな紙くずなんかじゃなくて……ラインが自分の意思で私を選んでくれる時まで、待ってるからね」


 ――次の瞬間。



 ハムッ。



「……んッ!?」


 耳朶に、ちりと走る心地よい生ぬるい感触と、軽い圧迫感。

 アルテが俺の耳たぶを、小さく、甘く噛んだのだ。

 ジュッ、と音が聞こえそうなほどの衝撃が脳腔を突き抜ける。

 背筋を疾走する甘やかな悪寒に、俺は喉の奥で引きつった声を漏らすことしかできない。



 アルテはゆっくりと顔を離すと――。



「…………」



 そこには、静寂が訪れていた。



「…………」



 アルテは微動だにせず、固まっていた。



 だが、その透き通るような白い肌が、見る見るうちに勢いよく赤く染まっていく。

頬だけでなく、首筋から、果ては先ほど甘噛みしてきた可愛らしい耳の先端まで真っ赤っ赤だ。


 数秒間の沈黙ののち、アルテは両手で顔を覆い、蚊の泣くような声で絞り出した。


「……っ~! 何やらせるのバカッ!!」


「照れるくらいなら最初からやるなっ!!」


 俺は即座に全力の突っ込みを叩きつけた。

 


…せっかくのいい雰囲気が一瞬で台無しじゃないか



「だ、だって……本で読んだ『男の人をドキドキさせる方法』を試してみたかったんだもん……ッ!」


「どんな本読んでんだお前はぁぁぁッ! 補佐官の勉強じゃなくてそっちの勉強してどうするんだよ!」


「うるさいバカライン! もう知らんッ!」


 アルテは真っ赤な顔のままバンッとベッドを叩いて立ち上がると、逃げるように部屋を飛び出していってしまった。


「……なんなんだよ、まったく……」



 パタンと閉まった扉を見つめながら、俺はぽりぽりと頭を掻いた。


だが、押さえた自分の右耳が、今もなお熱く火照っているのを誤魔化すことはできなかった。



(……たく。次は自分の意思で選べ、か……。そんな事言われたら……選ばざるを得なくなるだろ……)



 溜息を吐きつつ、俺はベッドから脚を下ろした。


◇


 そして――約一時間後。


 俺は執務室にてギルバートたちと向き合っていた。


「陛下! 朗報にございますッ! 先ほどニナ様より『優先割り込み権』の正当性が立証され――」


「その話はもういい! ギルバート、それよりイモの暴落問題だ!」


 俺は手でギルバートの報告を遮り、眉間を押さえた。


「東部でのイモ超大豊作の見通しにより、『復金』の価値が下落し始めているのは事実だな?」


「は、ははっ……。先物取引での手放しが始まり、商人たちの間で動揺が広がっております……。このまま秋の収穫期を迎えれば、市場にイモが溢れかえり、イモ本位制は完全に瓦解いたします……!」


 ギルバートが冷や汗を流す。

 農産物を担保にした通貨の弱点が、早くも露呈した形だ。金やミスリルと違ってイモは腐るし、増産されれば価値が暴落する。


「なら、解決策は一つだ」


 俺は腕を組み、冷徹な声で言い放った。


「イモをそのまま市場に流通させるな。『加工』して保存性と価値を引き上げろ」


「加工……でございますか?」


「そうだ。そのまま置けば腐ってゴミになるイモも、加工すれば長期保存が利く高級品に化ける。まずはぎんかんようかんと、お兄ちゃんまんじゅうを増産!そして乾燥加工だ。スライスして乾燥させた保存食、あるいは粉末状にして『ポテトパウダー』として全土の備蓄糧食に回せ」


「なるほど! 供給量を絞ると同時に、軍糧としての価値を付与するわけですね!」


「それだけじゃない。真の狙いは……『醸造』だ」

「イモを……酒にするのですか!?」


 ギルバートが目を見開いた。


「そうだ。イモを発酵・蒸留させ、アルコール度数の高いアクアビットを造る。酒になれば何年でも保存が利く上、寒冷地や兵士の間で極めて高い価値を持つ嗜好品になる。イモという単なる穀物を、液体という別の価値ある貴金属(ゴールド)に化けさせるんだ」


「〜〜〜〜〜ッッ!!」


 ギルバートの顔が歓喜に歪んだ。


「素晴らしい……なんという悪魔的……いえ、神がかった采配! 単なる農産物の供給過多を、国家の新たな主力輸出品(酒)へと昇華させるとは! これなら『復金』の価値は暴落どころか、酒の担保通貨としてさらに跳ね上がりますぞッ!」


(よし、これでイモ暴落による崩壊は防げるし、俺の部屋に美味しいイモ焼酎が大量に届く! 完璧な解決策だ!)


 俺が内心でドヤ顔を決めた、まさにその時だった。


「――報告! 外交部より、西側諸国連合の動きに新たな展開がございました!」


 暗部の密偵が影から現れ、羊皮紙を差し出した。


「西側連合艦隊の編成が完了し、彼らは『聖王ライン陛下の破竹の勢いに続け!』と、我が国の勝利をダシにして士気を高めております! 早ければ来月にも、帝国本土への海路上陸作戦を開始する模様です!」



「……チッ、バカどもが」



 俺は舌打ちを漏らした。


 西側のバカどもは「帝国が弱っている」と勘違いして調子に乗っているが、追い詰められた巨大帝国がどれほど恐ろしいかを知らない。


 本土を叩かれれば帝国は間違いなく『全土動員』を発動し、西側を返り討ちにした勢いで大陸全土を戦火に包むだろう。


(俺の平穏なお昼寝ライフを守るためには……西側のバカどもが自爆して戦火を広げるのを、なんとしても止めなきゃダメだ!)


「ギルバート。西方外交部に連絡だ」


「は、はい! どのような指示を?」


「我が国は『中立・観戦武官』という名目で、西側連合艦隊に極秘で介入する。西側の暴走を現地でコントロールするぞ」


「おおお……! 外交の場でも主導権を握られるのですね! さすが陛下!」


 アクアビットで一時的に時間を稼ぎ、次なる舞台は西側諸国との外交・軍事介入戦へ。

俺の平穏なお昼寝への道は、まだまだ遠く険しいようだった。

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