第十九話:添い寝券の乱用と、膨れ上がる権利の債務
「内政! 外交! 膝枕! もう勘弁してくれぇぇぇぇぇぇッ!!」
積み上がる書類の山、大陸を揺るがす戦火の予兆、そして容赦のないニナの膝枕攻勢。
あまりの理不尽さと絶望の乱打に、俺のズボラな脳味噌のヒューズは音を立てて吹き飛んだ。
視界がぐにゃりと歪み、両膝の激痛と共に俺の意識は深い闇へと落ちていったのだった――。
◇
――翌朝。
「……んあ……」
爽やかな小鳥のさえずりと、窓から差し込む暖かな朝日に、俺はゆっくりと目を覚ました。
「知ってる天井だ…。」
猛烈な頭痛と共に意識がはっきりと覚醒する。
俺はガバッと体を起こそうとしたが、あまりの疲労と膝の違和感に身悶えした。
(そうだ……昨日はギルバートにイモ豊作のインフレリスクを叩きつけ、西側諸国のバカどもが帝国本土へ上陸作戦を企てていると聞いて絶望し……最後にニナが165時間耐久膝枕を請求してきたところで気絶したんだ……)
思い出しても胃がキリキリと痛むような地獄絵図である。
だが、手触りの良いシーツと、慣れ親しんだ天蓋付きのベッドの感触。どうやら倒れたあと、無事に自分の寝室へと運ばれたらしい。
(助かった……。いくらニナでも、倒れた俺に無理やり膝枕を強行するほど鬼畜ではなかったか……。よし、今日は仮病を使って一日中ベッドで粘ろう。内政も外交も全部シカトだ!)
己のズボラ精神を取り戻し、安堵の息を吐きながら隣へ視線を向けた――その瞬間、俺の思考は完全にフリーズした。
薄絹の寝具から覗く、滑らかな白い肩。
双丘は微かな高さなれども美しい様式美を保つ。優美な波紋を描く腰つきと、きゅっと絞られた胴の対比が、息をのむほど妖艶だった。
まぶしい光を浴びてキラキラと輝く、見覚えのある美しい銀髪。
すやすやと心地よさそうな寝息を立てていたアルテが、ゆっくりと長いまつ毛を揺らし、目を開けたのだ。
「……あ、ライン。おはよう」
「……あ……あ……?」
俺の口から、見たこともないほど情けない間抜けな声が漏れ出た。
なぜアルテが俺のベッドにいる!?
ていうか、なんで二人して同じ布団に入って添い寝してるの!?
「ふふ……ライン、昨晩は……すごかったよ」
「ええええええええええええッ!?」
俺は悲鳴を上げ、勢いよく掛け布団を引っぺがしてベッドの隅へと跳びのいた。
急な運動に両膝が「ピキッ!」と悲鳴を上げたが、そんな痛みは吹き飛ぶほどの衝撃だ。
すごかった!? 何が!? 昨夜の記憶が……気絶してからの記憶が途切れていて何一つ覚えていない!!
「お、俺……! 意識を失っていた間に、何か……何か取り返しのつかない過ちを犯しちゃったのか!? アルテに!?」
「うそだよ」
アルテはくすくすと可愛らしく笑うと、ベッドの上にゆっくりと体を起こした。寝起きで少し乱れた銀髪が、朝日に透けて実に絵になる。
……じゃなくて!
「うそって……じゃあ『すごかった』って何なんだよぉぉぉッ!」
「ラインの寝相と寝言だよ。執務室で倒れたあと、ベッドに運ばれてからもずーっと『イモが……空から巨大なイモが降ってくる……!』ってうわ言を叫びながら、ものすごい勢いでゴロゴロ転がってたんだもん。起こしても全然起きないし、本当にすごかったよ」
「紛らわしい言い方すんなよぉぉぉッ!! 本気で心臓が止まるかと思っただろ!!」
胸を押さえてベッドの上でへたり込む俺。
血の気が引いていた顔にようやく赤みが戻ってくるのを感じた。よかった……俺の純潔と理性は保たれていたんだ……。
だが――安堵したのも束の間、俺の脳味噌はある決定的な矛盾に突き当たった。
「……いや待て。じゃあなんでアルテが俺のベッドに入って寝てるんだよ!? そもそもここは俺の寝室だぞ!?」
「フフン♪これだよ」
アルテは得意げに胸を張り、枕元に置いてあった一枚の羊皮紙を差し出してきた。
見慣れた質感、精緻な額面模様――それはパルーマで発行された紙幣『復金』であった。
だが、その表面には、パルーマの地元の役人が悪ノリで押したであろう、禍々しい朱色のスタンプがでかでかと押されていた。
パルーマ復興記念・特別優待特例:聖王陛下との添い寝引き換え券(1回分)
「……は?」
俺は目を見開いた。
「パルーマの商人から、復金1,000枚と引き換えに買い取ったんだ。パルーマの役人さんたちが『復金の価値を高めるためのプレミアム特典』として、限定数枚だけ混ぜて発行したんだって。せっかくの権利だもん、使わないともったいないでしょ?」
「パルーマの役人どもめ余計な限定券作ってんじゃねぇぇぇッ!!」
俺は頭を抱えて絶叫した。
手抜きのために作った『イモ本位制』と『復金』が、現場の過熱した聖王バブルによって歪んだ二次価値を生み出し、巡り巡って俺の寝室に『添い寝券』として跳び蹴りを喰らわせてきている!
「というかアルテ! お前は俺の補佐官でしかも義理の妹だろ! 復金1,000枚も払ってそんなふざけた券を買うなよ!」
「ふざけてないよ?」
アルテは少し照れくさそうに、だが真っ直ぐな瞳で俺を見つめてきた。
「ラインはいつも一人で凄まじい密謀をめぐらせて、国全体を背負って戦ってるでしょ? 東部から帰ってきた時もすごく疲れてたから……隣にいてあげたかったんだ。それに……ラインの隣は、すごく安心するから」
「うぐっ……」
そんな素直で健気な理由を言われたら、強く怒れるわけがないだろ!
俺がぐうの音も出ずに黙り込んでいると、アルテは満足そうに微笑み、俺の腕にギュッと抱きついてきた。微かな双丘の感触が生々しい。
「添い寝券は『1回につき一晩』だからね。まだ朝だし、もうちょっとこうしてよ? ライン」
「あ、いや、アルテさん? 朝の光の中でその距離感はちょっと男子の心臓に悪いというか――」
俺が鼻の下を伸ばしかけた、まさにその時だった。
バガァンッ!!
寝室の重厚な扉が、破壊されんばかりの勢いで蹴り開けられた。
「お兄ちゃんぁぁぁぁぁッ!! 朝だよぉぉぉッ!! 今日の『膝枕権』の消化を――って、な何やってるそこの女ァァァァァッ!?」
仁王立ちで突入してきたのは、10,000枚の復金の束を抱えたニナだった。
ベッドの上で抱き合う俺とアルテを見た瞬間、ニナの目が血走り、般若のような恐ろしい形相へと変貌する。
「ニ、ニナ!? 誤解だ! これは不可抗力というか、パルーマの役人が勝手に発行した添い寝券の権利行使で――」
「黙れぇぇぇッ! ウチが膝枕権166時間分でお兄ちゃんの太ももを占有予約してるのに、横から『添い寝券』で割り込むなんて契約違反だぞちぃねぇぇぇッ!」
「契約違反じゃないよニナ」
アルテは抱きつく力を強め、ニナに向けてくすりと不敵に笑ってみせた。
「膝枕権は『昼間の移動時間』に適用されるものでしょ? この添い寝券は『夜間の睡眠時間』に適用される特例券だよ。市場のルールに従って正当に購入したものだもん、二重譲渡や権利の抵触には当たらないよ」
「くっ……! パルーマの市場経済を悪用して法解釈の隙をついてくるなんて……さすがやり手だねちぃねえ……!」
「ふふん、ラインの補佐官として、経済の仕組みくらい勉強してるからね」
(なんでお前ら、俺の体を使った謎の権利解釈で高度なバトるをしてるんだよ!?)
ニナはギリギリと歯噛みし、懐からさらに大量の復金を取り出した。
「いいでしょう! ならウチも追加投資するまで! パルーマの豪商から買い占めた『復金・優先割り込み行使権』を発動! 今すぐその抱きつきを解除して、ウチの膝枕に移行させてもらうよ!」
「あ、ずるい! なら私は『東部総督レオン経由の特別優先権』を行使するよ!」
「なっ……!? レオン卿の権限まで買い叩いたの!?」
「ライン!」「お兄ちゃん!」
「……」
俺の体を巡って、二人が『復金(イモ紙幣)』という名の無担保債権を乱発し、猛烈な権利の競売を始め出した。
イモの豊作による通貨暴落。
西側諸国による帝国本土への自爆攻撃。
そして、王都の寝室で勃発した、己の身を切り売りさせられる通貨ハイパーインフレ地獄。
「……僕の……僕の平穏なお昼寝ライフは……どこ……?」
朝の爽やかな光が差し込む寝室で、俺は再び白目をむき、三度目の絶望へと意識を沈めていくのだった。




