第二話:陰謀の陸軍卿と、蒼白の聖王
「――以上が、アルベルト男爵領についての報告となります」
王宮の特別会議室。
重苦しい静寂を切り裂いたのは、情報部を統括するアルテの冷徹な、しかしわずかに震える声だった。
円卓を囲む閣僚たちの顔色が、一瞬で塗料のように跳ね上がる。
「な……男爵が、裏切った……だと!?」
「バカな! アルベルト男爵といえば、オルティジア家黎明期からの功臣の血筋! 帝国の敗残兵を引き入れた挙句、先行部隊に港を開放したというのか!?」
「静粛に!」
激昂する重臣たちを制したのは、騎士団長レオンだった。
だが、そのレオンの拳もまた、怒りでミシミシと音を立てて握りしめられている。
「アルテ殿、敵の規模は?」
「上陸が確認された帝国陸軍の先行部隊は、およそ二千。……ですが、これは単なる先鋒に過ぎません。裏で手綱を引いているのは、帝国陸軍卿――鉄血のグスタフです」
グスタフ。
その名が挙がった瞬間、会議室の温度がすっと下がった。
先の海戦で壊滅したガルシア提督が「猪突猛進の猛将」であるならば、グスタフは「冷酷無比な智将」だ。
力押しではなく、オルティジア内部の腐敗した貴族の弱みを突き、金と脅迫で身内から切り崩す――帝国で最も陰湿かつ確実に成果を上げる男。
「おのれ……! 海での敗戦を認めず、汚い裏工作で我が国を侵そうとは……!」
「東部港が落ちたとなれば、敵の上陸は防げなくなります。今後陸路からの侵攻に備えねばなりませぬ。」
十万の大軍を退けた直後の、あまりにも早すぎる第二波。しかも今度は「内部からの刺客」だ。王国閣僚たちの動揺は、最高潮に達していた。
――しかし。
この混乱のさなか、ただ一人だけ。
円卓の上座で、微動だにせず「沈黙」を保ち続けている男がいた。
オルティジア王国の総大将――ラインオルティジアその人である。
(……え? ちょっと待って? なんて言った今……?)
俺の頭の中は、完全にフリーズしていた。
(裏切り……? 帝国軍二千が上陸……? グスタフ……??)
思考が停止し、次いでじわじわと恐怖とストレスが脳汁となって溢れ出してくる。
(うそだろ!? 十万の大軍を追い返したの昨日だよ!? 祝勝会でセシリアにキスされて胃に穴が開いたのついこないだだよ!? なんでまた戦争が始まってんの!?)
俺の視界がぐにゃりと歪んだ。
隠居したい。
ただ静かな領地で、ふかふかの布団に入って一日中ゴロゴロしていたい。
それだけを願って生きてきたはずなのに、なぜ自分ばかりがこんな過酷な目に遭わなければならないのか。
(無理無理無理!! 陸戦なんて専門外だし! 胃が痛いどころか、もう胃が体内で爆発して消滅した感覚がする……!!)
あまりの絶望、あまりの理不尽さ。
俺は顔面から急速に血の気が引き、一瞬で真っ白な灰のような蒼白へと変わっていった。
唇は微かに震え、目はどこか遠く、生きている者のそれとは思えないほど落ち窪んでいる。
死人に等しい、完璧な「絶望の表情」であった。
だが――この俺の情けない姿を、周りの者たちはまったく違うベクトルで受け止めていた。
「……あ……」
俺のすぐ隣に控えていたアルテが、息を呑んだ。
彼女の瞳が、驚愕と、そして深い感銘によって見開かれる。
「皆様……静まりなさい! ライン陛下の御顔を……ご覧なさい!!」
アルテの一声に、騒然としていた会議室が一瞬で静まり返った。
重臣たちの視線が、一斉に上座のラインへと注がれる。
そこにいたのは――動揺の一欠片すら見せず、完璧な静寂の中で、どこか遠くを見つめるラインの姿だった。
「……なんという、顔だ……」
「動揺が……一切ない……? 敵二千の上陸と裏切りの一報を聞いて、眉一つ動かしておられない……!?」
レオンがゴクリと息を呑み、震える声で呟いた。
「ち、違う……! あれは動揺していないのではない……! まるで……まるで『すでに知っていた』かのような……冷酷すぎる静寂……!」
「その通りです、レオン卿」
アルテが確信に満ちた笑みを浮かべ、バッと胸を張った。
「ライン…陛下がこれほどまでに落ち着ついている理由……それは、アルベルト男爵の離反も、グスタフの裏工作も、すべて陛下の『計算通り』だからです!!」
(((……は???)))
俺は心の中で、盛大なツッコミが炸裂した。
計算通り? 俺が? なんで!? 胃が痛くて死にそうなだけなんだけど!!?
声を出して否定したかったが、絶望のあまり喉が引きつり、「あ……う……」と掠れた声しか出ない。
しかし、アルテの暴走は止まらない。
「思い出してください! 今朝一番、陛下が私に仰ったお言葉を!」
「朝のお言葉……?」
重臣たちが首をひねる。アルテは堂々と宣言した。
「陛下は今朝、こう仰いました。『アルベルト男爵領の今年の税収報告、妙に数字が綺麗すぎるな。……まあ、俺には関係ないか』と!」
(ただの独り言だよ!! 数字が丸められてて怪しいなと思ったけど面倒だからスルーしただけだよ!!)
俺の叫びは皆には届かない。アルテは熱弁を振るう。
「あの時点で、陛下は男爵の不正と帝国との内通をすでに見抜いておられたのです!『関係ない』とおっしゃったのは、『そんな小細工など、我が真の戦略の前には何の影響もない』という意味だったのです!」
「「「なぁぁぁっ!!???」」」
会議室に衝撃が走る。
重臣たちが次々と「ハッと」した表情になり、自分の頭を殴るような仕草を見せた。
「そうか……! 道理で! 先月の時点で、東方ルートの物資輸送をわざと遠回りの迂回路に変更させておられた! あれは男爵領が孤立した際、補給線を即座に遮断するための布石だったのか……!」
「なんという深謀遠慮……! 男爵が裏切ることすら織り込み済みで、最初から毒を吐き出させるためにあえて放置しておられたとは……!」
ニナまでもが、感心したように深く頷いている。
「……流石だね、お兄ちゃん。敵のグスタフは『裏工作で完璧な一手を入れた』って喜んでるなろうけど、それすらお兄ちゃんの掌の上。あえて敵の先行部隊を誘い込み、東部で一網打尽にするための囮だったんだね」
(ちがう!! 囮じゃない!! 俺はただの被害者だ!! 誰か助けてくれ!!)
俺の額から、だらだらと冷や汗が吹き出してくる。顔色の蒼白さに冷や汗が加わり、その姿は客観的に見れば「冷徹な殺気を孕んだ神の如き威圧感」へと昇華されていた。
「あ……あう……(胃が……胃が破裂する……)」
俺が痛む胃を押さえようと腹に手を当て、力なく漏らした声。
しかし、レオンはその動作を「開戦の合図」と受け取った。
「――ハッ!! 聖王陛下の御意思、しかと受け取りましたぞ!!」
レオンがガタッと椅子を蹴って立ち上がり、重厚な兜を胸に当てて深く頭を下げる。
「『哀れな裏切り者と帝国の小鼠どもに、身の程を教えてやれ』……そうおっしゃりたいのですね!? 承知いたしました! 直ちに東部迂回路に伏兵を配置し、上陸した二千を補給絶ちで干上がらせてみせます!!」
「全軍、聖王ライン陛下に続けぇぇぇ――っ!!」
「「「オーーーーッ!!!」」」
歓声と熱気に包まれる会議室。
将校たちが一致団結し、凄まじい士気で次々と部屋を飛び出していく。
静まり返った会議室に残されたのは、アルテと、
そして――
勝手に起きたドミノ倒しによって、またしても国を揺るがす大戦争の指揮官に仕立て上げられた、顔面蒼白の俺だけであった。
(だ……誰も俺の言葉を聞いてない……)
俺は静かに目をつむり、心の中で血の涙を流しながら、机の上に突っ伏したのだった。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
祝勝会で胃に穴が開いた翌日に、またしても勝手に名将扱いされて戦争の指揮を執らされるライン……(合掌)。
独り言を勝手に深謀遠慮に変換するアルテたちの勘違い暴走、楽しんでいただけたでしょうか!
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