第十六話:狂乱のイモバブルと、買い占められた膝枕
――『イモ本位制』の導入から、わずか三日。
パルーマ港と近郊の採石場は、正気を疑うほどの熱狂と殺気に包み込まれていた。
「野郎どもぉぉぉッ!! 掘れぇぇぇッ!! 泥を喰らってでも石を運ぶんだよぉぉぉッ!!」
「出せッ! 10,000枚だッ! あと復金が三千枚足りねえええッ!!」
「俺たちの血と汗で、聖王様の膝枕(15分)をこの手に掴み取るんだあああッ!!」
ドゴォォォンッ! バコォォォンッ!
爆音のような採掘音と掛け声が空に響き渡る。
本来なら二ヶ月はかかるはずの埠頭の修復と資材の採掘が、あり得ない速度で完了に向かっていた。
……まあ、俺はそんな現場の惨状を全く知らずにいたわけだが。
「……なんか、最近みんなすごく生き生きと働いてるみたいだね?」
主城の執務室で、俺はふかふかのソファに深々と体を預けながら、のんびりと温かい茶をすすっていた。
「うん! お兄ちゃん! 現場の作業員さんたち、みんな目を血走らせて朝から晩まで不眠不休で働いてるよ! 『イモ万歳!』って叫びながら!」
ニナが誇らしげに胸を張る。
「そっかぁ。やっぱり人間、美味いイモのためなら頑張れるんだね。イモは偉大だなあ」
俺は心からほっと胸を撫で下ろしていた。
イモで誤魔化す作戦は大成功だ。これで港は勝手に完成し、流通が戻り、俺の平和なお昼寝ライフが戻ってくる。完璧じゃないか。
――そう、思っていた。
その日の午後になるまでは。
「――お兄ちゃん! 大変だよ! 街がすごいことになっちゃってるよ!」
執務室の扉が勢いよく開かれ、書類の山を抱えたニナが飛び込んできた。その後ろには、いつも通り手帳を握りしめたセシリアの姿もある。
「大変って……なに? 今度はイモが足りなくなったのか?」
「ううん、逆だよ! 復金が街に大量に出回りすぎちゃって、給料をもらった作業員さんたちが『イモ以外のものも買いたい!』って暴れ出しちゃったの!」
「……は?」
ニナの報告に、俺は首を傾げた。
話を聞けば、こういうことだった。
復金という紙幣を手に入れた作業員たちは、イモと交換するだけでなく、街に残っていた僅かな商人たちと復金を使って売買を始めた。すると、その噂を聞きつけた近隣の村や怪しい行商人が、一儲けしようとパルーマの街へとなだれ込んできたのだ。
「結果として……城下町のメインストリートや大通りに、無許可の露店が何百店舗も乱立して、闇市になっちゃったの!」
「や、闇市……!?」
「そうなのよライン…」
セシリアが青ざめた顔で一歩前へ出た。
「瓦礫の山だった大通りが、怪しい食糧屋、酒場、日用品を売る露店で埋め尽くされてるわ。混雑と混乱がひどくて、港から運ばれてくるはずの復興資材を積んだ馬車が、露店に阻まれて街を通り抜けられないっていう深刻な事態が発生してるわ。」
「なっ……!?」
俺はガタッと立ち上がった。
物流を動かすために港を直しているのに、その資材を運ぶ道路が、経済の過熱によってできた無許可の露店で封鎖されている!?
「そんなの、今すぐ退かすんだ! 資材が運べなきゃ工事が止まっちゃうだろ!?」
「それが……」ニナが困り果てたように頭を抱える。
「役人さんたちは『兵隊を出して力ずくで露店を全破壊して追い払うべきだ』って言ってるんだけど……そんなことしたら、せっかく買い物を楽しんでる領民や作業員さんたちが激怒して、本気の暴動になっちゃうよ!」
「うぐ……っ!」
俺は胸を押さえた。
力ずくで立ち退かせれば暴動。放置すれば工事が止まって復興失敗。どちらに転んでも、俺の「平和なお昼寝」が永遠に失われる悪夢の二択。
(なんで……なんで普通に平和にならないの!? ちょっと手抜きして一点突破しただけなのに、次から次へと問題が湧いてくるんだけど!!)
頭を抱えてのたうち回る俺。
だが、ここで胃を痛めていても事態は一向に改善しない。俺は藁にもすがる思いで、ズボラな脳味噌をフル回転させた。
(兵を使って力ずくで追うのはダメ……。露店商人も、客も、みんな『そこで商売したい』から集まってるんだ。なら……無理やり壊すんじゃなくて、あいつらが自分から移動したくなるような条件を出せばいいんじゃないか……?)
「……ニナ、セシリア。力ずくで追い払うのはやめよう。面倒くさいし」
「えっ? でも、放置したら馬車が通れないよ?」
「そうじゃない」
俺は億劫そうに机の上の地図を広げると、ペンで城下町の外縁部――以前は使われていなかった広い空き地(男爵軍の訓練場跡地)をぐるりと丸で囲んだ。
「この空き地を『公認自由市場(闇市特区)』に指定する。そして、今大通りにいる露店商人たちにこう告知するんだ。『今日中にこの指定地区へ自分から引っ越した店舗には、今後も無税で優先的に商売する権利を与える。さらに、引越しを手伝った作業員には、イモ引き換え優先券を枚数限定で配る』ってな」
「あ……!」
ニナが目を見開く。
「人間、得になるなら勝手に動くよ。大通りの露店を立ち退かせるんじゃなく、もっと条件の良い場所へ『誘導』するんだ。ついでに、その指定地区の通りは碁盤の目のように綺麗に区画整理させて、通路の幅を確保させる。これで馬車も通れるし、街の混雑も解消されるでしょ?」
(……ふふふ。力ずくで鎮圧する兵の移動費もかからないし、勝手に商人たちが引っ越して区画整理まで終わる。僕が監視・指導する労力が最小限で済む完璧な放置系作戦だ!)
俺が自分の天才的な手抜き・誘導発想に内心でドヤ顔を決めていた、その時だった。
「――っ……!!」
静寂を破ったのは、セシリアの息を呑む音だった。
彼女は瞳を激しく揺らし、全身を歓喜と戦慄で震わせながら俺を見つめていた。
「ライン…またあんたやってくれるわね…。無法地帯と化した『闇市』を排除するのではなく、法と特区という枠組みで優しく包み込み、都市の発展エネルギーへと変換する……! これこそ、『区画整理』と『市場の公認化』の極致……!!」
「えっ」
「お、お兄ちゃん……! 暴力を使わずに、みんなが喜ぶ条件で街の形を作り直すなんて……! どこまで頭がいいの……!?」
ニナまでもが感涙にむせび、役人たちに「直ちに公認市場の設営と引越し告知を開始せよ!」と指示を出しに走っていった。
(いや、だから、力づくで追うのが面倒だっただけなんだけど……)
まあいいや。これで大通りの混雑は解消され、資材も運ばれ、街は勝手に綺麗になる。
今度こそ……今度こそ、俺の平穏なお昼寝ライフがやってくるのだ!
「はー、疲れた。セシリア、僕はちょっと横になるよ……」
俺がソファへダイブしようとした、まさにその瞬間だった。
バンッ!!
執務室の重厚な扉が、今日何度目か分からない爆音を立てて弾け飛んだ。
そこに立っていたのは、汗と油と泥でドロドロになった大蔵官だった。その手には、一枚の羊皮紙――発行されたばかりの『復金』が握られている。
「へ、陛下ぁぁぁぁぁッ!! 来ました! 来てしまいましたぁぁぁッ!!」
「な、なに!? 今度は何!? 闇市が燃えたの!?」
「違います! 採石場と港の作業員一同が……連日連夜の不眠不休の超突貫工事により、ついに……ついに復金10,000枚を掻き集めましたぁぁぁッ!!」
「……は?」
大蔵官はガタガタと震える手で、復金の裏面を俺に突きつけた。
そこには、セシリアの流麗極まりない極小の直筆注記で、こう書かれていた。
『※復金10,000枚につき、ライン陛下の膝枕権(15分)と交換可』
「あ」
俺の思考が、完全にフリーズした。
「第一号の権利行使として! 採石場の代表である鬼神の作業員長・ゴルドー殿が! 今まさに城の門前で『聖王様の膝枕ぁぁぁッ!』と叫びながら涙を流して待機しておりますッ!!」
「……え?」
「さあ陛下! 帝国の誇り高き聖王として! あの汗と泥にまみれた漢の頭を、そのお膝の上で優しく受け止めて差し上げてくださいッ!!」
大蔵官の感動的な叫びが、執務室に虚しく響き渡る。
鬼神の作業員長・ゴルドー
筋肉モリモリのヒゲダルマ。
52歳。
汗と泥の臭い。
そして、15分間の膝枕。
「嫌だあああああああああッ!! なんで俺がヒゲのゴツいおっさんを膝枕しなきゃいけないんだよおおおおッ!? 助けてセシリアぁぁぁぁッ!!」
「ライン……約束は約束だからね。一国の王が民との誓いを破っちゃだめ! さあ、膝を出して!」
「見捨てるなああああああッ!!」
俺が恐怖のあまり絶叫し、己の運命を呪っていた――その時だった。
「ちょーーーっと待ったぁぁぁぁ!!」
凛とした声とともに、執務室の扉を蹴破って入ってきたのはニナだった。
その手には、巨大な木箱と、一枚の豪華な羊皮紙が握られている。
「ニナ殿……!? 一体何を――」
「ゴルドーさん! その復金10,000枚、私が買い取るよ!」
ニナは不敵な笑みを浮かべると、城の門前に向かって大音量で言い放った。
「その10,000枚と引き換えに! 城の特製蒸しイモ一年分と、パルーマ港の復興を称える第一号・名誉作業長(金メダル付き)の称号を授与します! 膝枕15分を取るか、一生誇れる名誉と大量のイモを取るか……選んで!!」
静寂が訪れる。
門前から、ヒゲダルマのゴルドーの震える声が聞こえてきた。
「な……名誉作業長の金メダル……!? それにイモ一年分だと……!? 聖王様の膝枕も捨てがたいが……男として、そんな名誉を賜っては断れねえええッ! 買ったぁぁぁッ!!」
「交渉成立!」
ニナはニヤリと笑うと、ゴルドーから回収した復金10,000枚の束をバッと掲げて見せた。
「ゴ、ゴルドー……! お前、なんて良い奴なんだ……!! ありがとう、名誉作業長……!!」
ヒゲのおっさんの膝枕という地獄を回避できた俺は、感動のあまり膝から崩れ落ちてボロボロと涙を流した。
助かった。俺の膝と精神は守られたのだ!
俺が胸を撫で下ろした、次の瞬間。
「ふふふ……というわけでね、お兄ちゃん」
ニナが復金10,000枚の束をジャラッと机に叩きつけ、悪魔のような笑みを浮かべて俺にじりじりと迫ってきた。
「市場から復金を買い占めて、合法的に『10,000枚』を集めたのはウチだよ? ちゃんと正規の権利として行使するからね?」
「え……?」
「今日から毎日15分! お兄ちゃんは私に膝枕をすること!! 拒否権はないよ! だって復金10,000枚分の『絶対的な価値』だもんねぇぇッ! ドゥヘヘヘヘ!」
ニナが俺の膝にダイブしてくる
「あ…………」
セシリアが横で「くっ……ニナ殿、あたしだって!」と戦慄している。
ゴツいおっさんからは逃れられた。
だが、そこにはさらに逃げ場のない囲い込みという名の地獄が待っていた。
「う……うわあああああああッ!! やっぱり俺の平穏がああああああッ!!」
俺の絶叫が、新しく生まれ変わろうとしているパルーマの空へ、虚しく響き渡るのだった。




