第十四話:傾斜生産の罠と、高騰する労働力
バルドゥア帝国の七千の捕虜を無条件で返し、パルーマ港から帰還船を見送った翌日。
俺は、旧アルベルト男爵領の主城にある執務室で、重々しい溜息をついていた。ふかふかのソファに深々と体を預け、天窓から差し込む陽光を眩しそうに仰ぐ。
「ふぅ……。ひとまず、最悪の事態は回避できたな……」
身代金も取らずに兵を返したのは、決して全てが俺の慈悲からではない。七千人もの大食らいを城で養い続ければ食糧庫が底をつき、飢えた兵たちが暴動を起こして俺の平和なお昼寝ライフが脅かされるからだ。
(これで一安心……と言いたいところだけど、問題はここからなんだよなぁ)
俺は窓の外、眼下に広がるパルーマの街並みに視線を向けた。
アルベルト男爵の裏切りによる東部への物流遮断、そして先の戦乱によって、街の活気は完全に死に絶えていた。道路は穴だらけ、港の埠頭は崩れ落ち、商店街の頑丈な木戸は固く閉ざされている。
このまま街が荒廃し、領民が食べるに困れば、いずれ必ず治安が悪化する。盗賊が横行し、絶望した民衆が暴動を起こせば、それを鎮圧するために俺自身が出陣しなければならなくなる。そんな面倒くさい事態だけは、何としてでも阻止しなければならなかった。
(治安維持のために四六時中兵士を巡回させるのも人件費の無駄だし、第一うるさくて眠れない。一番手っ取り早いのは、街の経済を最低限動かして、みんなが普通に生活できるようにすることだ)
そのためには内政が必要だった。だが――。
「――お兄ちゃん…復興の優先順位について、役人たちがもめてるよ?」
部屋の扉が開き、書類の山を抱えたニナが慌ただしく飛び込んできた。その後ろには、本国の政務を執る傍ら、パルーマの補佐として残ったセシリアの姿もある。
「農業派の役人は『何よりもまず荒れ果てた農地の耕作放棄地を復旧すべきだ』って言ってるし、商業派は『城下町の商店街に復興補助金を出すべきだ』と譲らないんだよね。そしたら住宅の修理が先だって人もいて、もう現場は大混乱だよぉ」
ニナが頭を抱えている。
予算も人手も限られている中で、全員が「自分の分野を優先しろ」と叫び合っているのだ。このまま議論をさせていれば、着工までに何ヶ月かかるか分かったものではない。
「あー……面倒くさいなぁ」
僕は露骨に眉をひそめた。
農地だの商業だの住宅だの、一つ一つ精査して指示を出し、進捗を監視するなど考えただけで胃が痛くなる。僕が求めているのは「最小限の手間で、勝手に街が動き出す仕組み」なのだ。
「ニナ、役人たちを集めて。指示を一本化するから」
「え、わかった!」
数分後、執務室に集まった重臣や役人たちを前に、俺は億劫そうに人差し指を二本立てて見せた。
「あちこち同時に手をつけるから、予算も人手も足りなくなって混乱するんだよ。今日からパルーマの復興事業は、ふたつの作業『だけ』に全資金と全労働力を集中投下する」
「ふ、ふたつ……ですか?」
役人の一人が恐る恐る尋ねてくる。僕は至極怠惰な口調で答えた。
「ひとつはパルーマ港の埠頭と倉庫の修復。もうひとつは近郊の採石場と鉱山での資材掘削。以上だ。農地の整備も、商店街の補助金も、住宅の修繕も、全部後回しにしていい」
「な、なんですと!?」
役人たちに衝撃が走った。特に農業担当の役人が身を乗り出してくる。
「陛下、お待ちください! 農地を放っておけば、今年の秋の収穫が見込めなくなります! 港だけを直しても、売るための作物がなければ意味が――」
「農地なんて、放っておけばそのうち勝手に草が生えるでしょ」
僕はテキトーに手を振った。
「港さえ直れば、外の国や街から船で物資や食糧が運び込める。物流の拠点さえ作れば流通が戻るんだから、食べ物は買えばいい。そして港の修理や道路の補修には大量の石材と魔導鉱石が必要だ。だから掘る。この2つだけに集中させれば、俺が細かく指示を出さなくても済むだろ?」
(……ふふふ。港と採石場の2箇所だけなら、進捗の確認もたまーに役人に報告させれば済む。俺が監視する労力が劇的に下がる完璧な手抜き計画だ!)
俺が自分の天才的な手抜き発想に内心で自画自賛していた、その時だった。
「――素晴らしい……!」
静寂を破ったのは、セシリアの震えるような感嘆の声だった。
彼女は抱えていた羊皮紙を胸に抱きしめ、蒼氷色の瞳を極限まで見開いて僕を見つめていた。
「せ、セシリアさん……?」
「気づかないのですか、ニナ殿、役人の皆さん! ライン陛下のおっしゃる言葉の真意に!」
セシリアは熱弁を振るい始めた。
「限られた資金と労働力を、あらゆる産業に薄く広く分散させれば、すべてが中途半端に終わり共倒れになる! だからこそ、経済の結び目である『物流(港)』と、すべての領地の基盤となる『資材(石材・鉱石)』という最優先の二分野だけに資源を過剰なまでに集中投下する……! そこから生み出された物流と資材が、やがて巡り巡って農業や商業へと波及していくのです!」
セシリアはゴクリと唾を呑み込み、戦慄を含んだ声で呟いた。
「……史実のいかなる名君の治世にも存在しない、基幹産業への『傾斜生産』による段階的経済再生戦略……! ラインは軍略のみならず、経済の理すらもその掌上で転がしておられるというの……!?」
「えっ」
俺は素で声を漏らした。
(いや、ただ単に指示出すのが面倒だから2個に絞っただけなんだけど……なにその難しそうな名前……)
「お、お兄ちゃん……! 限られた資源で最大の効果を出すための『傾斜配分』……! 本当に天才だよ!」
ニナまでもが目を輝かせて拍手を始め、役人たちも「おお……!」「なんという先見の明!」と口々に感服し始めた。
「よし! 直ちに作業員を公募し、港と採石場へ投入せよ! 日払い給料は城の予備費から弾み、突貫工事で進めましょう!」
ニナの威勢の良い号令とともに、役人たちは「聖王ライン様万歳!」と叫びながら一斉に部屋を飛び出していった。
取り残された俺は、冷や汗を流しながら呟いた。
「あ、いや……給料は普通でいいんだけど……」
だが、僕の呟きは熱狂する側近たちの歓声にかき消されてしまった。
――そして、一週間後。
俺の「傾斜生産方式」は、まさに劇的な成果を上げた。
目標が「港」と「採石場」の2つに絞られたことで現場の混乱はなくなり、異例のスピードで突貫工事が進行。崩れかけていたパルーマ港には巨大な作業足場が組み上げられ、連日連夜、活気ある掛け声が響き渡っていた。
ここまでは、セシリアの深読み通りだった。
しかし。
「――ちょっと待って。なんで俺の昼食に、また干し肉と干し芋しか出てこないの?」
執務室で、目の前に出された質素極まりない皿を前に、俺は引きつった顔で給仕の兵士に尋ねた。
「あのね、俺は別に贅沢がしたいわけじゃないけど、普通に焼き立てのパンとか、新鮮な野菜とか、そういう普通のものが食べたいんだけど。街のパン屋さんはどうしたの?」
すると、給仕の兵士は困り果てたように眉を下げた。
「は、はあ……。実は、街のパン屋も、肉屋も、菜園を耕していた農民たちも……全員、店をたたんで港の工事現場へ行ってしまいまして」
「……は?」
「陛下が『港と採石場の作業員には高額な日払い給与を出す』とお決めになったでしょう? いま港でひと仕事すれば、パン屋を一日営業するのの三倍は稼げるのです。ですから、街中の若い男も職人も、みんな仕事を放り出して港や採石場へ鞍替えしておりまして……」
「なっ……!?」
俺はガタッと立ち上がった。
そう、これこそが、特定の基幹産業に集中して莫大な資金を投下した際に発生する労働力の過度な偏重であった。
「ち、ちょっと待ってよ! 街のパン屋が全員港に行ったら、街でパンを買う人が困るでしょ!?」
「はい……。ですから現在、街に残ったわずかな食糧の価格が暴騰しておりまして。昨日まで銅貨三枚だった硬いパンひとつが、今や銀貨一枚にまで跳ね上がっております……」
「物価の狂乱!!」
俺は思わず叫んだ。
港や採石場の作業員たちは、高額な給与をもらって金持ちになった。だが、街から生産者(パン屋や農民)が消えたため、食糧の供給が完全に途絶。結果として、街に残った僅かな日用品や食糧の値段が異常に高騰し、買い物ができない普通の住民たちの間で悲鳴が上がっていたのだ。
「そんな……! 暴動を防ぐために最低限の経済を回そうとしたのに、俺の計画のせいで街の日常が破綻してるじゃん! 俺の平和なお昼寝ライフが余計に遠のいてる!!」
頭を抱えてのたうち回る僕。
「とりあえず一点突破すればラクできる」というズボラな思考が、需要と供給のメカニズムというリアルな罠となって、俺自身の首を締めにかかっていた。
だが、惨劇はそれだけでは終わらなかった。
執務室の扉が開く。
そこに立っていたのは、顔面を蒼白にし、書類を手に全身をガタガタと震わせている大蔵官の男だった。
「へ、陛下ぁぁぁぁぁッ!! 大変です! 大変なことが起きましたぁぁぁッ!!」
「な、なに!? 今度は何が起きたの!?」
「港と採石場にあまりにも大量の作業員が押し寄せ、高額な日払いを払い続けた結果……城の金庫にある金貨・銀貨が底をつきました!!」
「……え?」
僕の思考が完全に停止した。
「現在の金庫残高は……ゼロ! 銅貨一枚すら残っておりません! このままでは明日の夕方、港で働く数千人の作業員たちへの給与支払いが滞ります!」
「き、給料未払い……!?」
「はい! もし給与が払えないとなれば、『騙された』と激怒した数千人の作業員たちが一斉に暴徒化し、この城へ押し寄せてくるのは間違いありませんッ!!」
大蔵官の絶叫が、執務室に虚しく響き渡る。
数千人の怒れる作業員。
空っぽの金庫。
消えたパン屋。
そして、破綻した「平和なお昼寝計画」。
「う……うわあああああああッ!! 俺の平穏がああああああッ!!」
あまりの事態に、俺は白目をむいてソファへと倒れ込むのだった。




