第十一話:放たれた言葉と、聖王の帳簿
オルティジア平原の戦いから数日。
かつてアルベルト男爵が治めていた城に入城した俺たちは、勝利の余韻など微塵もない殺伐とした空気の中で作戦会議が行われていた。
「陛下! 周辺領地の治安維持は順調ですが……やはり未だ要塞島に立て籠もるアルベルト男爵を即座に包囲し、討ち取るべきかと!」
鼻息を荒くするレオンに対し、白馬の上で固まっていた疲れが未だに残っているラインは、お粥の入った椀を抱えながら冷たく言い放った。
「……放っておけ。陸の帝国軍が壊滅した以上、あの島に援軍は当分来ない。補給の途絶えた要塞など、ただの檻だ。無駄な兵と血を流す必要はない」
(……船を出す金もないし、水攻めだの包囲戦だのやって兵士が死ぬのを見たくないんだよ。放っておけば勝手に干上がるでしょ、あんな男爵)
ラインの内心のヘタレな本音など知る由もないレオンは、「包囲する兵力すら割かず、干殺しにして自滅を待つとは……なんと冷徹かつ合理的な判断!」と一人で勝手に感銘を受けていた。
だが、本当の地獄はそこからだった。
ニナが青ざめた顔で、厚みのある帳簿をラインの前に差し出してきたのだ。
「……ねえお兄ちゃん。要塞島よりも、今すぐ解決しなきゃいけないちょっとヤバい話があってさ。捕虜にした帝国兵が約七千人いるんだけど、ご飯代とか収容場所が足りなくて…」
「……飯代?」
「うん。うちの王国の規模じゃいきなり増えた七千人を養うのは無理だよ。このままだと、うちの王国の食料がなくなっちゃうよ。」
「早急に身代金交渉を始めるべきでしょうな。それとも強制労働させて荒れた東部の復興に充てるか…」
(…七千人の捕虜を囲い込む!? 反乱を起こされるリスクもあるし、身代金の交渉なんてしてたら何ヶ月も居座られて飯代で我が国が破産するわ!!)
ラインの脳内で算盤が激しく弾き出される。
金を払いたくない。反乱されたくない。でも殺すのは絶対に嫌だ。
追い詰められたラインが導き出した、最安値で最も安全な解決策――それは、この世の常識を根底から覆すものだった。
「……身代金など不要だ。今すぐ船に乗せて、全員無条件で帝国へ送り返せ」
天幕の中が、凍りついたように静まり返った。
ニナが目を見開き、レオンもアルテも耳を疑った。
「ひ、陛下……!? 捕虜の無条件解放など、前代未聞にございます! 帝国から莫大な身代金を毟り取る権利を捨てるというのですか!?」
「……我が国に必要なのは金ではない。無駄な飯食いを囲い込む余裕もない。ただちに解放しろ。以上だ」
早く出ていってほしい一心で突っぱねるライン。
だが、レオンの脳内では、その言葉が恐ろしいほどの悪魔的軍略へと変換されていた。
(ハッ……! そうか! 身代金という目先の金銭などではなく……『命を助けられ、無条件で家族の元へ返された帝国兵七千人』を本国へ送り返すことで、帝国軍全体の戦意を内部から根底から破壊するおつもりか……! なんという恐ろしい……恐ろしい神算鬼謀!!)
「は、ははぁっ! 直ちに船の手配に取り掛かります!!」
戦慄に打ち震えながら天幕を飛び出していくレオン。
(ふぅ……これで飯代も浮くし、反乱の恐怖もなくなったぞ。これでようやく平和なお昼寝タイムだ……)
ラインが一人で胸を撫で下ろしている頃――。
ヴァルハイト帝国の首都では、地下の工房で完成しつつある巨大な魔導中和結晶を見上げながら、第三皇子ルーファス(ルーくん)が血が出そうなほど唇を噛み締めていた。
「待っていろよライン……貴様のその『要領だけのズル』を、この中和装置で完全に封じ込め、泥臭い陸戦で叩き潰してやる……!」
前代未聞の捕虜「無条件解放」という決定が、どれほどの波紋を世界に広げるかも知らず、ラインの平和な思い込みと、帝国の新兵器開発が静かに交差していくのだった。




