第十話:深紅の執念と、帝国の新兵器
オルティジア平原の悲報が届いた瞬間、ヴァルハイト帝国の最高会議室は、まるで氷水を浴びせられたかのような静寂に包まれた。
「……ギュンター中将の重装甲兵三万が、壊滅、だと……?」
上座に座る老将軍が、震える手で報告書を机に叩きつける。
戦死約二万、捕虜約七千。
対する敵の損害は数千。
帝国史上、これほど凄惨で、かつ一方的な大敗北の記録は存在しない。しかも相手は、軍事大国である帝国の属領だったオルティジア王国の兵なのだ。
「報告によれば、奴らは百万イルも離れた王都から、正確無比な砲撃を降らせて我が方の退路を断ったとのこと。その後、左右からの苛烈な魔導砲撃と、正面からの反転突撃により、我が軍は陣形を整える間もなく磨り潰されたと……」
「馬鹿な! 百万イル先のピンポイントを狙撃する兵器など、神話の領域だぞ!? ライン……あのもやしっ子の無能が、それほどの戦力を隠し持っていたというのか!」
口々に狼狽の声を上げる将軍たち。これまでは「牙を抜かれたもやしっ子」と侮っていたラインへの評価は、一瞬にして『牙を隠し持っていた狡猾な怪物』へと跳ね上がっていた。
「――当然だ。奴が、ただの無能なわけがないだろう」
怯える将軍たちの声を切り裂くように、冷ややかな、しかし激しい執念を孕んだ声が会議室に響いた。
歩み出てきたのは、深紅の軍服を身に纏った青年。帝国の第三皇子、ルーファス・ヴァルハイトであった。
彼は歴戦の将軍たちを冷たく見下ろしながら、忌々しそうに、かつての記憶を反芻する。
(ライン……やはり貴様、本性を現したか)
ルーファス――俺がルーくんと呼ぶその青年は、俺が人質として帝都にいた頃、士官学校の同期だった。
皇子という身分に甘んじることなく、誰よりも泥臭く、血の滲むような努力をしてきたルーファス。だが、その隣にはいつも、授業中は眠そうに欠欠伸を噛み殺し、実戦演習では「めんどくさい」と逃げ回っているヘタレのラインがいた。
それなのに、結果はいつもラインがトップ。要領の良さだけで、コスパ良く座学の満点をかっさらっていくラインの後頭部を、ルーファスはいつも激しい嫉妬と屈辱の炎で見つめていたのだ。
(あの時の飄々とした態度は、すべて周囲を油断させるための演技。私を鼻で笑いながら、裏では王位を簒奪し、百万イルの戦略兵器を組み立てていた……。どこまで底知れない男だ、貴様は……!)
ルーファスの中で、膨れ上がった勘違いと歪んだ執念が完全に爆発していた。
「父上、将軍方。奴の狙いは、その圧倒的な長距離砲撃で我が軍を恐慌状態に陥れ、戦う意志そのものを挫くこと。ならば、対策は一つです」
ルーファスは、卓上に一枚の設計図面を広げた。
それは、大砲でも巨大な戦艦でもない。複雑な魔導回路が刻まれた、複数の巨大な「結晶体」の図面だった。
「魔導中和結晶の製造を提案します。奴らの放つサジタリアス=レイがどれほど高出力だろうと、それは純粋な魔力の塊。ならば、その魔力そのものを周囲の大気ごと中和し、霧散・無効化させる中和装置を戦場に展開します」
将軍たちが息を呑む。
「これさえあれば、ラインの誇る長距離砲は完全に無効化できる。奴の要領だけの浅知恵で放つ砲撃を封じさえすれば、あとは我が帝国の圧倒的な兵数による白兵戦に持ち込む。小細工の通じない剣と盾の殴り合いなら、我が軍が敗れる道理はない!」
これには将軍たちも、そして玉座の皇帝も深く頷いた。ラインの超長距離兵器に怯えていた軍部にとって、それを「無効化していつもの陸戦に引きずり込む」という提案は、最も確実で、最も帝国が輝く必勝の策に見えたのだ。
「第三皇子ルーファスよ。その中和装置の製造、およびオルティジア遠征軍の全権を貴方に委ねる。帝国の威信をかけ、あの化け物を踏み潰してこい」
「はっ。このルーファス、今度こそ奴の化けの皮を剥ぎ取ってご覧に入れます」
深紅の瞳に復讐の炎を燃やし、ルーファスは不敵に微笑んだ。
◇
同じ頃、オルティジア王国。
「はぁ……おいしい。お粥が五臓六腑に染み渡る……」
本陣の天幕の中、ラインは布団に包まりながら、ニナが作ったお粥をスプーンですすっていた。数日ぶりのまともな睡眠と食事に、彼のヘタレな顔は完全にふにゃりと緩みきっている。
「いやぁ、一時はどうなるかと思ったけど、三万も磨り潰したんだもんね。あんなの見せつけられたら、帝国だって怖くてしばらくは攻めてこないでしょ! アルベルト男爵も要塞島に引き籠もってるだけだし、これでようやく平和な引きこもりライフに戻れるぞ。あー、お布団最高」
ラインは幸せそうに毛布を頭まで被り、ゴロゴロとの寝返りを打つ。
国境の向こう側で、士官学校時代の同期だった「ルーくん」が、自分の長距離砲撃を打倒する中和装置を引っ提げて再び戦いを挑もうとしていることなど、彼は微塵も知らなかった。




