第47話 森が受け入れるもの
やがてリィナが立ち止まり、目の前の空間を見据えた。風の流れがそこで薄く屈み、葉の落ちる軌跡が不自然に逸れる。
「――ここから先」リィナが息を呑む。「結界の境よ。何度来ても、ここで止められた」
足元の右手、低い杭に古い立て札が括りつけてある。木は灰色に乾き、苔が端を侵していた。
リィナが小声で言う。「前に言った立て札、これ。書かれてたのは――」
掠れた文字がまだ読める。
「この地に選ばれし記憶を抱く者だけが、この先に進める」
その下に、さらに小さく刻まれている。
「四つの儀を経よ」
俺は頷き、仲間と目を合わせる。見えない膜の向こうに、目指す里がある。
レオンが息をゆっくり吐く。
「……命じてくれ、シン。誰の足でもない、あんたの判断でな」
ソフィは目を細め、空間の歪みに指先をかざす。
「力ずくで当たるのは避けたい。**“四つ”**が鍵ね。あなたなら、正しい手順を見つけられるはず」
リィナは地図を抱きしめ、顔を上げる。
「大丈夫。私たち、シンと一緒に来たんだもの」
エラは無言で最後尾に回り、外側を見張った。
胸の奥で何かが定まる。
――ここを越えなければ、辿り着けない。
――俺でなければ、道は開かない。
記憶の底を探る。ゲームでは、ノエルと共にこの里を訪れたとき、結界は彼女の力で自然に開いた。俺はただ従っただけだ。けれど、あの夜の焚き火のそばでノエルが何気なく言った言葉だけは、耳に残っている。
『外から来る者は、四つを森に返せ。それが掟』
「やってみる」
声に力は入れない。手順どおり、正確に。
「一人幅で、間をあけて。俺が先に行く」
掌を胸の前に上げ、まず、息を渡す。
深く吐いた呼気が風に溶け、膜の表面がかすかに震えた。
次に、水筒を傾け、水を返す。
掌に集めた一滴を土へ落とす。乾いた地面がそれを吸い、冷たさが足元に広がる。
片足を半歩進め、影を刻む。
足裏の重さに合わせて影が沈み、境の線上で薄く揺らいで――土に吸い込まれる。
最後に、名を預ける。
「……シン」
名が空気に溶けるのと同時に、見えない膜が低くきしみ、淡い光がにじんだ。張り詰めた糸がほどけ、押し返しがふっと薄れる。細い道が、森の内へ向かって開く。
「通れる」
俺は足を運ぶ。最初の一歩だけ重く、二歩目から土が受け入れた。
リィナ、レオン、ソフィ、エラの順に身を滑らせ、最後に薄い冷たさが背を撫でる。静寂が戻った。
ソフィが短くまとめる。
「四つ――誓いの作法ね。森に外を返したから、拒まれなかった」
レオンは肩を鳴らし、口の端を上げる。
「理にかなってる。よし、落ち着いて行こう」
リィナはぱっと笑った。
「ありがとう、シン。本当に……開いたね」
エラは小さく息をつき、うんと頷く。
「印の匂いは、しばらく残る」俺は立て札に一瞥をくれる。「辿れる者がいれば、気づくだろう」
同じ森だ。なのに違う。
湿り気は深く、匂いは澄み、音が少ない。足音は苔に吸われ、風は高い枝でだけ鳴る。
木肌は滑らかで、幹には古い刻みが続く――言葉というより、祈りの形だ。
光は斑ではなく糸になり、天蓋の隙間から降りて地面に丸い輪を落とす。輪の中では、虫の羽音さえ遠慮がちに細る。
「……きれい」エラが息を漏らす。
レオンが声を潜める。「音が跳ねない。守られてる」
ソフィは微かに頷いた。「人の術じゃない。森が選んでる」
リィナは地図を閉じ、前だけを見た。「この先。道は、ある」
「急がないでいこう」
俺たちは歩幅を整え、細い道を進む。森は黙って見ている。
俺たちが誰で、何を連れてきて、何を置いていくのか。
その問いに、足音で答えるしかない。
やがて木々の間に、淡い光を帯びた家々の影が見えはじめた。
背を伸ばした影が一つ、こちらへ向かって歩いてくる。――里との邂逅が、始まろうとしていた。




