第42話 銅貨一枚の羅針
「昼の鐘に宿の前集合。各自必要なものを揃えてこい」レオンのひと言で、俺たちは散っていった。
ロープ、防水油、火打ち石、笛。俺の荷に必要なのは、基本のものばかりだ。雑貨屋をまわって一つずつ袋に入れていく。革細工の店では外套の縫い目に油を塗ってもらい、船宿の前では握り心地のいい麻縄を選ぶ。
途中、武具屋の前で声が響いた。「だから、この研ぎ代は高すぎるって!」レオンの大声だ。店主と真っ向からやり合っている。あいつらしい。
薬屋の軒先では、ソフィが薬草を一本ずつ手に取り、店主と専門的なやりとりをしていた。真剣な横顔に、つい足を止めそうになる。
さらに先の書肆からは、抱えきれないほどの羊皮紙を胸に抱えたリィナが出てくるのが見えた。彼女は俺に気づかず、まっすぐ前だけを見て歩いていた。
広場の片隅では、エラが子供たちと何かを話して笑っていた。隣の屋台の菓子をちらちら見ているのがわかる。……帰りに一袋、買ってやるか。
そうして辿り着いたのは、人通りの少ない一角にある古びた露店だった。老女が並べているのは、使い込まれた小物や、不思議な品々だった。
「これは……?」
目を引いたのは、一つの小さな方位磁針。飾り気はなく、針の動きもどこか鈍い。
「誰が使っていたかはわからないけど、昔の旅人のものらしいよ」老女はそう言い、かすかに笑んだ。声にはひどくかすれた響きがあって、耳の奥に残るようだった。目の奥が妙に澄んでいて、覗き込まれるとぞくりとする。ゆるやかな仕草のひとつひとつに、年老いた身体とは釣り合わない静かな力を感じた。
「旅人……」俺は思わず呟いた。「そうさ。道に迷う者もいれば、立ち止まったことのある者もいる。けれど、不思議と、この針は持ち主を必ず“どこか”には導いてくれるって話でね」
老女はそう言って、皺だらけの指先で針を軽く弾いた。鈍い音がして、針はぎこちなく震えた。だが、次の瞬間には真北を指して止まっていた。そのとき、老女の声は一瞬低く沈み、空気がひやりとした。
「どこか……」
「家かもしれないし、仲間かもしれない。あるいは、まったく思いもよらない場所かもしれないよ」 老女の目が細められ、じっと俺を覗き込んだ。その瞳は、暗がりで小さな灯を宿すように光っていた。 「ただ、この針に選ばれるのは、少し迷った経験のある者だと言われてる」
胸の奥に、妙なざわめきが広がった。自分の足取りが正しいのか、それともどこかで間違えているのか――そんな問いが心に忍び込んでくる。
「……いくらだ?」
「銅貨一枚でいいよ」
老女はゆっくりと手を差し出した。その仕草は、まるでこちらに選択を委ねているようだった。
あまりに安い値に驚きつつも、俺は懐から銅貨を取り出して渡した。受け取った老女の指先は骨のように細く、温もりがないのに、不思議と心に重さを残した。気づけばその磁針を手に取り、懐にしまっていた。何かの役に立つかはわからない。だが――なぜか、手放す気にはなれなかった。




