1.旅立ち
「気を付けてね」
「うん。お母さんも気を付けて。特にあの人には」
ディエナが視線を向けたのはグロックだった。
母親であるレイアウナへ向ける彼の視線が恋慕のそれであることはディエナも承知していたが、どうにもグロックが時折使うオヤジ臭いセンスの下ネタには耐えられなかったらしい。
すっかりディエナから距離を置かれたグロックは「将来の娘に嫌われた」と落ち込んでいた。
助けを求められたシロウは、あまりの馬鹿々々しさにうんざりしている。
「俺にどうしろと言うのか」
「レイアウナさんもディエナも、お前を気に入っているからさ。なんとかとりなしてくれよ」
「無茶を言うな」
頼み込まれたところで、レイアウナとの付き合いはグロックの方が長いのだ。ディエナに関しては別だが、彼女自身がグロック本人を見て判断しているのだからどうしようもない。これからの生活の中で信頼を得るしかないのだ。
だが、その機会も少ない、とグロックはわかっていた。
シロウは旅に出ることを宣言しており、ディエナもそれに同行する。
今はその出発の直前であり、親子が別れの挨拶をしているのを見ているシロウに、グロックがしつこく懇願しているの状況だった。
「はあ、情けない。死闘を共に戦った親友とも思えぬ姿だなあ」
「惚れてしまったものはどうしようもない。そうだ、そうだ」
ぐい、とグロックはシロウの腕を取って、ディエナ達から距離を取った。
「で、お前の方は結局どうなったんだ? ディエナとはどこまで行った? お義父さんに話してみなさい」
「気色の悪いことを言うな」
うんざりした顔でシロウはグロックの手を振りほどき、ずり落ちてしまった荷物を肩に担ぎなおした。
古ぼけた頭陀袋に詰め込んだ荷物は大して多くは無い。ちょっとした保存食と数枚の着替えくらいだ。
「アイツは、良い奴だよ。それは理解している。だが男女の仲というのは、そう簡単に深まるもんじゃあないだろう」
「おい、見た目は少女でも、中身はお前さんよりも九百以上は年上だぞ? あまり煮え切らない態度は……まさかお前、まだマリィのことを……」
「違う。彼女のことは、もう終わったと理解している」
想いは残っているが、すでにマリィはいない。エイミィにその影が被って見えてしまったことは否定できないが、別人であることはシロウもはっきり理解していた。
時を越えてしまったシロウは、マリィとの思い出探しではなく、今度は変化した世界を見て回ろうと考えているのだ。
そして、もう一つの“未練”について、自分が納得するまで調べておきたいと思っている。
「俺が振り切れていないのは、“元の世界”さ」
「……ああ、そうかい」
ならば、とグロックはシロウの背中を思い切り叩いた。
基本的に鎧姿のままであるグロックの手は、硬い鉄製のガントレットになっている。生前からの馬鹿力も相まって、シロウは背骨から全身に響くほどの痛みを味わった。
「おい、やり過ぎだ」
「やり過ぎなものか。親友はさておき、自分に惚れた女を置いてホイホイと帰ろうなんて不義理なことをまた考えるようなら、今の痛みを思い出せ。仕返しのために一度ここへ戻ってこようと思えるだろう?」
「ふふん……心配するな」
不器用な引き留めだ、とシロウは背中を擦りながら笑った。
「俺は帰ろうとは思っちゃいないよ。ただ、あっちにも少しは未練がある。帰る方法を探すというよりは、物見遊山のついでに“帰れない”ことを確認してさっぱりしておきたい。それだけさ」
「そうかい。だが、ディエナだけは泣かすなよ?」
「肝に銘じておく」
元の場所へと戻ったシロウに、ディエナが駆け寄ってきた。
花が咲いたような明るい笑顔に、シロウもつられて顔がほころぶ。
「シロウ!」
「別れは終わったか?」
「うん。すぐにでも出られるよ。スクアエは?」
「準備があるから、と外で待っているらしい」
シロウが旅に出ると聞いて、ディエナは即決で同行を決めた。同時にスクアエも「ついていく」と決意したが、ジュノーは辞退した。
「しばらくは骨休め」
等と嘯いて、彼女は一足先に森を出てどこかへと出かけてしまっている。
同様にディービーもふらりと姿を消してしまった。
元よりモンスターたちは自由なもので、ディエナもレイアウナも特に気にしていない。城に残るレイアウナの護衛も、グロックを始めとしてディエナによって復活したモンスターたちがしっかりと務めている。
人数的に大きなダメージを受けた教団がすぐに攻勢に出るとも思えず、万一の時は脱出路も用意した。
「さあ、行きましょう!」
「ああ。では、後は任せた」
「任された! 心置きなく探してこい。疲れて帰ってきたら、酒でも飲もうぜ」
見送りのグロックに手を振り、レイアウナに一礼してシロウたちは旅に出た。
☆
「消えた?」
エイミィの不在に気付いた護衛騎士は、人を集めて捜索すべきかとも考えたが、思いとどまった。
彼女の状況に関する事実が一部の相手にしか知らされていないことを考え、まずはザガンにのみ知らせるべきだと考えたのだ。
たとえ叱責を受けるとしても。
「は……通常通りの確認として部屋に入りましたところ、姿は見えず……」
「飛び降りたとでも言うのか」
「いえ。念のため周囲を調べましたが、ご遺体どころか、飛び降りたらしい痕跡はどこにも……」
「では、空でも飛んだとでも?」
飛翔のための魔法は発見されていない。
万一、エイミィがそれを開発していたとしても、発動するには部屋に仕掛けられた魔法を禁じる封印を解除せねばならない。
ザガンは苛立ちの表情で「誰かが手引きしたはずだ」としか思えなかった。
怪しいのは目の前にいる監視役だが、と視線を向けると、騎士は青い顔をして俯いていた。
「人数を集めて探させる。だが、お前は当の見張りを続けろ。まだ中にエイミィ様がいるように見せかけるために」
「はっ!」
「食事の運びこみなども今まで通りに。最低限の者にだけ、最低限の情報だけを渡せ」
騎士が言われた通りに手配をする、と退室した後、ザガンは持っていた羽ペンをへし折った。
自分では何も決められぬと思っていた小娘が、邪神との戦いから随分と反抗的になっている。挙句の果てには逃亡したのだ。
「不愉快な真似をしてくれる……!」
ザガンは性格的に争いを好むタイプでは無い。自ら騒乱を起こして利用することも好まなければ、自分で先頭に立って行動を起こすことも稀だ。
安定し、計画通りに物事が進んでいくことを何よりも重要だと考えていた。
そんな彼の“計画”の中で、エイミィは最も重要な駒であったが、自分に向ける感情を利用できる使い易い駒でもあった。
そのはずが、邪神復活から随分と計画が狂ってしまった。
邪神と復活した元勇者の存在を利用して、エイミィの活躍を理由に栄達の機会にするはずが、重要なところで足踏みしている。
今の地位はあくまで仮のものに過ぎない。エイミィが公にザガンを批判したりすれば、彼は完全に立場を失うだろう。
「……場合によっては、少々手荒な真似も必要か」
ザガンは先ほど命じた者たちとは別に、腹心を使ってエイミィの捜索及び捕縛を命じることにした。
同時に、状況によっては殺害をも選択の一つとして伝える。
「数か月以内に片付けねば、聖女不予の状況をいつまでも演出できるわけでも無い。別の台本を作る必要もあるな」
話の大筋は決まっている。
邪神の呪いによる聖女の死。そしてザガンへの遺言書の発見だ。
そのためには、エイミィの死体が必要だった。




