戦闘と決着 その3
話を聞けば、単純なことだった。
「妖鼠の鼠惨死期は『増殖』と言っておったが、正確に言えば『分裂』と評したほうが正しい」
増殖と分裂。これは似ているようで実は遠くかけ離れている。
「オリジナルがオリジナルを増やすんじゃなくて、コピーを増やすって感じか?」
傷を回復してもらって、ようやく話せるようになったぼくは自分の考えを述べる。
「その通りじゃ。こやつは所詮、最弱の鬼。この程度の能力しか持ち得ておらぬ」
足元には妖鼠がうずくまっている。
他の七体、つまりコピーは動かなくなったと思ったら、徐々に身体が石化していき、最終的には砂となってしまった。
触ってみると、サラサラしている。
「お主は運が良い。もし頭部以外の箇所を攻撃したら、勝てなかったじゃろ」
「どうして、殴っただけでこんな苦しむんだ? やっぱり頭が弱点なのか?」
「いや、お主が三日前に与えただめーじが残っておったじゃろ」
そういえばそうだ。ぼくは前に頭部を冷却していた。そのときの損傷は回復しきれていなかったのか。
「ならなんで完全に治るまで待たなかったんだ? 何か事情があるのか?」
「お主は頭が悪いのう。待っていたらお主は強くなるじゃろ。修行をすればするほどお主は強くなる。それを妖鼠は恐れたのじゃ」
まあ半人前の仙人が鬼に対してダメージを与えたんだから、恐れるのは当然か。
「まあグダグダ話しておってもしょうがない。さっさととどめを差せ」
日輪がそういうと、足元にうずくまっていた妖鼠は「ひぃいい!」とみっともない声を上げて、這うようにぼくたちから逃げようとする。
「い、嫌だ! 死にたくない、死にたくない!」
這うスピードは遅く、それは妖鼠が受けたダメージが深刻だってことだ。
「なあ、鬼も死ぬと桃源郷に行くのか?」
ぼくが訊くと日輪は「鬼と仙人を一緒にするな!」と尻を蹴られた。
地味に痛い。
「鬼が死んだ後に行くところなど、決まりきっておるわい。お主ら現代人も知っておるじゃろ。鬼がいる場所、それは――」
日輪の目が大きく開き、虹彩が輝いて見れた。
「地獄じゃよ」
その一言で妖鼠は一層、怯えて身体が震える。
「い、嫌だ! 死にたくない、逝きたくない!」
「地獄ってぼくが想像している、あれのことか?」
「そうじゃ。死後悪行を繰り返した人間の行くところ。際限なく繰り返される苛烈な拷問と苦行を科せられる、魂の牢獄じゃ」
まさか、地獄が本当に在ったなんて。
いや、仙人が実在したんだから、在ってもおかしくないけど。
「まあ鬼もいずれは復活できるが、それまで精神が持つかどうか……半端ものが逝けば、半日で壊されてしまうじゃろ」
妖鼠は這うことをやめた。もう逃げられないと悟ったのだ。
そして今度はこっちに這ってくる。
「お願いします、殺さないでください! なんでもしますから!」
その必死さにぼくは引いてしまう。
「そんなに拷問は嫌なんだな」
「まあそうじゃろ。ワシも痛いのは嫌じゃ」
「違う! 私は拷問が怖いのではない!」
妖鼠が顔を上げて泣きながらぼくたちに訴える。
「私より下等な人間と同じ立場なのが嫌なのです!」
うん? 意味が分からない。
「私が、人間を遥かに超越した鬼である私がぐだらない、人間の中でも下等な悪人ごときと一緒の待遇を受けるのは耐えられない! 私は同じ苦しみを共有しないといけないのが自分でも許せない! だから、地獄は嫌だ! 逝きたくない!」
苦しみよりもプライドが勝っているみたいだ。
ぼくは理解するのに、飲み込むのに少し時間がかかった。
「お願いします! 助けてください! お願いします!」
それはほとんど、土下座に近い。いや、土下座そのものだった。
見るものに哀れさを感じてしまうような必死な懇願。
だけど――
「それを決めるのは、日輪だね」
ぼくは判断を日輪に委ねた。
ぼくは鬼どころか人を殺したことはない。そんな覚悟もない。
だけど、日輪が殺せと言えば殺す。
そう決めていた。
「ふむ。そうじゃのう。だったらこういうのはどうじゃ?」
日輪は屈んで妖鼠の目線に合わす。
「お主、なんでもするか?」
「はいっ! なんでもします!」
プライドが高いはずなのに、あっさりと従う妖鼠。
やっぱり鬼は仙人の奴隷というのは間違っていないのかも。
「ではお主以外の十二鬼の突鬼仙力を言え。さすれば生かしておこう。無論、不可侵の契約を結んでもらうが」
日輪のその言葉に、妖鼠の顔色が青く染まる。
「そ、それは――」
「言えぬのなら、地獄行きじゃ。さあどうする?」
ぼくはえげつないと思った。これは裏切り行為だ。確かにそれを言えば地獄行きを免れるだろう。日輪は約束を必ず守る。しかし、言ってしまえば、妖鼠の言う主に対する裏切り、反逆になってしまう。このゲームを終わったら勝敗は別に何らかの処分が下されるだろう。それは地獄送りかもしれない。とにかくもう二度と主に信じてもらえない。
しかし、断れば地獄送りが確定する。
「わ、私は――」
妖鼠は迷って惑う。
そして迷いつつ――
「私は、主を、裏切れません」
そう――答えた。
「……そうか」
これが鬼が無意識かに縛られている、主に対する背くことを禁じられている、奴隷気質に寄るものか。はたまた、リスクを考えての計算によるものなのか。それとも自分の信条に則っての判断なのか。それは分からないけど、妖鼠は確かに決断したのだ。
それを尊重しなければならない。
「十六夜こころよ。殺すのじゃ」
「分かったよ」
ぼくは仙気を右手に集中させた。
妖鼠は震えていたけど、覚悟を決めたように目をつぶった。
「妖鼠。ぼくは君の決断は正しいと思う。裏切るよりも自分の死を選んだ君の覚悟は尊いと思う。ぼくは永遠に近く生きるだろう。だけど、君のことは忘れない。妖鼠という名前を永遠に心臓に刻むよ。誇り高い鬼の名前を、ぼくは、絶対に、忘れない」
ぼくは本心のまま話した。さっきまで殺しあっていた敵なのに、なんだか奇妙な感情を覚えてしまった。
まるで親しい友人のように、ぼくは感じた。
そして、妖鼠もぼくの言葉を聞くと、口元を上げて、確かに笑った。
そして末期の言葉を言う。
「あなたのような仙人に殺されるのも、悪くありませんね」
「…………」
「一つ、助言しておきましょう。私以外の十二鬼は私以上に強く、私以上に頑強です。はたしてあなたが生き残れるのかどうかは分かりませんが、武運を祈っておきますよ」
「ありがとう」
「さあ、どうぞ。おやりなさい」
「さようなら、妖鼠」
「さようなら、十六夜こころ」
ぼくは仙気を宿した右手を、妖鼠の頭を一撃で破壊するように、躊躇することなく、殴りつけた。
妖鼠の頭は砕けて飛散し、返り血を浴びた。
頭部を失った妖鼠の身体はしばらく揺れていたけど、そのまま前に倒れた。
「…………」
「ようやった。これでひとまず安心じゃ」
「なあ、日輪」
ぼくは初めて殺した気持ちを、日輪に言う。
「鬼を殺すって、生物を殺すって、いい気分じゃないね」
「当たり前じゃ。晴れやかな気持ちになるわけないじゃろ」
妖鼠の死体を見つめてぼくは言う。
「これで、終わったんだね」
「終わりではない。これからげーむが始まるのじゃ」
そう聞くと、なんだか疲労感が増す。
「しかし、お主を選んだのは間違いなかったのう」
唐突に日輪はそんなことを言う。
「なんだよいきなり」
「ワシはお主が妖鼠を殺せるとは思いも寄らんかった。修行を始めて一週間もしないのにも関わらずじゃぞ? 正直、ワシはお主の才能が恐ろしく感じる」
「この前言っていた、努力の才能がか?」
「そうじゃ。もしかすると、百年経てば序列されるかもしれぬ。それほど期待される才能を持っておるのじゃよ」
序列されるということがどれだけ凄いか分からないけど、褒められているのは案外心地の良いものだった。
「買いかぶりすぎだよ。妖鼠に勝てたのは偶然で運が良かっただけだ」
「人間でも、運も実力の内と言うじゃろ。まあお主の力は今まで見てきた弟子の中ではそこまでずば抜けてはおらぬ。しかし――」
日輪はぼくに近づいて、首を触る。
「仙気や技だけではない、心や運といった計れぬものをお主は備えておる。ワシが師でなければ、今ここで殺しておかねばならぬと思うくらいじゃ」
日輪が僅かに殺気立つ。
その殺気は短いものだったけど妖鼠と比べて濃厚で全身の毛が逆立つほどの圧倒的だった。
「日輪、冗談はよせよ」
「冗談? ワシは本気じゃよ。まあ仙人の弟子はワシは殺さぬよ」
そして、日輪はようやく首から手を離した。
汗がどっと溢れ出す。
平静に装っていたけど、本能的に恐怖を感じていたみたいだ。
「さてと、妖鼠の死体の始末をして、お主の家に帰るぞ」
「……そうだね。燃やすのか?」
「そうじゃ。お主は先に帰ってよいぞ。死体の焼く香りは食欲と嫌悪感を同時に催すものじゃから」
「そう。なら帰るよ」
ぼくは帰ろうとする前に、日輪に訊きたいことがあった。
「ねえ、日輪。日輪は殺したことがあるのか?」
何を、とは訊かなかった。
「たくさん殺したぞ。何百何千とな」
「後悔したこと、ある?」
これも何がとは訊かない。
「ない。ワシはお主と同じで生涯で悔いを残さん。仙人になるときに、そう決めたのじゃ」
日輪には迷いがないみたいだ。
「そう。ありがとう、答えてくれて」
「構わぬぞ。さあ、ささっと去れ」
「うん。またね」
ぼくは森の入り口へと向かう。
歩きながら考える。
自分がこうして歩けるようになるために、鬼を殺し続ける。
なんて罪深いんだろう。
仙人になっても殺生し続ける。
仙人になるのも楽じゃない。
そう思った。




