覚醒
周りが魔物が現れると同時にさっと明るくなる。
石の壁に覆われた簡素な大部屋といった雰囲気の場所だと、フラットは気づく。
けれどそれを考えるよりも優先するのは、フラットにとってアリスの身の安全だった。
フラットは即座にアリスを庇うように魔物とアリスの間に駆け込み、現れた魔物を睨みつける。
「アリスには触れさせない」
その声がいつものフラットと違い、真剣な強い意志の声でアリスは小さく驚く。
この位置からは、フラットがどんな顔をしているのかアリスには見えない。
けれど、今までの軟弱さは消え、僅かに立ち昇る大きな魔力にアリスは息を飲む。
その魔力はとても似ていたから。そこで、
「面白い事を言うわね。確か……フラットだったかしら、“吸血鬼”」
「……人を魔物呼ばわりは、頂けませんね。お美しい女性といっても、あまりの暴言に僕は心を痛めてしまいます」
「美しい? そうね、私は美しい。けれど私達魔物は皆美しいもの、この世界が醜すぎるの」
「そうですか? 貴方はこの世界を知らないからそう思うのでは?」
「“弱い”お前ごときの魔物が私に口答えをするのか?」
そこで女の魔物が笑う。
その赤い唇がつり上がる様に、禍々しいものを感じるアリス。
同時にフラットが何かをした。
呪文もない。ただ、竪琴がほんの少し震えて音が奏でられた。
ただそれだけ。
けれど耳に響く強いその音に、その女の魔物は一瞬苦悶の声をあげる。
「……ぐっ……なるほど、お前は我々の仲間と呼んでも良さそうだな」
「だから、僕は、違い、ま、す」
「どの道、“女神”が閉じた結界は少しずつ崩壊している。ここは心地よいと貴方は思わないのかしら」
「思わ、な、い。さっきか、ら、苦し、く、て」
「我慢をしているからよ。すぐ傍に良質な“餌”があるのに、それに手を出さないんですもの。……ああ、貴方魔力は強いのに随分と“脆い”のね。ではこの心地よさには耐えられないかもしれないわね。……人間なんて愚鈍なものと交わるからこうなってしまうのに、けれどそれも王への忠誠と取れは美しいわね」
目の前の女の魔物の声を、霞む意識の中で聞いていたフラット。
何処かうっとりするように紡がれるその言葉に、フラットは嗤った。
フラットがこうなっているのは、王への忠誠だと彼女は言っている。
確かに魔物の血を引く自分達は、クルスという次代の王に惹かれている。
憧れ羨望、そんなただただ熱狂的な狂気。
強さに、王たる人格に、支配者としての風格にフラット達魔物の末裔は従っており、それゆえの結束は大きい。
けれど、そんなものではないのだとフラットは思う。
フラットがクルスといるのは、そんな理由ではない。
そして、そんな曖昧な漠然としたものであると、決め付けられたくない!
「……友だからだ。クルスと一緒にいるのは」
「! 王を友なんて呼ぶな! 何たる無礼な!」
「はは、友だよ。僕をあの暗い部屋から助け出してくれた」
もう一度日の当たる場所を自由に走り回れるのは彼のお陰だ。
あの日、開かれた扉から一筋の光が部屋に降り注ぎ、フラットは恐怖した。けれど、
「行こう。もう、君は何処にでもいける」
血をもらったあの日、彼の言うとおりフラットは再び外を走る事が出来た。
本当はあの時、月の光すらも痛みを感じていたから。
突然現れた、目を見張るほどの美しい、高貴な少年。
名も、彼が何者かもフラットは何も知らなかったが、ある種の憧れと尊敬をフラットは抱いた。
そして恩人である彼に恩返しをしたいと言った時、
「友達になって欲しい」
あんなに沢山の同年代の人や年上に囲まれている強くて綺麗な彼は、フラットが意外に思うほどに孤独だった。
それからクルスと組んで、公の場はそれらしい行動を取りながらも、それ以外では色々悪戯をしたものである。
その度に、ノイズ兄さんに連れ戻されて叱られていたのだが。
部屋を出た時から、フラットはクルスの友となった。
願いを叶えているだけと思えるかもしれないが共に歩んできた年月は長く、本物の親友と呼んでいいだけの絆があるとフラットは確信している。
だから、親友の好きな相手くらい守るのだ。たとえ……この身が朽ち果てようとも。
「消えてもらう」
たった一言呟いて、竪琴の弦を一つ鳴らす。
同時に巨大な炎の塊が現れて、その目の前の女の魔物へと打ちつけられて……即座に消し去られた。
冷たくフラットを見下ろしている。
同時にフラットは腹部に痛みを感じて倒れこむ。
「フラット! どうしたの!」
駆け寄るアリスに、下がれとフラットは言いたいのに声が出ない。
体に力が入らず、体温が下がり、意識が薄れて……気づけば、心配そうに近づいたアリスに手を伸ばして、
「フラット?」
不思議そうなアリスの声が聞こえて、けれどフラットはその芳しい甘い匂いに惹かれる。
蜂蜜のように甘い、極上の血の香り。
蕩けるような溢れ出て、零れ落ちる魔力。
そっと倒れようとしたフラットを支えようとしたアリスに手を伸ばして、虚ろな瞳のフラットはアリスの耳元で熱っぽく囁く。
「……僕、アリスの事が前から、好きだったんだ。だから……血を頂戴?」
そう呟いてアリスの首筋に唇を当ててそのまま吸い付こうとした所で……アリスがフラットの頭をはたいた。
それほど強い力ではなかったのだが、フラットは電撃のような衝撃を受けて、そして自分の今の状態に気づいて慌ててアリスから飛びずさる。
「う、うわぁああああ、ご、ごめんそんなつもりじゃ……アリス?」
けれど、アリスはそんなフラットをいつもの表情で見て、
「抱きつかれた時、フラットに幾つもの呪いがかかっているような気がしたから今ので解除しておいたわ。ついでに、今のそこの女の魔物の攻撃も癒しておいたから」
「アリス?」
「弱っていたのはそのせいかもね。でももう大丈夫だよ? それにレイナに、私を襲った事とフラット自身の事、秘密にしておいてあげるね?」
「えっと……レイナは関係ないんじゃないかな?」
「……無自覚? 嫉妬して欲しかったくせに」
「えっと、アリスちゃん、どうしたの?」
にこにこと笑うアリス。
けれどその笑顔はいつものように見えて、何処か空虚なものに見える。
体に心が伴っていないような、そんな雰囲気にフラットは驚きを持ってアリスを見る。
そこでアリスが軽く床を蹴って羽が舞うように立ち上がり、くるりと軽快な仕草でその女の魔物へと体の向きを変えて見据える。
相変わらずの笑顔で。
けれどその魔物と相対する危険に気づいてフラットは、
「アリスちゃん、下がって! 僕がやるから!」
「うーん、フラットは今は止めておいた方がいいよ? 体が弱っているから、壊れてしまうわ」
「それは……」
「大丈夫なの。私きっと、今なら何でも出来るよ」
夢と現実が混ざり、私は新しい私になったのだと、アリスは爽快な気分になる。
これがきっと本当の私。
そこで女の魔物が、
「ふん、小娘に何が出来ると?」
「何でも出来るかな。貴方の願いだって叶えてあげられるかもしれないよ? 今の私なら」
「私の望む願いは、クルス様に我々の王となってもらう事」
「あ、それは駄目かな。だって……私はクルスといたいもの」
「小娘がっ……お前はクルス様と釣り合わない」
「そう? それを決めるのはクルスだよ?」
「我が王を呼び捨てにするな!」
女の魔物の激昂。
揺れる振動と放出される魔力。
それはあまりにも速く普通は捕らえられない。
けれどその全てをフラットは見ていた。
アリスが風の魔法、その攻撃をすべて防ぐのを。
嘆息するようにアリスは告げる。
「うーん、もう少し精度良く敵を攻撃しないと駄目じゃないかな」
「人質の癖に……」
「人質なら、もう少しお話しましょう。私達を殺したら、貴方は困るのでしょう?」
「……何が目的だ。そしてお前は何だ?」
「ただの人間でとっても強い魔法使いだよ。それよりお話しよう? せっかく異世界からきてくれたんだから、ね?」
そう笑うアリスにその女の魔物は、従わなければならないような恐ろしさを感じたのだった。




