届かない悲鳴
4章の始まりです
容赦なく走り続ける馬車に揺られ、ライナの思考は一年と少し前に戻っていた。
あの時も無情に馬車は走り続けた。そして自分がこれからどうなってしまうのか分からず、ただ暗く狭い空間で膝を抱えていた。押し込められた馬車の中は、村人たちの怨嗟と悲嘆の叫びで満たされ、ライナはただ母と引き離された恐怖で震えていた。
あの時と今が違うとすれば、清潔な馬車にいる事。柔らかいクッションがある事。隣に自分を守ろうと腕を伸ばしているアンヌがいてくれる事―――。
「どこまで、走るのかしらね……」
ぽつりと零れた呟きは頼りなく、アンヌも現状に恐怖しているのだとライナに知らしめた。
馬車の内部に明かりはなく、外から洩れてくる唯一の光は、仄かな月光だけ。頼りない光だったが、それでも完全な暗闇ではない事は、不安定な気持ちを少し落ち着けさせてくれた。仄かな光はアンヌの艶やかな髪に反射し、ライナの目には眩しく映った。
「大丈夫……大丈夫よ。わたくしたちが戻らなければ、絶対に捜索されるもの。お父様だっておば様だって、黙ってるはずがないわ。だから大丈夫よ、ライナ」
アンヌはライナの目を見て強く告げてくるが、それは自分自身に言い聞かせているも同然だ。ロージィが常に傍にいたアンヌは、誘拐などに遭遇したことが無い。いつも守られていたのにそれに気づかなかった。馬車に乗り込む前、あんなにもロージィが離れることを渋っていたのはこういった事態を未然に防ぐ為だったのだと、今さらながら実感する。
「そう、ロージィがすぐに気付いてきてくれるわ。ロージィは強いのよ、すぐに、すぐに助けてくれるから……それまで頑張りましょうね、ライナ」
アンヌはライナの手をぎゅっと握り、心から信頼する執事が助け出してくれる事を思い描くのだった。
時間間隔もなくなったころ、馬車は速度を落としついに停車した。そして外から乱暴に扉の鍵を開けている音がする。ガチャガチャと金属がこすり合う音がした後、閉じられたままだった扉が静かに開いた。
「降りろ」
短く告げられた言葉に、二人は咄嗟に反応できず身を固くしてお互いを抱きしめあう。いつまでも降りてこない二人に焦れたのか、浅黒い肌の腕が伸びてきて、扉側にいたアンヌの細い腕を掴んだ。
「―――ひっ!」
恐怖でひきつった声を発したアンヌだったが、その声に頓着することなく、腕は無理矢理にアンヌを馬車から引き摺り下ろした。そしてそのままの勢いで地面に叩きつけられる。
「あっ……っ!」
思わず地面に転がされた衝撃により、思わず自らの腕でその身を抱きしめた。打ち付けた左半身がずきずきと痛む。
ライナは突然の事に対処できなかったが、すぐに身を乗り出してアンヌに駆け寄ろうと足を踏み出したところで、同じ浅黒い腕につかまった。
「!」
容赦なく掴んできた腕の力は相当なもので、とてもライナに振りほどけるものではない。ライナは扉が開いたことにより、精霊を制する空間から脱出できたことを思い出し、すぐに意識を集中させようとした。
―――突風でもなんでもいい、精霊の力を開放してこの誘拐犯たちを吹き飛ばしてしまえばいい!
ライナの瞳が怪しく光り、そう願った瞬間―――腕に冷たく固いものが取り付けられたことを知った。
「!?」
かちり、という無機質な音が響いたと同時にライナの感覚に異変が生じる。それまで自分の周りを心配そうに飛び回っていた精霊たちが姿を消したのだ。驚き、慌てて左右を見まわすが、突然掻き消えてしまったかのように存在すら認識できない。
抵抗する力が無くなっ事を察した腕の主は、アンヌの時と同様にライナを無理矢理馬車から引っ張り出し地面に転がした。整えられた髪は崩れ、アンヌとお揃いでリメイクしたドレスも土に塗れた。磨かれた肌は地面に擦られた衝撃で血が滲み、ずきずきとした痛みを走らせる。
だが、それは今のライナにとって些末なことでしかなった。生まれて15年。ずっと傍で感じ取っていた精霊の気配が忽然と消えてしまったのだから。
蒼白なったライナへ、頭の真上から冷たい声が降って来た。
「ほう……【精霊】封じの腕輪とは、誠であったか」
「……!」
声のした方へと視線を向ければ、浅黒い肌をした男が無表情のままに立っている。ライナの故郷でも、ロットウェルの街中でも見たことのないような服装をした男だ。特徴的なのはその瞳。月光よりもまだ明るい、金色の瞳は冷たく感情というものが存在しない。
「これでおまえは、精霊を認識できないただの小娘だ」
「……っ」
腕輪を取ろうと引っ張るが、もちろん取れるはずがない。ぴったりとまるで誂えたような冷たく重い腕輪は、肌に吸い付いているかのように隙間すら与えてくれなかった。
「立て。手間を掛けさせるな」
そういうと、浅黒い肌の男は乱暴にライナとアンヌの腕を取り、二人がよろけるのも構わず歩き出した。そのあとを明かりを持った数人の男たちが付いてくる。ちらりと見れば、それはやはり白薔薇城でディクターが私兵だと紹介した男たちだった。つまり、この現状を生んだのはディクターということになる。
だが、いったい何が目的でこんなことになっているのか、ライナはもちろんアンヌにも何もわからなかった。
もしかすれば、王制復活を企んでいるのかと考える。確かにアンヌは公爵家の娘。愚王とはいえ先王の血を引き継いだ、ただ一人の人物だ。アンヌを擁立し、自分の傀儡として扱おうとしている?
だが、そう考えてその考えを打ち消した。あまりにも馬鹿げている。ディクターもまた愚王の愚策と政治を目の当たりにしてきたはずだ。そして苦しむ民衆を守るため立ち上がり、その能力を認められ6人会議の一席を与えられた人物。それに、このような強硬策に出たとしても、ファーラルに知られればひとたまりもないのは近くにいたディクターであれば、充分に理解しているはずだ。
そう考えては見るものの、ではなぜこんな事になっているのかと問われれば、答えが出てくるはずもない。あと一つ可能性があるとすれば―――。
「あ、あなたたち、こんなことをして、ディ…ディクター様が黙っていらっしゃらないわよ!」
私兵たちの反乱。この者たちの勝手な思想と行動である可能性。これに違いないとアンヌは声を上げたが、腕を掴んでいる男も、後ろから付いてくる男たちも何も言わない。
「すぐに助けが来るんですからね!」
「黙って歩け」
気丈に声を上げたアンヌだったが、後ろから力任せに背を押され、恐怖で歯を鳴らした。背を押したのが、手のひらでなく剣の鞘だと知ったからだ。顔を横に向ける事も出来ず、黙って下を向いて引っ張られていくがまましばらく歩かされた。
柔らかい靴は、地面に擦れてすでに爪先が破れはじめていた。美しかったドレスの裾もほつれ、細かな刺繍は所々糸がほどけている。突然に起こった悲劇に、アンヌの胸の内は悲しみと苦しさでいっぱいだった。ライナを気遣いたい気持ちはあるのに、それをする行動力が沸き上がらない。ロージィがいたから、いままで強気な言葉も態度もしてこれたのだと身をもって知らされた。
無力なこの身は、自分で自分を守ることも儘ならない―――。
「……っく……っ」
涙が溢れ、頬を伝う。噛みしめた唇は震え、歯はかちかちと音を立てていた。
そして男たちに連れられ、歩かされた先に会ったのはみすぼらしい荷馬車。木箱が積み上げられており、旅の行商のような外観だ。
「一人ずつ箱の中に入れ」
冷酷な声が指示を出す。顎で指し示されたところには、口を開けた木箱が二つ並んでいた。もちろん足を伸ばし入れるようなものではなく、膝を抱え頭を低くしなければ到底人ひとりの体を収めることは出来ないだろう。
あの中に入れと言うのか。入ってどうなるのか。運ばれてしまうのか、そのまま殺されてしまうのか。体を駆け抜けたのは絶対的な恐怖だった。
「い、いや……っ」
「おい、入れろ」
浅黒い肌の男が冷たい声で言うのと同時、後ろにいた男たちがアンヌとライナをそれぞれ抱え上げ箱に向かっていく。迷いのない足取りは、アンヌを更なる恐怖に叩き落とすには充分だった。
「いやぁ!離して、いや!ロージィ、ロージィ!」
男の腕に抱えられながらも、アンヌは泣き叫びロージィの名を呼んだ。周りには何もない漆黒の荒野のただ中で、アンヌの悲痛な叫びだけが響き渡る。だが、その声に反応してロージィが姿を現すことはない。
「どうして、ロージィ!助けて、いやよ!」
箱に押し込められながら、泣き叫び、手足をばたつかせ抵抗するアンヌ。その隣では、ライナが抵抗らしいものも見せず、大人しく箱に入れられ上蓋を閉じられているところだった。それを見て、アンヌの瞳にはさらに涙がせりあがった。
「どうしてなの、いや!助けてロージィ!」
「あいつはこない」
「!?」
アンヌの血を吐くような悲痛な叫びに応えたのは、黙って成り行きを見ていた浅黒い肌の男だった。静かな金色の視線が、泣きすぎてボロボロになっているアンヌに注がれている。
「あいつは、あんたと引き離された」
「―――そ、んな……」
それでは、クレイツがロージィを連れて行ったことも全て……計画の一端だったというのか。6人会議の議長が二人も離反しているというのか。
アンヌの心が絶望で染め上げられていくのと比例するかのように、その体から力が抜けた。大人しくなったアンヌを、男たちは箱に押し込め上蓋を被せ封をする。
狭く暗い箱の中、アンタはただ呆然と自分の運命を呪うしかなかった。
同じく箱の中のライナは、カビの臭いのする箱の中で膝を抱えて静かに涙を流していた。
「うまくいったな」
「ああ、楽勝だ」
男たちは静かになった箱を荷馬車に積み込み、上から帆で覆い隠した。そして浅黒い肌の男に視線を向ける。
「ジトゥカ、あんたはどうする」
「一緒に行くさ」
ジトゥカと呼ばれた男は静かに首肯すると、用意されていた馬にまたがった。男たちは一つ頷くとそれぞれ荷馬車や馬に乗り込み、再び暗闇の荒野を走り出したのだった。
その頃―――
マーギスタのグレイたちは、クレイツやディクターの動きの不審さに頭を悩ませていた。ファーラルの手紙の意味する事と、クレイツたちの動きが合致しないのだ。
「とりあえず俺は、師匠に精霊を飛ばす。ジュネスはマクルノ隊長に連絡してくれるか」
「はい」
何かが起こっている気配がするのに、それを掴むことが出来ないもどかしさを感じつつ、ジュネスはグレイの指示に従い拠点の屋敷から飛び出していった。
「ロージィ、おまえはどうする。俺たちと動くか、ロットウェルへ戻るか」
「……戻りたいのが本心です」
振り絞られた声は重く、苦渋に満ちていた。引き締められた唇の内側では、歯がきつく噛み合わさっている事だろう。
「ここに向かわされた本当の理由が見えない……」
クレイツを信用していた。だが、ファーラルの手紙を託して引き離された。それであるならば、素直にクレイツを怪しめばいいのに何故かそれを拒む気持ちもある。
「国境でファーラル議長からの返答を待っていてもいいだろうか」
「わかった。届いたら持ってきてくれ」
グレイが送った精霊は、疾風の速さでファーラルに届くだろう。そしてファーラルからの返答はマーギスタ国内には入れず、国境警備の【魔法士】が受け取る。その伝令をロージィはかって出た。
「何かが動きだしている……?」
グレイは知らず、ライナから託された黒い護り石を握りしめていたのだった。
ご訪問ありがとうございます。
時間軸、ようやく追いつきました。




