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無声の少女  作者: けい
波乱の起承転結
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国境越え

 ワムロー男爵の自宅は、中古の邸宅を買い取り改装したものだった。以前は悠然と佇む美しい邸宅だったが、ワムローの趣味に合わせて変えられた姿は、以前のものと変わってしまっていた。煌びやかで派手好きなワムローらしい、成金主義溢れるその姿に、近隣の者たちはがっかりとしたものだ。


 そんな屋敷に、すばしっこい少年が駈け込んで来たのは昼前。屋敷の主人がまだ寝ている時間だった。『貴族は昼前まで惰眠を貪るのが常識』と誰から吹き込まれたか分からない理屈を、ワムローは忠実に守り続けている。

 少年は対応に出た屋敷の雇われ執事に手紙を見せると、執事はポケットから幾らかの銅貨を握らせた。その額に不満顔を見せた少年に、再び数枚の銅貨を渡しようやくその手紙を受け取ることが出来た。

 執事は決して勤勉でなく、主人であるワムローを信用しているわけでもなかったが、給金を貰っている間はそれなりの仕事をこなそうと決めていた。その中には、このように時々訪れる少年や、時には少女や浮浪者から渡される手紙を回収することもその一つだ。

 受け取った手紙は折れていたり、汚れていたりで決して清潔なものではなかったが、ワムローはそれに頓着しないので、とりあえずその手紙を銀の盆に載せて主人の私室へ向かう。


「旦那様、手紙が届きました」

「入れ」


 慇懃な声で命じられ、執事は静かに扉を開けると室内に入った。そしてすでに起きて身支度を始めていた主人に銀の盆―――その上の手紙を差し出す。


「街の子供が届けに参りました」

「開封は」

「されておりません」


 襟元のリボンを結ぶ手を止め、ワムローは手紙を手に取ると乱暴に手で封を破ってその中身に目を通した。その間、執事は中途半端に止まってしまっているリボンを手際よく結んでいく。そして袖のカフスを留め、臙脂色のベストを用意すると、手紙を読んでいるワムローの袖を通していった。ワムローも慣れているのか、何も言わずとも腕を上げたり体を捻ってくれるため、案外服は着せやすい。


「返信不要……つまりは『やれ』ということか」


 ぼそりと呟かれた内容は、あまり穏やかなものではなかったが執事は主の独り言に聞き耳など立てるものではなく、すぐに記憶から消去しなければならない。


「わたしをいつまでも駒扱いしおって……」


 手紙を持つ手が震えている。全身から発せられる苛々としたオーラは、それだけで室内の温度を下げてしまう。支度を整えた執事は、主人から身を離し、扉近くに立つと大人しく次の指示を待つことにした。


「バーガイル伯爵に連絡しろ」

「かしこまりました。どのようにお伝えいたしますか」

「……獲物が飛び込んできたと、言えばわかる」

「では、そのように」


 執事は廊下に出て扉を閉めると、思わず両手の拳を握りしめて声無き声を上げた。慌てて周りを見渡すが、他の使用人の姿が無くてほっとする。

 何が起こっているのか分からないが、なにか面白そうなことが起こっている気配がする!謎の手紙は時々送られて来るが、ワムローがあんなに感情を表したのは初めてだった。そして注目すべきはバーガイル伯爵も絡んでいるのだという事。

 自分の知らない間に、何が起こっているのか。何が起ころうとしているのか。執事は職務遂行の気持ちとは別に、好奇心が湧き上がってくるのを抑えられなかった。


 そんな執事は、まだ年若い17歳。誰も見ていないのをいい事に、無作法にも廊下を走って駆けて行った。




 そんな若い執事からの連絡を受け取ったグレイは、その内容に不穏なものを感じ、マクルノの元から戻って来たばかりのジュネスを連れ、ワムローの邸宅に向かうことにした。ロージィは強行遠征の弊害で眠気に襲われ人相が激悪になっており、それでも寝ていられないとふらつく足取りで動き出そうとしたため、グレイが手刀で落して置いてきた。目覚めた後、どれほどの罵詈雑言を浴びせられるか……今から気が重い。


「ワムロー男爵、あの連絡はどういう事でしょう」


 広い居間に通されたグレイとジュネスは、腕を組んで難しそうな顔をしているワムローに近づいて行った。

 年若い執事は、ワムローが伝えた内容そのままに『獲物が飛び込んできたそうです』と口頭で伝えたのだ。抽象的であり、想像を掻き立てる一文である。


 実兄が裏側で暗躍している小悪党だと暴露してからというもの、ワムローはなにか動きがあれば、小さいことでも知らせてくれると約束してくれていた。ずっと特に連絡はなかったのだが、今回もたらされた連絡は放置しかねる内容だ。


「伯爵、あなたは以前……貴族の子女を狙った誘拐組織があると言っていましたね」

「ええ」

「わたしはそれを聞き、あの兄であればあり得るという可能性をお伝えした」

「はい」


 ワムローが静かに話し出した内容に、グレイは過去の会話を掘り起こす。短絡的思考を持っていると言っていた。もし事件に関わっていたとしても、主導しているのは別にいるはずだと言っていた。そして最後に、愚兄だとしても―――疑われているのであれば晴らしてやりたいと言っていた。


「……兄はやはり、件の誘拐に関わっているようです」

「!」


 その予想はしていたが、やはり直接ワムローから告げられると驚きが違う。グレイとジュネスは一瞬だけ息を詰めたが、ゆっくりと吐きだすと呼吸を整えた。


「どういう事でしょう。何をもって確信したのですか」

「これを」


 身を乗り出したグレイへ、ワムローは一枚の汚れた紙を差し出した。薄汚れた紙は決して上質なものではなく、帳面を破って書いたのだろう、乱雑なものだった。小さく折りたたまれたその紙片を開き、その内容に素早く目を通す。


「これ、は……」


 一緒に見ていたジュネスも思わず目を見開いた。その紙には書き殴りの文字が一言。


 ―――『人を運び出す。船を用意しろ』―――




◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 別々の箱に詰め込まれたライナとアンヌは、暗く狭い世界の中で息を潜めているしかなかった。下手に暴れでもすれば、どういった扱いをされるのか見当もつかなかったからだ。二人はそれぞれ身を縮め長時間の移動に耐えるしかなかった。動かせない関節は痛み、俯き続けているため首もずきずきと痛みを訴えている。

 最初の馬車から降りるとき、引きずり出された際に負った怪我が熱を帯びていた。薄く柔らかい肌から滲み出た血液は、すでに乾き始めていたが放置していたことにより、痕が残ってしまうかもしれない。アンヌはこんな状態の時でさえ、肌の状態を気にしてしまう自分が滑稽に思えた。ただ分かっている……現状を直視したくなくて、逃避しているのだと。いつどこに到着するか分からない中、アンヌは枯れない涙をはらはらと流し続けた。


 同じ時ライナは、同じく狭い箱に膝を抱えて座り込んでいた。アンヌよりも小柄ではあったが、同じように長時間体勢を変えられない事は苦痛であり、体へ負担がかかることは否めない。ライナは元々生傷が絶えない山暮らしをしていたためか、怪我についてはなんの頓着もしていなかった。ただ、美しかったドレスをボロボロにしてしまったことが申し訳なくて悲しかった。そして腕にはめられた腕輪。武骨な腕輪には特にデザインはなく、ずしりとした重さはそれだけで陰鬱にしてくる。物心ついた時から、ライナの傍には常に精霊たちがいた。意識していなくてもそこにいて、それが当たり前として暮らしてきた。その存在との交流が突然絶たれたのだ。ライナは誘拐されたことよりも、箱に詰められてどこかに運ばれている事よりも、精霊と遮断されてしまった現実に打ちのめされていたのだった。


 2人がそれぞれ悲観して数時間後、ようやく馬車は停車した。

それまで無言だった男たちの声が聞こえ始めたが、箱が明けられる気配も、運び出される気配もない。ライナとアンヌはただ黙って膝を抱え続けた。


「手形を見せろ」


 硬質な声が耳に届いた。手形……ということは、ここはロットウェルとの国境の可能性がある。ドルストーラ側なのかマーギスタ側なのか分からないが、少なくともいま近くにいるのはロットウェルの兵士に違いないだろう。

 アンヌは思い切って箱の内側から叫んでみようかと口を開けた―――が、もし気づかれなかったら。もし誘拐犯たちだけが気づいたら……アンヌは開いた口を閉じ、何が最善なのか唇を噛みしめ考えることで問題から逃げた。力ではかなわない、絶対的弱者である自分が情けなく、悔しかった。


「荷物は何だ」

「ロットウェルのワインと、うちで採れた野菜です」


 男の一人が手形を見せつつ、荷馬車に乗っている荷物の箱を次々と開けていく。もちろんライナとアンヌの箱の蓋は開かれないが。

ガチャガチャとガラスが擦れ合う音と、箱の中を漁っている音が二人の耳にも届いていた。


「ほぅ、見事なものだ」

「でしょう?今年はうちの近隣、かなりの豊作でしてね。俺たちが村の野菜をまとめて捌きにきたんですよ」


 感嘆の声に、男の一人が愛想笑いをしながら返答している。


「市場への出店許可は、役所でするんですかね」

「そうだと思うが、すまんな。俺たちは手形確認するだけだから、マーギスタのシステムはよく知らんのだ」

「いやいや、そりゃ当然でしたな。向こうに着いたら誰かに聞きますよ」

「悪いな。そうしてくれ」

「こちらこそ。それでもう行ってもよろしいので?」

「ああ、いいぞ」

「お勤めご苦労さんです」


 国境兵と男の会話はすんなりと終わり、泊まっていた馬車は再び動き出した。ガタガタと舗装されていない道に、馬車が上下に揺さぶられる。


「ちっ、あの兵士言うんじゃねぇよ」


 愛想のよかった声が一転、不機嫌な声を吐きだした。周りに第三者がいないからだろう、その声は潜められることが無かったため、箱の中のライナとアンヌにもしっかりと届いた。


「隠したところで、荷物に何が出来るはずもねぇ」

「そりゃそうだ」


 ゲラゲラと笑う声が響き、アンヌは彼らの言葉の意味を考えた。


 ―――さっきの兵士が言った、余計なこと?……あ。


 国名だ。兵士ははっきりとマーギスタという国名を挙げていた。つまり向かっている先はマーギスタ。いや、国境を越えてしまった今、すでに他国に連れて来られたのは確実だ。いくらファーラルでも、他国にまでロットウェルと同等の影響力は期待できない。それに気づき、アンヌは気持ちが落ち込んでいくのを感じていた。しかしライナは違った。ライナは兵士がマーギスタの名前を出したときから、光明を感じ取っていた。


 ―――マーギスタ。グレイとジュネスがいる国だわ。


 詳細は教えてもらえなかったが、グレイとジュネスがマーギスタに潜入しているのを知らされていた。なにか不安を感じ、グレイへ護り石を託したが……この事件と何かしらの関係があるのかと胸を抑えて思いを馳せた。



 そのまま暫く悪路を進み、ようやく馬車が完全に停止した。男たちの声が聞こえ、荷物の箱がどんどん下ろされていっているのが、伝わってくる振動でわかる。そしてついに残された箱……ライナとアンヌの箱の蓋が乱雑に開けられた。

 真上から差し込む太陽の光が、日中であることを示している。だが、固定されずっと動させずにいた間接は、すぐに動くことを拒否しているかのようだった。凝り固まった体は、思うように動かせない。


「おら、出ろ!」

「きゃっ!」


 しかし男たちは容赦がない。なかなか出てこない二人に焦れたのか、数人の男が箱を蹴り上げ、もしくは投げるように横倒しにした。その衝撃で二人の体は再び固い地面に投げ出されてしまった。


「いっ……」

「―――っ……」


 体を抱えるように痛みと衝撃に耐えていた二人へ、大きな影が接近する。ゆっくりと顔を上げれば、そこにあったのは金色の瞳……感情を感じさせない冷たい瞳だった。


いつもありがとうございます。

この投稿中に地震がありました。

九州地方の皆様大丈夫でしょうか。関西も結構長時間揺れたので心配です。

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