緊迫の建国記念日7
ロージィがクレイツに連れて行くのを見送っていたが、ミラビリスは同じく見送っていたディクターに近寄り、声をかけた。
「ディクター様、本当に甘えてしまってよろしいのでしょうか」
「もちろんですよ。あ。……あー、そういえばこの後……」
問い掛けに笑みを向けつつあっさりと返事をした後、ディクターは何かを思い出したように顔を上げた。そして顎鬚に触れつつ一人『あー』『うー』と唸りだす。
「んー、まぁいいか。わたしも一緒に行きますよ」
しかし逡巡していたのは数秒だけで、すぐに笑顔を見せた。だが、その表情に困ったような雰囲気を察知し、アンヌは思い切って聞くことにした。
「なにかご予定があったのではありませんか」
「大したことはないですよ。ちょっとした会合ですからご安心ください」
「いえ、そんな……」
曲がりなりにもロットウェル6人会議の一人であるディクターが参加する『会合』とやらが大したことない訳がない。今日は国を挙げての祝いの日で、各地に領地をもつ大貴族たちも参加しているし、招待客として名前は伏せられているが他国の使者も混ざっているのだ。もちろんそれは、公爵令嬢であるアンヌは分かっているし、伯爵夫人であるミラビリスも知っている。
「ディクター様。差し出がましい事ですが、護衛の方々だけお借りできればそれで十分です。どうかお勤めにお戻りくださいませ」
「うーん。でもロージィ君と約束したし。議長であるわたしが、嘘の約束したっていうのも対面が悪いものだよ?」
ミラビリスの言葉に、それでもディクターは了承しようとしない。アンヌは馬車の中で未だ顔色の悪いライナに視線を走らせた。
「わたくしからロージィには説明いたしますわ。ご安心くださいませ」
できれば素早く納得して、馬車を走らせたいのが心情だった。こうしている今も、元気のないライナが心配でたまらない。馬車に乗ってしまえば密室だし、あとは屋敷に帰りつくだけになるため、コルセットを緩めることも可能だと考えているからだ。
「……うーん……」
「ディクター様のお仕事はライナとわたくしを送り届けるようなことではない筈です。どうかお願いいたします」
それに第一、個人同士の約束よりもディクターには国の礎としてやらねばならない事があるはずだ。それは、貴族子女の送迎などという些末なことではないとアンヌだって分かっている。
ロージィが何の役目を持たされ、クレイツに連れて行かれたのかも気になるところだったが、ロージィは強いし自身がしっかりとした青年だ。彼はアンヌを迎えに来ると言っていたのだから、何があっても迎えに来てくれる。ならば、いま気にすべきはライナの体調であり、ディクターを宴に戻すことだろう。ディクターにはディクターにしか出来ない役割があるのだから。
「―――わかった」
渋々と言ったディクターの返答に、アンヌとミラビリスはほっと息を吐きだした。その表情を見て、思わずディクターも笑み崩れてしまう。
「いや、ありがとう。が正しいね。すぐに部下を手配するよ」
「よろしくお願いいたします」
ようやく聞けた了承の返答に、アンヌとミラビリスに続き、クレールも一緒に頭を下げた。
それからすぐ、5人ほどの屈強な男たちが集められた。兵士ではなく、ディクターが個人的に雇っている私兵という説明だった。確かに身につけているのは、ロットウェルの軍人が着用している物ではない。それでも身綺麗にしており、議長の私兵と言われれば『なるほど』と思ってしまえる。
「顔つきは悪いけれど、腕はいいらしい」
「らしい?」
「残念ながら、今のところ襲われたことが無いから、訓練しか見たことが無いんだよ」
言われれば納得だった。議長が襲われたなどとは聞いたことも無い。あれば事件になっているし、それなりに騒ぎになるのは間違いないだろう。
「バーガイル伯爵家まで送り届けたら戻って来てくれ」
「はい」
ディクターの言葉に返事をしたのは、両耳に石の飾りを付けた男だった。男でピアスをしているのは珍しい。どこかの少数部族なのかもしれない。鍛え上げられた体躯は筋肉の塊で、アンヌには恐ろしく思えた。
ロージィは細身だし、グレイもしっかりとした体つきだが、筋肉をひけらかす様なことはしないので、ここまであからさまに見たのは初めてだったのだ。
ピアスの男はそのまま踵を返すと、他の男たちに指示を出していく。それぞれ剥き出しの腕には刺青が入れられており、数多の傷跡もある。いったいどんな訓練をしているのだと聞いてみたい気もしたが、とても口に出せるものではない。
馬車の準備が終わったのだろう。促す声が聞こえた。見れば御者台に男が二人。そして残り二人は単騎に騎乗して馬車の両脇を固めていた。
乗り込もうとしたアンヌに、クレールとミラビリスが声をかける。
「ライナ様をよろしくお願いいたします」
「ええ」
「わたくしと旦那様、帰りは遅くなると思うけれど、屋敷の者たちにも伝えておいてくれるかしら」
「わかりましたわ。あ、そうだおば様。ロージィの迎えが来るまで滞在させていただいてよろしいでしょうか」
「もちろんよ!」
「ありがとうございます」
軽快な返答に、アンヌは嬉しそうに微笑んだ。そして淑女の礼を取った後、馬車に乗り込む。扉が閉められ、そしてそれを待っていたように馬車が動き出す。見送りの三人は馬車が暗闇に溶けて見えなくなるまで見送った。
「ディクター様、お心遣いありがとうございました。後ほど主人からもお礼をお伝えいたします」
「いいえ、気になさらないでください」
ミラビリスの言葉に、ディクターは微笑むとあっさりと踵を返して背を向けて歩き去っていった。その背を見送りながら、ミラビリスは気になっていたことを口にしてしまう。
「けれど、ディクター様の護衛をお借りしてもよかったのかしら」
ミラビリスは少し不安げだ。議長を守るための存在を貸し与えてくれるというのは、なんとも太っ腹なことだが、それが原因で彼に何かあっては本末転倒だと思ったからだった。
「奥様、あれを」
クレールの声に顔を上げると、歩いていたディクターが足を止めて誰かと話しているのが見えた。少しの間声をかけあうと、その者たちと共に再び歩を進め会場の中へ戻っていく。ちらりと見えた姿に、ミラビリスは目を細めた。
「あの者たちは武装していたわね?」
「はい。帯剣しておりました」
とすれば、ディクターの護衛は他にもいたという事だろう。
偶々それなりの人数を連れて来ていたディクターが、遊ばせていた私兵を貸してくれたのだとすれば、彼らも仕事が出来て喜んでいるかもしれない。
「他に護衛がいらっしゃったのね。わたくしたちも戻りましょう」
ミラビリスはそう結論付けると、クレールを連れて会場へ戻っていったのだった。
ディクターは歩きながら口元に弧を描いていた。面白くて仕方ない。
「まさかね、このタイミングで……」
くくっと笑う声は、周りにいる護衛達にも聞こえているはずだが、聞き咎めるような無粋なものはいない。
「公爵の養女とは。やってくれる」
伯爵家からの庇護を受けているというだけでも、充分価値があったというのに、これによってライナという少女の価値はうなぎ上りになったも同然。さらにアンヌという最高の餌まで用意できた。これで食いつかないはずがない。
「想定外ではあったけど、いい方向に動くかな……」
喉の奥から湧き上がる笑いはなかなか収まらない。
彼女たちの身が心配なわけではないが、傷つけられることはないだろう。まして死ぬことも無い。
「あとはロージィとグレイ。あいつらがお姫様を無事に救出できれば……」
芋ずる式に釣りあげられれば、こんなにおいしい結末はないだろう。脳内に描かれている結末の図を思い浮かべ、ディクターは笑いが止まらない。
「さあ、わたしも動き出さなくては。―――ビーディガいけるか」
「はい」
真後ろを歩いていた男―――ビーディガが素早く首肯した。背が高く、遠くからでも見間違うことのない容姿。黒髪は短く切り揃えられており、遠い異国の血が流れているのか、浅黒い肌は生まれ持ったものでこの国では珍しい。以前入隊試験を受けに来たのを、一目で気にいったディクターが直々に引き抜いて以来の付き合いだ。
そしていまディクターの周りを囲っているのは、ビーディガ以外にも二名。肌の色もその雰囲気も似通っていた。
「では諸君、狩りの準備をしよう」
ディクターの声に、ビーディガたちの目が金色に光った。
白薔薇城から伯爵邸までは、馬車で走ればそれほど時間が掛かるものではない。ぞれでも、そのわずかな時間でも和らげたいと、アンヌはライナのドレスを上半身だけ脱がせると、締め上げていたコルセットを緩めた。ほっと息をついたライナが、口を動かし『ありがとう』と告げてきた。
コルセットを取り払うことは躊躇われた為、苦しくないように調節し付け直した。それから手早くドレスを着せ直す。元々がミラビリスの若かりし頃のドレスが原型だ。今のような難解なものではなく、着脱も簡素なためアンヌだけでもそれなりに着せることができた。
そしてそのまま馬車に揺られ続け―――アンヌは異変に気が付いた。おかしい、あまりにも走りすぎている。
「もし、まだ着かないのかしら?」
アンヌは内側から御者台に向けて声を上げた。ほんの小さな隙間が空いており、そこから内部の声が聞こえるようになっているのだ。
「祭りの騒ぎで馬車が通れる道が塞がってましてね、遠回りしております」
「そうなの……わかりました」
確かに今日は建国記念ということで、中央都市全体が浮かれていた。大通りにもいつも以上に店が出ていたし、人も大勢いたのを見ている。街中でも催しがあったらしいし、道が塞がっているのは仕方ない事だと納得させた。
それに今は懸念だったライナが、コルセットを緩めたことにより顔色が良くなっていたので、そこまで深く考えないようにしたのかもしれない。
疲れからか、ライナはうとうとと座ったまま舟をこぎ出した。アンヌは馬車の中に会ったクッションを当ててやり、ライナは素直にそれにもたれ掛って目を閉じた。
だがそれから暫くし、アンヌはどうしようもない不安感に襲われることになる。
「……車輪の音が、変わった……?」
ずっと石畳を走る硬い音だったのに、途中から砂の上を走るような音に変わったのだ。ざりざりとした砂を引っ掻くような音が床を通り越した先―――車輪から聞こえてきている。
中央都市は整備された街だ。どこも舗装されており、砂を引いた道など存在しないのだ。あるとすれば、それは中央都市を出た街道になる―――
「道が違うわ!戻って!」
アンヌは御者台に向かって声を上げたが、返答はない。それどころか微かに隙間が空いていた場所はいつの間にか閉ざされており、外の空気を感じることも出来なくなっていた。
「どうなっているの……!?」
それに応える声はない。それどころか、馬車はますます速度を上げて走り出した。まるで中央都市から逃げ出そうとしているかのようにすら……そう感じてぞっと悪寒が走り抜けた。
「ライナ、ライナ。おかしいわ。わたくしたち―――攫われているかもしれない」
アンヌに揺さぶられ、ライナは目を開けた。そして顔を青くしたアンヌを見て飛び起きる。そして小窓のカーテンを開き、目を瞬いた。
「……!!?」
「ああ、やっぱり……!」
見える景色は広がる荒野だ。いや、すでに夜半の時間の為、街灯のない荒野ではただの暗闇が広がるばかりなのだ。遠くに微かな光が見えるが、とても離れておりどうにかできる距離ではない。
アンヌは思い切ってドアに手をかけ、開けてしまおうと取っ手を回すがびくともしない。何度かガチャガチャと動かしてみたが、外側から鍵が掛けられているのか、開く気配は皆無で、成果は得られなかった。
アンヌの緊張が伝わったのだろう、ライナが顔を上げて目を合わせてきた。
「ライナ、精霊でこの馬車を調べられないかしら」
小声で告げられた提案に、ライナは深く頷くと自分の周りに呑気に浮かんでいる精霊に、外の様子を見てきてもらうことにした。手元に精霊の好きなハーブは無かったが、彼らはライナの願いであれば特に対価を要求することも無く受けてくれるのだ。
ほんのわずかでも隙間があれば、彼らはどこでも移動できる。そう、ほんのわずかな隙間があれば、だ。
「?!」
馬車内にいる精霊たちは、外へ繋がる隙間を探してくるくると回りだす。だが、回り続けているだけで一向に外へ出て行こうとしない。精霊たちも困ったようにライナに寄って来るばかりだ。
つまり隙間が無い。いつの間にか二人は、堅牢な檻に入れられている囚人になっていたのだった。
声で状況を説明できないライナは、見守っていたアンヌへ悲しげに首を振るしか出来なかった。
身を寄せ合い恐怖に震えるしか出来なかった2人。
時間感覚もなくなり、いったいどれほど馬車が走ったかわからない。小窓から外を見ても、荒野は暗闇に塗り潰されており、視界にはなにも目印になるようなものは映らなかった。
馬車は今まで一度も止まっていない。つまり途中で御者が変わっていないということ。ディクターの用意した私兵が起こしたのは間違いないだろう。だが、それがディクターの意思なのか、私兵たちのなんらかの計画なのか、アンヌにもライナにも何一つわからないまま馬車は走り続けていった。
緊迫〜はこれで終わります。
次回からグレイへ移ります。
章もいっそ新しくしようかな




