緊迫の建国記念日6
ロージィが姿を消してすぐ、大きな影が近寄って来た。驚いたアンヌは顔を上げ、その人物の顔を確認する。そして、その意外な人物の姿に慌てたように姿勢を正した。といっても、ライナを支えたままだったので、座ったままの姿勢ではあったのだが。
「クレイツ様」
「失礼アンヌ嬢。ロージィを知りませんか」
6人会議の一員であり、今はなぜかロージィへ剣の師事を行っている元近衛隊隊長だ。60歳を超えたというのに、その筋力と迫力に衰えは感じられず、現役を退いた今でも信奉者が多くいる。
「大事な話をしていたというのに、まったく……」
大きな体から吐き出されたため息も特大だ。
「あの、申し訳ございません。ロージィは使いに出てもらっております」
アンヌは隣で相変わらず顔色の悪いライナを気遣いながら説明した。その様子に気づいたクレイツは、身を屈めてライナの様子を覗き込む。
「これはいかん」
誰が見てもライナの顔色が良くないのは間違いなさそうだ。
「ロージィにはミラビリス様か、わたしくの両親を探すよう伝えております。大事な話の途中だったのに、お邪魔してしまったようで申し訳ございません。どうかロージィを叱らないでやってくださいませ」
おそらくロージィはクレイツと話している間も、大事なアンヌを注視していたのだろう。しかし、少し目を離した隙にアンヌはその姿を消した。なにしろライナを連れてホールの端に移動し、ソファーに腰を下ろしていたのだから。その為、参加者たちが壁となって二人の姿は隠され、必然的にロージィの視界からも消えた。慌てたロージィは話を中断させてアンヌを探していた―――ロージィの性格を考えれば、容易に想像がつく。
「叱ったりはしませんよ、ご安心ください」
「ありがとうございます」
クレイツの言葉に、アンヌは若干表情を緩めて安堵の息を吐いた。
「アンヌ、ライナ」
呼びかけられ、顔を上げるとミラビリスが小走りで駆けてきたところだった。後ろからロージィも付いて来ている。リグリアセット公爵夫妻の姿は見えない。
駆けてきたミラビリスは、すぐ傍にクレイツがいる事にも驚いたようだったが、軽く目礼するだけに留め、ライナに近寄っていった。
「ライナ顔色が悪いわ。どうしたの」
ミラビリスは躊躇うことなく床に膝をつき、座り込んで身動きのないライナの表情を伺った。そして、その覇気のなさに驚いたように顔を上げた。常々、特に大病もなく元気に過ごしているライナを見てきただけに、真逆な状態に慌てているのだろう。
「すぐに連れ帰りましょう」
即断したミラビリスは、すぐ後ろにいたロージィに顔を向けた。
「他家の執事にお願いするの心苦しいのだけれど、馬車の手配をお願いできるかしら」
「ライナ様はすでにリグリアセット公爵令嬢でございます。わたくしの仕える方に違いはありません」
「ああ、そうだったわね」
本日養女を発表されたことを完全に失念していたミラビリスは、少しばつの悪そう口籠るにとどめた。その様子を見ていたアンヌは無礼を承知で提案することにした。
「こちらで空き部屋をお借りするのはどうでしょう?」
「そうね……けれど、ここでは緊張は解けないと思うの。慣れた場所に―――伯爵家に帰ったほうがいいと思うわ」
「そうですわね。えぇ、それがいいと思いますわ」
アンヌの了承の返事に、ミラビリスはほっと息をついた。ライナは籍だけとはいえ、すでにリグリアセット公爵家の娘だ。伯爵家に連れ帰るという提案に、アンヌがどう反応するか少し心配だったのだろう。
「ライナのお家は伯爵家ですから」
「ありがとう、アンヌ」
ほっとした顔をしたミラビリスを見れば、ライナを自分の懐の中にいれてしまっている様子がありありとわかった。
アンヌは胸の奥が小さく痛むのを感じた。
以前までは自分がミラビリスの内側に入り込みたく、そうなるために過ごしてきたのだ。少し寂しいような悲しいような気持ちが胸の中に湧き上がるのは否めない。けれど、自分もまたいつの間にかライナを受け入れていた。心のどこかで望みが無いと感じていたグレイを諦める決心をつけさせてくれたライナを、恨むよりも大切にしたいと思うようになっていたのだ。
「外は肌寒いかしら」
ミラビリスは自分の肩に掛けてあったショールを取り外すと、それでライナを包み込んだ。ふんわりとした温もりに気付いたライナがゆっくりと顔を上げ、目の前のミラビリスに小さく微笑みを向けた。唇をゆっくりと動かせ『ありがとう』と紡ぐ。
「ロージィ馬車の手配をお願い」
「はい」
アンヌにも命じられ、ロージィは文字通りすっ飛んで行った。その後姿を見送りながら、アンヌはその場で留まりつづけているクレイツに視線を向ける。
「あの……クレイツ様?」
「心配なので、見送るまで付き合いましょう。それにロージィに用も残っておりますからな」
どうやら彼の用事はあくまでロージィらしかった。しかし、ライナの状態を知ってしまった以上、ロージィを引き抜いてまで自分の用件に付き合わせることは出来なかったようだ。
暫くするとクレールが現れた。聞けば、通りすがりにロージィが端的にライナの状態を話し、ファヴォリーニに様子を見てくるようにと命じられたらしい。
「お加減はいかがなのでしょう」
クレールは元気のないライナの姿に、ただ心配そうに顔を曇らせている。
「顔色は悪いのだけど、病ではないようよ。このまま屋敷に帰ります。旦那様にもそうお伝えしておいて」
「奥様もお帰りになるのですか!?」
「ええ、そのつもりです」
あっさりと返答をしたミラビリスに、クレールはとんでもないと首を振った。
「奥様、本日はこれからお会いして頂かなければならない方がいらっしゃいます」
「旦那様がいれば、事足りるでしょう」
「いいえいいえ。本日お二人ともが夜会に出られると聞き及び、遠方からのご出席の方もおられます。それにご領地の管理を任されているヨーグ氏も後ほど来られます」
「ああそういえばそう言っていたわね……」
バーガイル伯爵家の領地は広大で、その一部の管理を任せている人物がヨーグという人物だ。普段は書面のやり取りしかない。ファヴォリーニは足の不自由を理由に、グレイは軍籍を理由に視察なども特にせず、任せっぱなしにしている。それもこれも、夫妻が引きこもりになっていた結果なのだが、ヨーグはそれでもよく領地を管理してくれていた。今回夫妻が夜会に出席すると知り、慌てて中央都市に上京することにしたらしい。到着は夜半になるが、久しぶりに直接話をしたいと言われ、ファヴォリーニもミラビリスも今まで放任していた謝罪も含め、きちんと話をしたいと取り決めていたのだった。
さすがにこの約束は反故にできない。
「ミラビリス様、わたくしが一緒に行きますわ。ご安心ください」
「アンヌ……」
力強いアンヌの言葉に、ミラビリスの決心がぐらぐらと揺らぐ。ライナは心配だ。しかし領地管理について疎かにしてきた謝罪は必須。それは伯爵家の妻として同席しないという選択肢はあってはならない。道理を重んじるのであれば尚更。
「馬車の準備が出来ました。ここから一番近い出口の正面に待たせています」
葛藤の途中でロージィが戻って来た。そしてそのまま指示を待つ。
「ありがとうロージィ。ライナ、立てる?」
「……」
なんとか立ち上がったライナの腕を取ると、ミラビリスは腰を支えて歩き出した。先導するロージィに続いてゆっくりと歩いていく。こういった場で執事が女性に触れる事が出来るはずもなく、クレールは心配そうな顔のまま付いていく事しかできない。そして何故か、クレイツも最後尾をついてきた。
ぞろぞろと連れ立って会場から出て行こうとする一行を、招待客たちは不思議そうに―――好奇心をもって眺めていたが、クレイツがその方向に鋭く視線を投げると、慌てて顔を背けるものばかりだった。
馬車に到着し、なんとかライナを乗せ終えると、ミラビリスはアンヌの手を取った。
「アンヌ、申し訳ないけれど頼まれてくれるかしら。本当にごめんなさい」
「謝らないでくださいな。全然負担ではないから気になさらないで」
「ミラビリス様、わたしくも付いております。必ず送り届けますのでご安心ください」
アンヌの言葉に続くように、ロージィも深く頷くながら声を出した。アンヌが会場を後にするのであれば、当然ロージィもついて行く。これは必然である。
だが、その必然を止めた人物がいた。
「おい、おまえまさかお嬢様方についていくつもりじゃないだろうな」
最後尾をついて来ていたクレイツだ。その顔は驚いたような、困ったような顔で一言では表現しきれない。
「なに当たり前のことを仰っているんですか、クレイツ様」
「反論の躊躇も無しか、こいつ……」
「アンヌ様が向かわれる場所がわたくしの方向です」
きっぱりと断言したロージィは、その場で背を向けると御者台に乗り込もうと足をかけ―――クレイツに腕を掴まれて止められた。
「お役目言っただろうが。すぐに向かえ」
「イヤです」
「拒否権はない」
「いやです」
「だから―――」
「ありえません絶対イヤですわたくしの主軸はアンヌさまです」
何がどうなっているのかと、ぽかんと見ていたアンヌとミラビリスは思わず顔を見合わせた。
どうやらアンヌとライナを見失うまで、ロージィとクレイツは何らかの仕事の話をしていたようだ。だが、ライナの体調不良のため話は止まったままだったのだろう。
「……ロージィ、わたくしたちだったら他に従者をつけてもらう事も出来るし大丈夫よ?」
「アンヌ様までなにを仰るんですか」
「なにか大切なお役目なのでしょう?」
「何が大切かを決めるのはわたくしです。わたくしの大切はアンヌ様です」
恐ろしいほどきっばりと言い切ったその姿は、とても凛々しく信頼を寄せるには充分なものだった。ここでアンヌが自分を優先しろと言えば、ロージィは間違いなくアンヌを選ぶだろう。後でクレイツに叱責することになったとしても、ロージィが役目を果たせなく何事かが発生したとしても、決して彼は後悔など見せないと断言できる。
だが……。
「ありがとう。けれど、クレイツ様直々のお役目だというのであれば、わたくしはそれも大切にしてほしいと思うわ」
「……アンヌ様」
アンヌはそれを選ばなかった。以前のままであれば、自分を優先しろと命
じていただろう。しかし、今はもうそんな身勝手を選ぶことは出来なかった。
「ロージィにしか出来ないと判断されたから託されたのでしょう、クレイツ様?」
「まぁ、そういうことです」
「それであるならば、なおさら……ね?」
「……アンヌ様、しかし―――」
「わたくしは大丈夫よ。ロージィが戻ってくるまで伯爵家で大人しくしているわ。一人でお屋敷に帰ったりしないと約束するから。どうかしら?」
「……」
馬車の中から、顔色の悪いライナがやり取りを聞いている。一人で帰れると伝えたいところだが、それはミラビリスが受け入れないだろう。ロージィは護衛としても優秀であるため、一緒に帰宅してくれるのであれば、これほど心強い事はない。
「アンヌ様―――」
「なにしてるんだい、君たち」
口ごもって返答を躊躇っていたロージィが口を開いたのと、第三者の言葉が重なった。突然の割り込みに、その場にいた全員がその方向に顔を向け、ロージィは護身用の短剣を構えアンヌとミラビリスを守るように身を乗り出した。
「おっと、怖いなロージィ」
「ディクター議長」
現れたのは6人会議の一人。切れ長の目と肩までの黒髪を持つ細身の男。最近は顎髭を作り、精悍さを増した容貌になって来た。未だ妻帯者ではないのをいい事に、まだ多くの女性との恋を謳歌している―――らしい。
ディクターの姿にクレイツも緊張を和らげたのか、一瞬で張りつめた空気が霧散した。
「ちょっとな、急ぎロージィにやってほしいことがあるんだが……こちらのお嬢様方について帰ると聞かないので説得中だ」
「なるほど」
そう言いつつ、ぐるりと視線を向けてきた。状況を見ているしかないクレール。困ったように見えないクレイツ。こちらは困ったように立ち尽くすミラビリス。同じく困惑顔のアンヌ。馬車の中には顔色の悪いライナ。そしてそれを守るように、いまだ位置を変えないロージィ。
「ふむふむ……よし!」
「?」
突然声を上げたディクターに、その場にいたロージを除く全員が不思議そうに首をひねった。
「わたしが代わって送り届けようじゃないか」
「ディクター議長が、自らですか……?そ、そんな畏れ多いですわ」
驚いたミラビリスが首を振りつつ遠慮を見せた。飄々としている男ではあるが、これでも6人会議の一員だ。それはこの国を左右する権限を持つ一員という事。そんな人物に少女の送迎を依頼するなどできるはずもない。
「気にしなくていい。それにわたしは私兵も連れているし、安心だろう?どうだい、ロージィ君」
笑いながら気楽に接してくる。本来であれば緊張を強いられるはずなのだが、先に会っていたクレイツも気さくな人柄だったからだろうか、ディクターに対してもつい緊張感をほどいてしまいそうになる。
だが、ロージィは誰に対しても態度は変わらない。グレイには毒舌を吐いていたが、それはとても稀なことなのだ。
「……」
「わたしの私兵が優秀なのは、君も知っているだろう」
「……存じています、が」
クレイツと行った『実習』と名のしごきの訓練の合間に、なぜかディクターの部下たちとの手合わせもさせられていたロージィは、彼らの実力は身をもって知っていた。だからこそ、一笑して断ってしまえないのだ。
「……必ず、必ずバーガイル伯爵家へ無事お届けくださいますか」
「もちろんだとも」
ロージィの声には気迫が込められており、一言一言がとても重い。だが、ディクターはそれを笑いながら受け流した。こういう人物だと分かっていても内心苛立ってしまうことは許してもらうしかない。
「ミラビリス様、ライナ様をディクター様にお預けしてよろしいでしょうか」
「その、部下の方々の実力をロージィは信用しているのでしょう?そうであるのならば、武に疎いわたくしが口を挟むことではないわ。判断はお任せします」
「ありがとうございます」
ミラビリスに一礼をしたロージィは、そのまま微笑むアンヌに向き直った。
「アンヌ様、笑っておられるのですか……?」
「ふふ、ごめんなさい。ロージィの変化が嬉しいのよ」
「え?」
「いいの、気にしないで」
アンヌはロージィが他人を認めようとし始めたことが嬉しかった。今まではアンヌを中心として、アンヌが信じた人物しか信じようとしなかったロージィが、アンヌとは面識のない人物を信用したのだ。これを進歩と言わずしてなんというのか。
「アンヌ様。必ずですよ、絶対に一人で行動しないでください」
「わかったわ、約束する」
にっこりと微笑み言われ、ロージィは慌てて顔を伏せた。自然と顔が熱くなるのは、慣れない事に興奮してしまったせいだと言い訳を並べて。
「―――……では、ディクター議長よろしくお願いいたします」
「任せたまえ」
「よし、話はまとまったな。来いロージィ」
後ろで控えていたクレイツは、ずんずんと近寄ってくると、ロージィの腕を取った。そして引っ張るように連れて行こうと引きずり出す。ロージィは思わず伏せていた顔を上げ、アンヌを見てしまう。
「いってらっしゃい」
小さく手を振って見送るアンヌ。淡い光がピンクゴールドの髪に反射し、アンヌ自身を包み込むようだった。神々しいばかりの姿に、知らず目を眇めてしまう。
「行って参ります、アンヌ様」
小さな声はアンヌに届いただろうか。
やーーーっとディクターが接触しました。




