貴女のために
慌ただしく戻って来たロージィは、血で汚れた上着を脱ぎ棄てると、用意してあったいつもの執事服に袖を通した。自身に怪我はなく、すべて返り血のため手当などは必要ない。だが、それでもいらぬ時間が掛かってしまうことが内心の苛つきを増幅させていた。
黒い服を身に着けていた為、一目見ただけでは誰も返り血が付いている事も気が付かないだろう。それでも血なまぐさい状態で、親愛なるアンヌ・リグリアセット公爵令嬢を迎えに上がるなど出来るはずもない。
濡れタオルで顔や手なども拭き、白いタオルが赤く染まらないことを確認すると、ロージィは帯剣も部屋に置き去りにし、その部屋―――兵舎の一室から退室した。
夕日はすでに沈みかかっており、予定していた時刻を過ぎてしまっている事が窺い知れる。思わず小さく舌打ちをして歩く速度を速めた時、前方に人影が見えた。
「順調だね、ロージィ」
ひらひらと手を振って笑顔を向けてくるのは、ロージィにとって諸悪の根源と呼んでも差し支えないだろう人物だ。
「大迷惑ですファーラル議長」
「ご挨拶だね。まぁいいさ。君の活躍のお蔭で、住宅街エリアの治安は劇的に回復し始めている。感謝してもし足りないよ、ありがとう」
まったく歩く速度を落とさないままのロージィに並び、笑顔のまま話しかけてくる。この国の中で一番多忙だと言われている人物だが、こういう事に割く時間はうまく捻出してくるのだ。
「……貴方からの感謝の言葉は、限りなく嘘くさいです」
「大概、失礼だねぇ君も」
「それにわたしは、貴方の為でも国の為でも、ましてそこに住む住民の為に動いているわけでは無いのですから、感謝される謂われはありません」
そう。ロージィがあえてアンヌと離れてまでこんな物騒なことを繰り返している理由は、廃れて久しい義務感や正義感などではない。
「わたしはただ、アンヌ様に危害が及ぶ可能性があると言われたため、その可能性をゼロにするがために動いています。まさに私欲です。こちらこそ、軍の関係者でもないのに兵舎の一室を着替えなどで使わせて頂いているのですから、感謝しなければなりません」
「理由はどうあれ、結果的に国民のためになっている。感謝は不要と金品は受け取り拒否されたからね、せめてもの礼だよ。でも今からでも必要があれば用意させるよ?」
「金品など不要です。それが元で万一にもアンヌ様にわたしの所業が知られてしまえば……きっと怖がらせてしまうでしょう……」
「……」
ファーラルはあえて無言で通した。花祭りでライナが見知らぬ男に連れ去られようとしていた時の対応といい、精霊の暴走を目の当たりにしてもパニックにならない事といい、血腥いといわれる軍人の妻になろうとしていた事といい……いまさら従僕が返り血を付けて戻って来ても大騒ぎするタイプではないと思ったのだが、賢明にも閉じられた口は開かず心の声は外部に漏れだすことはなかった。
「ところで議長、わたしに何か用事があったのでは?急いでおりますので手短にお願いいたします」
歩行速度に緩みはない。白薔薇城自体の就業時間が終わっているためか、通路を歩く人影はまばらで、こちらに注視している人物もいないようだ。
「ああ、君が捕らえてくれた奴らを吐かせなくちゃいけないし、書類作成も加わるしでクレイツ議長は顔を出してられないみたいだから、わたしが代わりにこれを持ってきたんだよ」
そう言い、目的のものを上着のポケットから取り出す為、ファーラルはそこでようやく歩行を止めた。釣られるように渋々とロージィも足を止め、差し出されたものを恨めしげに眺める。
「……また、ですか」
「そう。また、なんだよ」
まったく悪びれた様子もなく、ファーラルがロージィに手渡したのは一枚の封筒。クレイツが使用している、二本の剣が交わっている封緘が押されていた。これを見れば間違いなくクレイツからのものだとわかる。
「中身はたぶん、いつものやつだよ。君にこんなことをお願いし続けることを許してくれ。それだけわたしもクレイツも期待しているということだ―――君の強さにね」
ファーラルがクレイツを経由してロージィに依頼したのは、10番街から15番街の住宅エリアの『掃除』だった。
以前、この地区に奴隷市場があると判断したファーラルだったが、なかなか身動きが取れずにいたのだ。相変わらず先手を打たれて精霊結界が張られているためだ。人海戦術で虱潰しに……といいたいところだったが、何しろ住宅地域であったがため、大規模な捜索も軍隊投入も憚れた。警らなどの強化はもちろん実施されていたが、それでも場所特定にも至らなかった。そうこうしている間にも、悪い噂がどこからか流れ、住宅地区だというのに、それを隠れ蓑にするかのように破落戸が溜りはじめた。まるで国vs破落戸たちの鼬ごっこが始まり―――ファーラルが決断したのだ。
『住宅地区のバカども、潰そうか』
言葉とは裏腹な満面の笑みは、とても爽やかなものだったが、とんでもなく黒かったらしい。
『しかし、軍を投入するとしても小回りの利く奴らに先に逃げられます』
『小回り……機動性……』
投げかけられたエガッティの言葉に、頷きつつ考え込むファーラル。
『それに根本から叩かなければ、また別の場所で同じことが起きるぞ』
『根本的に解決……』
クレイツの意見にも同じように思考を巡らせる。
『大規模な軍勢で取り囲んでしまえば、逃げ出される可能性も低いだろうが―――その分一般住民へのリスクも計り知れないのぅ』
『リスクを減らす……』
アジレクトの言うことは尤もな発言だ。
『ロットウェル最大の住宅エリアでそのようなことが起これば、諸外国へのイメージダウンも考えられます』
『イメージダウン回避……』
会議に参加しているメンバーと最後にはガーネットにまで次々と意見を出されたファーラルだったが、それを頭の中でこね合わせ、まとめ上げるとパッと顔を上げて一同を見渡した。
『軍は使わない。機動性を重視する。この二点を実行すれば、住民へのリスクは極力減らせる。その結果、他へのイメージダウンとやらも抑えられる』
『なにかいい案が?』
『治安悪化に心を痛め、義憤に駆られる青年に頑張ってもらおうと思う』
それは一体誰の事ですか。と聞きたいような聞きたくないような気持ちを共有していたが、そんな空気はファーラルには関係が無い。
『貴族子女誘拐犯の狙いは、きっと麗しの公爵令嬢だろう。ああ、きっとそうだ。そうに違いない。それしか考えられない。クレイツ議長、ロージィにくれぐれも気を付ける様にと伝えて下さい。人手が足りなくて、住宅地区の一斉捜索は出来ないけれど、くれぐれもバカなことを考えないようにと。ガーネットも、万が一城内でロージィに会っても危機感が低いようだとか、治安が悪化してるとか、きな臭い噂が絶えないとか、そんなこと言っちゃダメだからな』
『……』
『他の皆さんも、くれぐれもお願いしますね』
ファーラルは使えるものは何でも使う。
それが同僚であろうと、部下であろうと、関わりのない公爵家の執事であろうと。そうして今回、再びクレイツ名義で渡されたファーラルからの指令には、13番街の破落戸情報がたっぷりと記載されていたのだった。
小さいものから大きなものまで。まだ芽吹いてもいない、ささやかな出来事も脚色を加えて大きく書かれていることを真面目なロージィは気づいてもいなかった。
ロージィがバーガイル伯爵家の玄関に辿り着いた時、すでに周りは暗闇に包まれていた。30分で戻るという連絡があったというのに、結局ファーラル自身に捕まってしまいさらに15分ほどのオーバーだった。
「遅くなり、申し訳ございませんでした」
「ご苦労様、ロージィ」
けれど出迎えたアンヌは、頭を下げているロージィの肩に触れ、顔を上げさせると目を見て労わった。びっくりして、思わずロージィの動きが止まる。
つんと澄まして命令する事が多く、しおらしくするのはグレイに関する時だけだったアンヌ。時には高慢だと言われるほどの振る舞いを繰り返した。けれどアンヌは変わったのだ―――そう、思わざる得ない変化を如実に感じ取った。
「疲れたでしょう?ミラビリス様がロージィの夕食を用意してくださっているの。わたくしたちは先に頂いてしまったけれど、せっかくだから戴いてちょうだい?」
「アンヌ様……はい、ご馳走になります……」
楽しげに声を上げるその姿は、生き生きとしており乙女らしい優しさと活発さが感じられた。長い付き合いとはいえ、一介の従僕に過ぎないロージィに対しても労りに溢れ、オレンジ色の瞳は煌めかんばかりだ。
「どうしたの、ロージィ?」
「なんでも、ございません」
眩しげに自分を見つめている執事に、アンヌは小首を傾げた。そんな行動一つ一つが今までになかった事で、殻を脱ぎ去り羽ばたこうとしている雛のように感じる。
「あ、わかったわ!公爵邸には夕食はいらないと使いを出してあるから大丈夫よ。これが心配だったのでしょう?」
くすくすと笑う仕草も声も、すべてが胸を熱くさせる。
「―――そうなのです。けれど心配は無用でしたね」
楽しそうなアンヌに釣られるように、ロージィの表情も柔らかく変化する。いつも研ぎ澄まされたナイフのような雰囲気を持つというのに、いまはその鋭利さはない。
「差し支えなければ、今日何をされていたのかお教え下さいますか」
「えぇ、わかったわ。さぁ食堂に行きましょう」
くるりと背を向けて歩き出したアンヌの後を追い、ロージィは小さく息を吐きだした。胸の奥に溜った熱を放出する様に……。
ロージィが主役でした。
もう暫くロットウェルが続きます。
余談↓
拍手SSと呼べないようなものを上げてます。
短いし、全然本編関係ないですが、気になる方はどうぞー
次はもうちょっと真面目な文を書きます…。せめて閑話休題レベル…。
2月5日追記
SS変更しました。前回のよりよほどSSです。。。たぶん。




