あと1か月
アンヌの訴えに、ライナは答えを持ち合わせてはいなかった。なんと答えればいいのか、そもそも正解などあるはずもない。第一、ライナにとってグレイという存在は(スキンシップは過度ではあると認めよう)兄のようなものであり、それ以上のものではなかったのだから。
実兄であるアロイスも、生きていれば18歳になっていただろう。そのアロイスよりさらに5つも年上の男性を、異性として認識することは心身ともにまだ幼いライナには難しいことだった。
「……すぐに明確な答えがほしい訳じゃないの。その答えも、わたくしに言わなければならない事じゃないわ。ただ、心のどこかに留め置いてくれれば―――今はそれで……それでいいの。さぁ客間にいきましょう」
アンヌは少し寂しげに言葉をこぼしたが、最後はわざと作った明るい声を出しライナを誘った。くるりと背を向け歩きだしたアンヌを追いつつ、その華奢な背中に視線を向ける。それはとても小さく見え、少しだけライナの胸が痛んだ。
客間に到着したころには、室内は色の洪水のような有様だった。そこにいたのは小奇麗な仕立屋と針子たち。隣にいるのは仕立屋と懇意にしているのだろう、商人のようだ。
所せましと仕立屋が広げた様々な生地。輝く美しいドレスとそれを彩る宝飾たち。職人の細かい緻密さが光る装飾。鮮やかなリボン、金や宝石で縁取るボタン、細かな意匠で繊細に編み上げられたレース。ドレスに合わせた帽子や靴。柄の部分に細かな彫り物がされたパラソル。柔らかい革を使い軽量にも試みた愛らしい鞄。その他にも女性用の乗馬服なども並んでいた。
「わぁ素敵だわ」
「早かったのね。アンヌ、ライナ」
室内に入った途端、アンヌの口から感嘆の溜息がもれた。今までも公爵令嬢として数々の絢爛豪華なものは目にして来ていたが、いま室内を埋め尽くすのは現在ロットウェルで最新とされているデザインばかりだった。
いつの世も女の子の憧れに違いはない。
「もうすぐ建国記念パーティがありますからね、二人ともしっかり選びなさい」
「おばさま、今年は参加されるのですか?」
ミラビリスの言葉にライナは首をひねり、アンヌは少し驚いたような声を上げた。なにしろミラビリスはこの数年ずっと表舞台から遠ざかっており、毎年白薔薇城で開かれる建国記念パーティにも不参加を決め込んでいたのだ。ファヴォリーニも足の不自由さゆえ、あまり進んで参加しようともしなかったため、毎年グレイが警備任務を抜け出し、伯爵家の代表として顔出しをしていたのだった。その隣に並び立ちたいと、アンヌは毎年パーティに参加していたが、お膳立てをしてくれる存在がなかったためグレイに近寄ることも難しく、親密になることも無かった。
不参加のミラビリスを頼ることは出来なかったし、田舎の領地から出てこない社交嫌いの両親は言わずもがな。アンヌには頼れる味方はロージィだけだったが、それでも彼一人では何事も限界があり、何度悔しい思いをしたことか。
だが、そのパーティにミラビリスが参加をすると言う。ここ最近めっきり明るくなり、その美しさを甦らせたミラビリスであれば、きっと会場にいる男性陣からの熱い視線を集める事だろう。
「そうなの。今年は久しぶりに参加してみることにしたのよ。開催まであと……あら?」
「一ヶ月ほどでございます」
言い淀んだミラビリスに、横からリリーが素早く言葉を繋ぐ。それに満足げな笑みを返すと、ミラビリスは再び口を開いた。
「あと一ヶ月ですからね。二人とも、しっかりドレスを選びなさい」
その言葉に色めき立ったのは、若い娘たちではなく商人。そして仕立屋と連れて来ていた針子たちだった。
乗り気なミラビリスとアンヌ。そして一緒に意見を言い合うニーナとリリー。売り込みの言葉を途切れさせない商人と、要望に応えその場でドレスに様々なアレンジを加えていく針子たち。入れ代わり立ち代わり、屋敷のメイドたちがドレスや小物を客間に運び入れてくる。先程までミラビリスの私室で広げていたものを、結局客間で吟味することになった為だった。
そんな中、ライナは自分の場違いさ加減に居場所を失っていた。ドレスも小物も宝飾品も、ライナには不相応に思え身動きが出来ないでいたのだ。だが、ミラビリスたちはそんなライナの戸惑いに気付かないまま、準備だけは着々と進められていく。
「そういえばアンヌ」
「はい、おばさま」
「今日はロージィ、何時頃に迎えに来るの?夕食は一緒できるのかしら?」
そう言われて窓の外を見れば、そろそろ夕暮れ近くになっていた。かなりの大人数であれだけ騒いで騒いでいた時間の経過は、予想以上に早かったらしい。夕暮れの景色を見て、アンヌも初めて時間に気付いたのか、少し驚いた顔をしていた。
「わたくしをこちらに送り届けてから、すぐに白薔薇城に向かうと言っていたのですが……なにかあったのでしょうか」
「ロージィのことですから、上手く立ち回っていると思いますけどね……アンヌ専属の執事だというのに、ファーラル様もなにを考えておいでなのかしら」
そう呟いたミラビリスの瞳の奥に、胡乱気な光が灯った。つい先ほどまで、ドレスや宝石わライナに合わせて楽しんでいたとは思えない迫力だ。その雰囲気に気圧される様に、思わず騒いでいた口を縫い止めてしまう。
「リリー」
「はい、奥様」
「クレールに頼んで白薔薇城へ早馬を。ロージィを返してくれるようにお願いしてちょうだい」
「かしこまりました」
伝言を受け取ったリリーは小走りで客間から出て行った。そして後姿を見送ると、その整った顔に再び笑みを浮かべて部屋を見渡すと声を上げた。
「さぁアンヌとライナのドレスデザインを、決めてしまいましょう」
その一言が合図だったかのように、室内に再び活気が戻った。着せ替えでクタクタになっているライナと、率先して新作ドレスに袖を通しているアンヌを眺めつつ―――ミラビリスは6人会議の議長たちが、ロージィを利用し何を企んでいるのか……考えずにはいられなかった。
その頃ロージィは、ロットウェル中央都市にある住宅街エリアにいた。10番街から15番街という広大な範囲である。夕刻迫る時間だが、そこかしこから楽しげな家族の笑い声が聞こえてくる。腕を組んで歩く夫婦。子供を抱きかかえ歩く家族連れ。犬を散歩させている親子。
そんな中を、全身を黒で纏めた服装で速度を落とすことなく歩いていく。細身の体に沿うような服だが、どこか物々しさを感じることがあるとすれば、それは腰に下げられた帯剣のせいだろう。
ロットウェル国内で帯剣が赦されているのは軍人だけである。だがもちろんロージィは軍籍ではなく、記録上はただの一般人でしかない。だというのに、帯剣許可証をあっさりと取得させてしまったのは―――クレイツだ。6人会議の一員であり、近衛隊隊長を務めあげた伝説の剣豪直々の申請とあれば、了承しないわけにはいかなかったのだろう。もちろん、ファーラルの後押しも含まれての結果だということは確実だ。
「さてこの辺りか……」
11番街の外れにある古い建物の前に立ち、ロージィは重いため息を吐きだした。人気の少ないこの地区は、裕福ではない人々が寄り集まって暮らしている場所が存在する。いまロージィが立っている場所も同様だ。いまも身なりの整った見知らぬ男に対し、四方から視線が集まっているのを感じていた。
「面倒なことだ……だが、すべてお嬢様のため」
するりと抜いた銀の刃を一振りし、ロージィは薄暗い建物に足を踏み入れたのだった。
届けられた手紙を片手に、ガーネットが執務室に入って来た。目の前にある山積み書類の向こう側に、彼女の主は埋もれている。
「ファーラル様、バーガイル伯爵家より早馬です」
「なんて?」
書類の山が答えた。それに頓着せず、ガーネットはあっさりと伯爵家の封緘を無視して開けた。ファーラルが内容を聞くのであれば、ガーネットは戸惑うことなくそれを開封するのみだ。
「―――要約すればロージィを返せ。ということです」
「えー無理」
「けれど確かに、少々働かせすぎかもしれませんよ」
働かせているというか、利用しているというか。都合よく動かして自分たちが楽しているというか。言い方はいろいろある。ガーネットも呵責を感じていないわけでは無い。
「彼には頑張ってもらわなくちゃ。あと1か月しかないし」
だがファーラルの言葉は容赦がなかった。顎で使って使い潰す勢いである。しかし時間が無いのも確かな事実だ。ここで妥協をして、今までの苦労が水泡に帰すのはよろしくない。
「それは……確かに。しかし、使者にはなんと伝えましょうか」
「どっちにしてもここには居ないからなぁ」
のんびりとした返答にガーネットもどうしたものかと悩んでいたが、ふと顔を上げるといつの間にか目の前にファーラルがいた。毎日見ている王子様然とした美形だが、その瞳が楽しげに歪んでいるのを知っている。
「今日中には返すから、ごめんって言っといて」
「それで納得して下さればいいのですが」
「納得するしかないよ。わたしがそう言っているのだから」
にこりと笑いつつ、ファーラルは自分の人差指で自分を指し示した。
ファーラル議長がそう言ったのであれば、それはすべてその通りに物事は進むのだ。ガーネットはそう信じ疑ったことなどない。
「わかりました。使者にはそうお伝え―――もがっ」
「待った」
ファーラルの伸びてきた掌が、ガーネットの言葉を強制的に停止させた。今までなかったスキンシップに顔が熱くなるのを止められないガーネットだったが、それをしている当の本人は気にした様子もなく遠くに視線を投げ集中していた。
「……伝言変更。あと30分もすれば伯爵邸に着く」
ゆっくりとガーネットの口元から手を離し、ファーラルは満足気な顔をして見せた。
いろいろ裏でコソコソしている人たちがいますね。
ロージィは可哀想に、完全に巻き込まれてます…
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