馬車の中
この数日でその身に降りかかった出来事を話し終えたパーティスはいっそ清々しい笑顔だった。そして細い細い瞳の奥には苦労の光が見えた気がした。
「……あぁ……ご苦労だったな」
なんと言葉をかけてよいやら。
マクルノに会ったその日から、パーティスとロックは毎日朝から晩まで港で荷運びをさせられていたという。しかも仕事が終わった後で港近くの酒場に連れて行かれたりして、借りている宿にも帰れない日もあったとか。すべて人力による荷運びなど、そう体験できるものでもないだろうし、慣れない作業で怪我も尽きなかったらしい。道理であちこち軽くとはいえ怪我をしているし、肌もこんがりと日焼けもしている事にも合点がいった。元々ふたりは筋肉質なタイプではないが、恐らくここ暫く訓練が無く落ちていた筋力も回復したことだろう。その点ではマクルノに大いに感謝したい。
「それで、おまえ達の苦労の甲斐あって、組合の許可は取り付けたということでいいのか?」
「はぃ〜。なんとかマクルノ隊長とナジさん二人がかりで、とりあえずの許可は貰えましたぁ」
「とりあえず?」
なぜだか引っかかる言い方だ。
「条件付きです」
「なんだ。金か?」
考えられるものとして、一番最初に思い浮かんだのが『金銭』だった。伯爵が出資しての計画ということは話してあるだろうし、強気に出られる立場である組合が要求してくるもので一番可能性が高いのは、それしかないと思ったのだ。もちろん、ある程度は利用料として払う心づもりはしていたが、予想以上の金額になる可能性にグレイは知らず目を眇めていた。
「当たらずも遠からず……ですが、そんな直接的な金銭要求じゃないですよ〜」
「どういうことだ」
頭上に疑問符を浮かべたその姿に、パーティスは少し得意げに胸を張った。
「今回の計画に必要な人員は、港周辺の住民を最優先で雇うこと〜。そして、働きに応じた給金を払うこと。これが組合からの条件ですぅ」
「……なるほど」
確かに『金銭』は関わる話だが、その内容はもっともなものだ。これを受け入れられないという話にはならないだろう。港の仕事は少なく、すでに職にあぶれてしまっている人々も多い。今回の計画も進み、港に活気が戻るのであれば一石二鳥というものだ。
「わかった、その条件をのもう。給金は議長から預かってる資金から捻出できるだろう。足りなければ俺の方で建て替えもしよう」
「さすがです〜隊長!」
ほとんど悩むことなく決断したグレイに、パーティスは笑顔で賞賛を送った。鋭かった空気が少し緩んだ気がする
「グレイ様、よろしいですか」
「ん?」
ずっと黙って控えていたジュネスが、そんな空気を切り裂いた。
「港周辺の住民を募集するのはいいとして、そうしてしまうとワムロー男爵に依頼する予定の人員確保の話が立ち消えになってしまいませんか」
「それは大丈夫だ」
「……失礼ですが根拠をお聞きしたいです」
「ワムローには即戦力の人員確保ではなく、そのあと必要になる人員を探してもらう」
「その、あと?」
グレイの言葉に、ジュネスとパーティスは首をひねった。二人にはまだグレイの言わんとしている事が理解できていない。
「漕ぎ手だよ」
「なるほど」
大きな船であればあるほど漕ぎ手は絶対に必要だ。潮の流れに乗るか、風をうまく捉まえられれば漕ぎ手の役割は減るだろうが、咄嗟に船を進めるのは漕ぎ手の役割になるだろう。
「体力に自信がある事はもちろん、ある程度船の経験が欲しいな。漕ぎ手経験者などそうはいないだろうから、希望人数を連れてくるまで時間がかかるだろうと思う」
「その間に奴隷商人たちの足取りも探るというわけですね」
「その通りだ」
主の話に納得したジュネスは、大きく頷き―――いつの間にか静かになっていたパーティスに視線を向けた。
「どうした」
「えーっと。それでですね、話戻るんですけど……その、契約書を交わしたいそうなんです」
まだ今は口約束レベルの許可取り付けなのだろう。グレイの返答如何では、使用許可は取り消されていたと思う。
「組合長が直々に?」
「代理でナジさんと、マクルノ隊長がお会いしたいと……」
パーティスとロックはグレイの部下であり、今回の潜入任務の数少ない仲間のはずだが、どうやらマクルノにいいように使われている気がしてならない。そして、あのマクルノを丸め込んでしまっているのだから、そのナジという人物も侮れないものがある。
「わかった。伺おう」
「ぜひ、ワムロー男爵も一緒にと……」
なぜ港の使用許可にワムローを呼び出そうとしているのか、グレイもわからない。だが、ここで下手に逆らって光明を消してしまうよりは、わからないままでもワムローを連れて行く方が安全策だと思い至ったのだった。
会食から5日後。グレイとジュネス、そしてワムローは一つの馬車に乗り込み港へと向かっていた。時は夕刻。夕暮れの中、馬車は目的地に向かってひた進む。
馬車はパーティスが用意したらしい。招待する立場なのだからと似合わない強固さで言い募って来たので、好意に甘えることにしたのだった。
ワムローには組合から許可が出た件で、人員確保の話もしたいと伝えてある。人を募集して給金を払いのはグレイになるのはともかく、直接交渉するより仲介が入ったほうがいいと判断したこともある。
ある程度の資金をワムローに渡し、それを元手に適正給金を算出してほしいと頼んだのだ。こうすれば、会食でしか接点のなかったワムローと別の接点が設けられるし、行動を少しでも監視・牽制できる。ただ単にグレイとジュネスが適正給金の金額算出に頭を抱えてしまったというのも一部の原因ではあるのだが。
暫く揺られつつ他愛もない世間話をしていたが、馬車が大通りに出たところでワムローが口火を切った。
「わたしなどを事業の一環に加えていただけて嬉しく思います」
「以前、人手が必要であれば声かけをと言ってくださっていたので、お言葉に甘えてしまいました」
探るような視線を正面から受けつつも、グレイはそれをするりと躱した。
今日のワムローの服装は、成り上がりと揶揄されるに相応しい格好だ。光沢のある紫色の生地で仕立てた上着。上着の縁取りは金色でされており、飾るボタンも当然金色だ。襟元から覗くのは透かしの入った柄物スカーフ。様々な色が見えていて、首元を明るくしてくれているが、ちょっと賑やかすぎる色彩だと思う。さらに細かく彫り物がされているステッキを持ち、テカテカと光る黒い革靴は、鋭く先がとがっていて誰かに刺されば凶器として扱われてしまうのではないかと懸念するほどだ。
「少しでもお役に立てれば幸いですよ」
そんな『成金貴族』と看板を掲げているような服装をしているというのに、本人はそのことに全く頓着していない。
「わたしもオルガン氏もマーギスタの人間ではないので、やはり故郷を同じくする人物をお連れした方が先方も気が楽になるのではと思ったのです」
「それはあるかもしれませんな。なにしろ相手は海の男たちです。結束力は強いでしょう」
「ええ」
グレイはあっさりとした同意を示し、馬車内は(表面上だけは)穏やかな時間が過ぎていった。
馬車は路地に入り揺れ始めた。舗装が不十分な石畳に馬車の車輪が大きく跳ねる。座席には厚手の綿が入っていて、それなりに衝撃を吸収してくれるが、それでも横や縦にせわしなく揺れるのは心地いいものではなかった。
それでも黙って揺られ続ける事30分。窓の向こうに広がる海原の姿が視界に飛び込んできた。
「海だ……」
思わずため息とともに言葉が零れる。
グレイはロットウェル国内の範囲から出たことが無かった。護衛役としてファーラルに連れられ、様々な街に出向いたこともある。だが、それは国内に限られた場所ばかりで、こうして他国に長期間留まる事はグレイにとっては初めての事だったのだ。そしてずっと海のない故郷の国で生きてきた―――書物や絵画ではない、本物の海を目にした感動で、胸が震えるようだった。
「バーガイル伯爵は、海は初めてですか?」
「そうなのです。お恥ずかしながら……」
向かいに座っていたワムローにも、グレイの内心の興奮が伝わってしまったのだろう、いつもより気さくな雰囲気で話しかけてきた。
「海は広い。そしてまだ未知の可能性を秘めている場所でもある。あなたが海を起点とする事業に出資することにした決断は、決して間違いではないと思いますよ」
そう熱く語るワムローの瞳はいつになく輝いていて、会食の時にいつも見せていたような野心や厭らしさが含まれていなかった。それどころか口調も熱く、グレイの進もうとしている先の事を、全面的に受け入れ支えたいと考えて居る様にすら感じられた。
グレイが返答に困っているのをジュネスは横で察しながら、従者である自分が口出しできるわけもなく、ただ黙っていた。
「そういえばオルガン氏は先に行ってらっしゃるのですか」
「はい。場所を整えてくれるということです」
「先日お見かけした際には、随分としっかり日焼けされていましたな」
「かなり厳しく扱かれたようです」
5日前のパーティスとロックの姿を思い出し、無意識に笑みが零れてしまう。それはワムローも同様で、へとへとになっていた姿と、日焼けした肌を思い出して口元に弧を浮かべていた。
予想以上に穏やかな空間の中、馬車はついに目的地に到着し……降り立ったグレイとジュネス、そしてワムローは思わず顔を見合わせた。
「ここは……酒場?」
目の前にあるのは間違いなく酒場だ。煌々と明かりが付けられ、食べ物と酒の匂いが漂う。酒場の中からは男たちの粗野な声が響いており、どう考えても港にある、海の男たちのための憩いの場である。
少なくとも契約書を交わすような場所とは思えない。
「間違いじゃないのですか、伯爵」
「……ええ、わたしもそう思うのですが」
すでに客を下ろした馬車は立ち去っており、本当にここなのかと問いただす相手がいない。
「グレイ様。わたくしが見てまいります」
「ジュネス」
一緒になって困った顔をしていたジュネスだったが、意を決したように酒場のドアを開けようと手を伸ばした瞬間―――扉が内側に開き、伸ばしていた手を誰かが掴んだ。
「!」
自分を掴んだごつごつとした大きな手と、丸太のような腕が視界に入り、思わずジュネスは顔を上げて腕の主の顔を直視した。
「よぅ、待ってたぜーー」
目の前に立っていたのは、頬に大きな傷のあるあの男だった。
いつもご訪問ありがとうございます。
今年の更新はこれで最後になるとおもいます。
来年もよろしくお願いいたします。
さてプロット5行の、残り3行が終わりました。
長かった、長かったよ……。
あとはマクルノ隊長に任せます(おい)




