海の男たち
あけましておめでとうございます(遅)
そしてお待たせいたしました。
伸びてきた大きな手に捉えられたジュネスは、突然のことに対応が遅れた。踏みとどまることもできず、傾いだ体が引っ張られるままに前方へ投げ出される。が、そのまま無様に倒れることは、太い腕の持ち主が許さなかった。
「おっと、軽いなー」
あんたに比べたら大概の人間は軽いでしょうよ!と言いたいのをぐっと我慢したのと、その腕が首に巻きつくのは同時だった。そして素早く耳打ちされる。
「俺は見知らぬ人ってことで」
「え」
あまりにも素早く小声で囁かれた言葉に、思わず目線を向けたが、その時には巻き付いていた腕から解放され今度は別方向から伸びてきた腕につかまっていた。
「え、えぇえっ」
「ほらほら、客人こっちだぜ」
「女将―!客が来たぜーっ」
マクルノと同様ほどもありそうな体格の男たちが、中肉中背であるジュネスを引きずるように酒場の奥へ連れて行こうとする。戸惑い慌てているジュネスだが、どうにも出来ずに引きずれて行くがままだ。思わず助けを求める様にグレイに顔を向けたが、見えた場面は次のターゲットと言わんばかりにマクルノがグレイに絡んでいる姿だった。
「おお、こっちはそれなりに鍛えてるっぽいなー」
グレイの首にジュネス同様腕を巻きつけ、同じく素早く囁いた。
「俺たち初対面な」
そんな囁きに対してグレイは一瞬だけ目を瞬いたがそれだけだ。すぐに意図を察したように身じろいだ。そしてマクルノに向ける視線を胡乱気なものに変化させる。まるで『馴れ馴れしい初対面の男にうんざりしている』風な。
「ちょ……なんなんですか貴方はっ」
「俺?俺はこの酒場の有名人」
にやりと不敵に笑って顔を近づける。傍から見ればマクルノが貴族に馴れ馴れしく構っている図だが、当人たちの瞳の内側にあるのは鋭い煌めきと了承の光だ。
酒場入口での騒ぎが大きくなってきたところで、恰幅の良い女性が酒瓶片手に現れた。白いエプロンは汚れ、洗濯しても落ちないのだろう、染みもある。
「まぁーったく、そっちはお客さんなんだろ。いつまで入口で遊んでんだい。奥の席、空けてあるから連れてきな」
「ありがとな、女将」
女将と呼ばれた女性は呆れた顔をしているが、その瞳は穏やかだ。うるさいほどの男たちの騒ぐ声すら、彼女にとっては可愛いものなのだろう。
「そこで突っ立ってるお貴族様もこちらへどーぞ」
そう言われ、ようやく突然の出来事に動けなくなっていたワムローは背筋を伸ばして周りを見渡した。小さな酒場の中にひしめき合っているのは、屈強そうな海の男たちが20名ほど。全員筋肉で盛り上がった体躯に、良く日に焼けた肌をしている。どう考えても酒場の中に座席は20もないが、ほとんどの者たちが立ったまま飲み食いしているようだった。必要とあらば床にでも座り込むのだと思われる。
ジュネスを筆頭に彼らが案内された場所には、きちんとテーブルがあり、人数分の座席が用意されていた。すでにパーティスとロックはその場にいて、座っているパーティスの後ろにロックが控えている。座席を案内されたジュネスは、ロックと同様に主であるグレイの後ろに立つことにした。ワムローまでが座り終えると、正面の席に2名の男が一気に腰を掛ける。座り終えたのを確認すると、女将がそれぞれのグラスに酒を注いでいった。本来は芳醇な香りのするワインなのだが、残念ながら酒場に充満している安酒の匂いで掻き消されている。
「ようこそ、海の酒場へ」
「ご招待いただきありがとうございます」
年長と思われる白髪の男に、グレイは軽く頭を下げて言葉を返す。商談などには全く不向きな喧騒の中、この場だけは異様な雰囲気と言っていいだろう。
「港の組合長をしているゴーランです。こっちは若手を取り仕切っている息子のナジ」
「ども」
「わたしはグレイ・バーガイルです。こちらは仲介のワムロー男爵」
「よろしく」
ゴーラン側はすでにパーティスからグレイたちの情報を得ていたのだろう、特に身分などについて追及されることはなかった。
「今回港のドックを使用したいとオルガン卿から申し出を受けました」
「はい」
ゴーランは容姿から察するに、すでに齢60は超えていると思われる。しかし、その力強い視線と衰えていない体躯は年齢を感じさせない強さを持ち合わせていた。そして、その隣に座っている息子のナジは、若さと力に溢れ若輩だからこそ持ち得る無謀さや、恐れを知らないと思わせる空気を纏っている。
「やる気に関しては、オルガン卿とロックが身をもって証明してくれた。よそ者だが信用してもいいと思っています」
「ありがとうございます」
身を粉にして働いたパーティスたちの苦労は無事に報われたようだ。
「それで彼らに条件を持たせましたが、了承いただけたということでよかったでしょうか」
「はい。賃金の支払いなどについては、こちらのワムロー男爵にお任せしようと考えています」
「人材確保などの業務もされていると伺いましたが?」
グレイの説明に、ゴーランは視線をワムローへ向けた。その視線はどこか冷たい。それも仕方ないだろう。なにしろワムローの服装は港の酒場に似つかわしくない成金趣味で固められたものだったのだから。せめて品の良さがあれば受け取るイメージも違ったのかもしれないが、無駄に光り輝いている服装は万人受けするものではないだろう。
「人員不足があれば、派遣いたしますよ」
「マーギスタ中から集めてくるわけか……」
海の仕事は海に携わって生きてきた者たちの方が理解が早い。山間の人間には向かない事もあるだろう。そう考え唸るように腕を組んだゴーランに、ワムローはあるかないかの笑みを浮かべて言葉を引き取った。
「必要とあらば、ロットウェルやドルストーラにからも集めますよ」
「他国にも行かれるので?」
ワムローの口から零れた一言に、グレイとジュネスは一瞬顔を強張らせた。隣に座るパーティスが身を固くした気もする。人を集めているという情報とワムローとの繋がりを探っていたが、直接本人の口から思いがけない言葉を聞いてしまった。
「わたしはマーギスタ内だけで活動していますが、兄が色々なところへ赴いて似たようなことをしているのです」
「お兄様がいらっしゃるのですか」
何か興味をひかれたのだろう。ゴーランがさらに話を引き延ばした。
「失礼ですが、お兄様が男爵家を継がれたのではないので?」
「ははは、この爵位はわたし個人のものです。兄はただの庶民ですよ」
つまり、成功したワムローは金で男爵という爵位を買ったということだ。近年同じような話は決して少なくないし、金に困った貴族が爵位を売って大金を得るという事態もちらほら聞こえてきたことはある。だが、それは先祖代々守ってきた矜持を売りとばすという恥になる事でもあったため、あまり大きな声で話される内容でもなかった。
「なるほど。では、兄弟で分担して仕事されているのですな」
「基本的にはあまり関わり合いはありません。普段も特に交流もない。ただ緊急時はお互い助け合えればいいという程度です」
「では、人員がどうしても不足した時には、ぜひお兄様に依頼をお願いいたします」
「もちろんです」
ワムローは言い終えると、テーブルの上のグラスを手に取り一口飲んで目を瞠った。そして思い出したように香りを嗅ぐ。グラスに鼻を近づけると、薫り高いワインだとようやくわかった。実はこの酒場には似つかわしくない口当たりの良い、値のはるワインを入れておいたのだ。
「これはまた、いいものですな」
「あら嬉しい、わかりますかお客さん」
女将が嬉しそうに瞳を煌めかせた。
「なんならボトルでお出ししますよ」
「ちょーーっと待った!」
にこやかに気前のいい女将の言葉を遮ったのは、先程酒場入口で絡んできたマクルノだった。
「なんだい、うるさいね」
「その酒!俺の秘蔵酒だって言ってたのに!なんで出すかな!?」
その酒と言って指差しているのは、女将が持っているワインボトルだった。すでに半分以上減ってしまっているのを目にして、マクルノは頭を掻きむしって嘆きの声を上げた。
「ひでぇよ女将!」
「ケチケチすんなよ、マクルノ」
「そうだそうだ。それにこの上物ワイン、マクルノには勿体ないぜ」
「違いねぇ」
周りで面白そうに眺めていた仲間たちが次々に嘆くマクルノを囃し立てていく。そこまで張りつめていたわけでもないが、少し硬かった空気が和らいだ気がした。だが、グレイはふと横を見てワムローの表情から色が抜けているのに気が付いた。
「どうしました、男爵」
「いや、あの……」
歯切れ悪く口にしながら、ちらちらと盗み見している相手はマクルノだった。大きな体。頬に走る傷。他国にも詳しいというのであれば、その名前とこの特徴でマクルノが誰なのかに気付いてしまったはずだ。だが、グレイは動かない。なにしろ自分は彼と『初対面』なのだから。
「……そちらの方はロットウェルのマクルノ氏でしょうか?」
だが、そんなグレイに気が付かないワムローは、ついに意を決したように頭の中にあった疑問を口にした。
とたん―――
「わはははははははははははは!」
「ほらみろ、紛らわしい!」
「だから呼び名変えろって言っただろ、わはははっ」
酒場は大爆笑の渦に巻き込まれた。さすがにこの反応を予想していなかったグレイとジュネスも一緒になってぽかんとしてしまう。
「男爵様すいませんね、こいつ彼の有名なマクルノ隊長のそっくりさんなんですよ!」
「ちょーど頬のところに怪我しちまったらしくて」
腹を抱えてひーひーと笑い転げている海の男たちを一瞥し、当のマクルノはワインに続き再び地団太を踏んだ。
「俺は、マクルノ隊長だっての!なんで信じないんだよ!」
「ご立派な隊長様が毎日荷運び……ぶはは、あるわけねー!」
マクルノの反論に誰一人として肯定意見は述べないようだ。仲間内では定番のからかいごとになっているのだろう、誰もが笑っている。
「お前の夢は仕官して好きな女を迎えに行くこと、なんだろ」
「ナジ!そ、それは……世を忍ぶための仮のネタだ……」
ナジからの言葉に、マクルノは勢いを失くしてぼそぼそと反論する。それがまた男たちの笑いを誘うのだ。一気に喧騒激しくなった酒場だったが、ワムローは冷静な視線でマクルノを見ていた。そしてその視線をグレイに向ける。
「バーガイル伯爵。あなたはロットウェルで軍籍でしたね」
「はい」
「上官の顔と名前は今でも覚えていらっしゃいますか」
「はい、もちろんです」
グレイには、ワムローのその後の質問が正しく予測できた。いや、それしかないと言った方がいいだろう。
「マクルノ隊長は―――彼ですか?」
偽りを許さないという意思を持った鋭い視線がグレイを射抜く。だが、その視線を完全に受け流し、口元に笑みも浮かべて見せた。
「いいえ、彼の事は知りません。マクルノ隊長とは別人です」
はっきりと言い切ったグレイの表情のどこかに、なにか綻びがあるのではと疑う視線をワムローは無遠慮に向けてきた。だが、疑われるのは心外だ。何しろ海で働くマクルノを知ったのは今日が初めてなのだ。グレイが知るのは笑顔のまま敵に突っ込んで相手を粉砕していく猛牛のような男だ。ワインを取られたと嘆くような人物ではない。
なにより『初対面』なのだから。
「おっと、お墨付きが出たぜマクルノ」
「そろそろ改名つーか、本名名乗れよ」
「だから俺はマクルノだっての!」
ナジを含めた男たちが囃し立てて笑いを誘う。すでに商談が出来る状況ではない。それが分かったのか、ゴーランは書類を手早くまとめると立ち上がった。
「後日改めて事務所に来ていただけますか。出来れば昼間に」
「わかりました」
苦笑とともに了承の返事を返す。
すれ違いざま、ナジとマクルノの頭を拳で殴りつけるのをゴーランは忘れなかった。全力の鉄拳に大の男二人が蹲って頭を押さえる姿に、再び酒場が笑いの渦に巻き込まれる。
今日は海の男たちがどういったものなのかを知ってもらうための席でもあった。堅苦しい人物では馴染めないだろう、一緒にバカ騒ぎが出来ない人物も難しいかもしれない。これから他から集めることになるだろう人材の目安を示したかったのかと、グレイはふと思った。
「別人、なのですね」
「少なくとも、わたしの知るマクルノ隊長は―――もっと厳しい目をしていましたね」
剣もなく、鎧も纏わないマクルノの生き生きとした姿に、少しだけ笑みが零れた。
いつもありがとうございます。
なんだかいつも以上にお待たせしてしまった気が…。すいません。
年末年始シフトも少し落ち着いてきたので、ぽつぽつと更新できるように頑張ります




